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「集団的自衛権の中にも必要最小限度のものがあるよというのは、憲法解釈の根本的変更ではなくて、この事象は必要最小限度になるかならないかという当てはめについて、今まで十把一絡げに集団的自衛権は必要最小限度に当てはまりませんねと言っていたことに対して、そうではないよという、当てはめの変更にすぎない。こういうことで、それは許されるのだろう。」by高村正彦

2013.09.18.Wed.00:01
高村正彦公式サイト、最近の発言より引用
『平成25年9月4日

 集団的自衛権の話だが、例えば、日本の平和と安全に重要な影響を与えるような事態が発生しているときに、アメリカの船が日米安全保障条約に従って就航している。その近くを日本のイージス艦が通っていた。第三国がアメリカの船を攻撃する。それを日本のイージス艦が察知して、防ごうと思えば防ぐことができたが、憲法上問題があるといって防がなかった。そしてアメリカの船は沈没した。
 そういう場合になると、日米安全保障条約は事実上そこでストップする。その後に第三国が日本を侵略してきたときに、アメリカの世論は、アメリカの青年が血を流して日本を守ることを許さないだろう。そういうことであると、アメリカの船をそこで守るというのは、日本の生存を守るための必要最小限度のことである。
 その日本の行為は集団的自衛権に当たるわけだが、日本の生存を守るための必要最小限度の行為は許されるのではないですかというのが今の議論だ。

 それに対して、集団的自衛権は認められないと今まで言ってきているのだから、解釈改憲は安易にすべきではない。やるのであれば憲法を改正してするのが本筋だという意見と、国連憲章で個別的自衛権とともに集団的自衛権が与えられているのだから、必要最小限度などと言わずに、まるまる認めてもいいのではないかという意見がある。
 憲法第9条2項には、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないと書いてあるわけだから、文言通り読めば、集団的自衛権といわず個別的自衛権だって許されないのではないか、自衛隊は憲法違反ではないかという議論は、当然出てくる。
 これに対して、主権国家は自分の生存を守るために必要最小限度のことをするのが許されないはずはない、そんなことを規定するはずがないという、ある種の自然権的な考え方で、必要最小限度は良いよというのは、日本政府の従来からの考え方だ。その時に、内閣法制局の人達は非常に優れた法律の専門家の人達がそろっているが、安全保障の専門家ではないわけで、「個別的自衛権なら常識的に良いでしょう。集団的自衛権だったら最小限度とはいえないのではないですか」という解釈をしてしまったが、これは論理の飛躍で、集団的自衛権の中にも必要最小限度のものがありますよということが分からなかった。だから憲法解釈からいえば、文言にもかかわらず必要最小限度のものは許されますよというのが、憲法解釈の根本だ。  それをあてはめる場合に、十把一絡げに個別的自衛権はいいですよ、集団的自衛権はダメだよというのは、これは当てはめの問題なのだ。本当は一つ一つの事象について、これは必要最小限度かということを決めていかなければならないのに、個別的自衛権はいいよ、集団的自衛権はダメよと十把一絡げにしてしまった。だから、集団的自衛権の中にも必要最小限度のものがあるよというのは、憲法解釈の根本的変更ではなくて、この事象は必要最小限度になるかならないかという当てはめについて、今まで十把一絡げに集団的自衛権は必要最小限度に当てはまりませんねと言っていたことに対して、そうではないよという、当てはめの変更にすぎない。こういうことで、それは許されるのだろう。  今4類型と言っているが、4類型にかかわらず、必要最小限度のものが他にもあればそれは許されるし、必要最小限度ではない、地球の裏側に行くようなことはとても必要最小限度と言えないわけであるから、政策上やらないのではなくて、憲法上許されない。
 これが私の解釈だ。

 自民党の中には色々意見があって、憲法改正してやるのが本当でしょうという人と、いや国連憲章にあるものをまるまるそのまま認めていいのではないか、必要最小限度ということは言わなくてもいいのではないかという人といる。これは理論的に言えば、国連憲章の個別的自衛権あるいは集団的自衛権を認めていることを、まるまる自然権と解するのか、そのうちの必要最小限度のものを自然権と解するかの差だ。理論的に言えばどっちも絶対無いとは言えないということだが、政治的に言えば、今までの解釈を根本から覆してしまうことは、今までの流れとあまりにも違う大転換だ。
 そういう大転換ではなくて、当てはめの、こういう場合もありますよというにすぎないというふうになるのがいいだろう。

 衆議院選挙の時に公約をまとめるときに、集団的自衛権を認めるのは憲法改正が必要だという有力な主張があったのに、私はある人から頼まれて、その人を説得するときに、「まるまるの根っこからの変更ではなくて、当てはめの変更だけです。根っこからの変更は憲法改正でやるのが筋だというのは、あなたの言う通りです」ということで説得して、その時点では、自民党内の妥協というか合意ができているが、時間が経っているから、また新たにそういう議論をしなければいけない。

 やはり自民党内でもそうだが、まとめるためには必要最小限の方が良いし、流れからいってもその方が良いし、公明党の人達も、例えば山口代表も集団的自衛権を認めるのは反対だと言いつつ、個別的事象には、我々がこういう時に必要だと言っていることについて、個別的自衛権としては認めては良いのではないかと、こういう言い方をしておられる。何が大切かというかといえば、具体的なことが許されるのか許されないのかという当てはめが大切なのであって、それが個別的自衛権か集団的自衛権かとあえて問われれば、集団的自衛権だと言わざるを得ないが、個別的自衛権だろうが集団的自衛権であろうが、憲法上必要最小限度として許されるのか許されないのかというのが最重要なことだろう。そういう意味からは、公明党の方とも話せば話ができる。

 テレビで見たが、みんなの党の江田さんが、個別的とか集団的とか神学論争をしないで、何が日本にとって必要なことかということを詰めていけばいいという趣旨のことを言っておられた。そういう趣旨からいって、共産党や社民党は別として、今度の一定の集団的自衛権といわれるものを憲法上行使が許されるとすることについて、自民党だけではなく、かなり多くの方から合意が得られる。そして合意を得るためには、必要最小限度という今までの憲法解釈に沿ったということが必要なのではないか。

 もう一つ、記者の方からよく聞かれることだが、法律を作ることによって改正するのかということだ。
 だけど立憲主義の建前からいって、法律を作ることによって憲法解釈が変わるということはない。憲法解釈が変わっても、自衛隊が実際に行動するためには法律を作らないといけない。法律を作らないと憲法解釈を変えたからといってすぐ自衛隊が動けるわけではないから、法律を作ることが必要だ。
 国民に対して解釈を変えたことと、法律改正を同時に提示することはあり得ない選択ではないけれど、観念的には、憲法解釈の変更が先にあって、それに基づいて法律を作る。時間的には一致することは絶対ないとは言えないが、観念的には憲法解釈の変更は、当てはめの変更だとしても、集団的自衛権の行使は許されないという言葉をこれまで使ってきているので、広い意味での憲法解釈の変更をした上で、法律を作る。
 国民に対して訴えかけるのが、同時になるという選択肢はあり得ない話ではないけど、観念的には憲法解釈の変更が先にあって、それに基づいて法律の改正があって、それがあってはじめて自衛隊が動くことができるということだ。


 9月7日と8日でイランに行き、まだ7日の午後か8日の午前か決まっていないが、ローハニ大統領と会談する。
 ローハニ大統領と初めてお会いしたのは、ローハニ大統領が国会の副議長兼外務委員長、私が外務政務次官の時に初めてお会いして、当時ハタミ政権で改革派の大統領だったのだが、その時ローハニさんは保守派の方だと伺っていたが、実際に会ってみて非常に柔軟な方だなと思った。その後ローハニさんとは5回お会いして、今度お会いするのは6回目となる。
 国際政治の中では古い友人という分類になろうかと思うが、核の平和利用と言っているが、その権利を行使するためにはそれを核兵器開発につなげることがないということを国際社会にしっかり説明し納得してもらわなければ、権利は行使できないということは、ローハニ大統領は良く知っておられると思う。そのためにIAEAやP5との間の交渉についても、できるだけ柔軟に、透明性を高めるようにして解決されるように、友人としてのアドバイスをしていきたい。
 それからシリア情勢についても、できるだけシリアが安定するような役割を果たしてほしいということを言ってまいりたい。』


高村正彦基本画像0


高村正彦公式サイト、最近の発言の魚拓
http://megalodon.jp/2013-0917-0326-22/www.koumura.net/message/index-hatugenshu.html


高村正彦公式サイト、最近の発言のアーカイブ
http://www.peeep.us/36442d4f
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