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「(舛添要一都知事の政治資金疑惑に関しては、)政府としてコメントする立場にはないが、都連の会長として、一般論として話をすれば、都民の方々が『何だそうなんですか、分かりました』ということにはなっていないと思う」by石原伸晃

2016.06.08.Wed.21:38
2016年6月7日 NHKニュースの記事より引用
『石原大臣 “舛添知事の説明に都民は納得せず”
6月7日 12時11分

自民党東京都連会長を務める石原経済再生担当大臣は閣議のあとの記者会見で、政治資金などを巡る一連の問題に関する東京都の舛添知事の説明に都民は納得していないという認識を示したうえで、自民党としても都議会で疑問点などをただしていく方針を示しました。
東京都の舛添知事の政治資金などを巡る一連の問題で、調査を依頼された弁護士は、6日、違法性はないものの不適切な支出があったとする調査結果を公表し、舛添知事は記者会見で、是正が必要だと指摘された宿泊費などを返金して慈善団体に寄付するとともに、別荘を近く売却する考えを示しました。
これについて、自民党東京都連の会長を務める石原経済再生担当大臣は閣議のあとの記者会見で、「政府としてコメントする立場にはないが、都連の会長として、一般論として話をすれば、都民の方々が『何だそうなんですか、分かりました』ということにはなっていないと思う」と述べました。
そのうえで石原大臣は、「都議会の自民党からも、しっかりと議会でただしていくという連絡をもらっている。都議会で、懸念や疑問に対して自民党の議員が質問するものと承知している」と述べ、自民党としても都議会で疑問点などをただしていく方針を示しました。』




2016年6月7日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
http://archive.is/s8crM


【管理人コメント】
石原伸晃大臣は、「(舛添要一都知事の政治資金疑惑に関しては、)政府としてコメントする立場にはないが、都連の会長として、一般論として話をすれば、都民の方々が『何だそうなんですか、分かりました』ということにはなっていないと思う」と述べている。
だが、2014年の東京都知事選挙で自民党東京都連が推薦し、当時の自民党幹事長である石破茂氏が「本部としてもしっかり支援していく」と発言している以上、自民党は舛添要一都知事の政治資金疑惑に関して責任を取るべき立場にある。
また、石原伸晃大臣の「都連の会長として、一般論として話をすれば、都民の方々が『何だそうなんですか、分かりました』ということにはなっていないと思う」との発言は、それ自体はその通りだが、現職大臣が所管業務の業者に対して便宜を図り、見返りとして現金100万円を受け取ったことを認めているのに、睡眠障害を理由に公訴時効まで国会を休み、説明責任を一向に果たそうとしない甘利明氏の件はどうしたと言うのか。
自民党には、甘利明氏の説明責任を果たすよう促す責任があるにも関わらず、一向にその責任を果たしていない。それは例え、今回の件で舛添要一都知事に対して引責辞任させたとしても何ら変わるところではない。
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コメント
『仏心菩薩唯我独尊君子の和して同ぜぬIT菩薩政府 』
jp.sputniknews.com/japan/20160608/2271815.html


日本国憲法君主たる勤労納税主権者国民仏教徒一人一人が、

常に政府首相官邸へ仏心仏教メールして、

月月火水木金金の太陰暦で仏道にのっとった仏心政治を

日本国憲法公僕日本政府に毎日たゆみなく行なわしめる。

アメリカ政府ホワイトハウスにもメールして仏心仏教政治を行わせる。

これが本当の、仏心地球憲法日本国憲法を奉じる菩薩による「IT政府」であります。


今日の首相官邸とホワイトハウスとスプートニクへの仏心メールは、


『拝啓 安倍晋三総理大臣殿/オバマ大統領殿

仏教聖典_はげみ_第二章、実践の道_第二節、さまざまな道_より


 七、華厳経・大般涅槃経・雑宝蔵経


 六波羅密とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つのことで、

この六つを修めると、迷いの此の岸から、さとりの彼の岸へと渡ることができるので、六度ともいう。


 布施は、惜しみ心を退け、

持戒は行いを正しくし、

忍辱は怒りやすい心を治め、

精進は怠りの心をなくし、

禅定は散りやすい心を静め、

智慧は愚かな暗い心を明らかにする。


 布施と持戒とは、城を作る礎いしずえのように、修行の基となり、

忍辱と精進とは、城壁のように外難を防ぎ、

禅定と智慧とは、身を守って生死を逃れる武器であり、それは甲冑に身をかためて敵に臨むようなものである。


 乞う者を見て与えるのは施しであるが、最上の施しとはいえない。

心を開いて、自ら進んで他人に施すのが最上の施しである。 

また、ときどき施すのも最上の施しではない。

常に施すのが最上の施しである。


 施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのは、最上の施しではない。

施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである。


 正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、他人も自分も、ともにさとりに入るように願うものでなければならない。



 世に無財の七施と呼ばれるものがある。

財なき者にもなし得る七種の布施行のことである。

一には身施(しんせ)、肉体による奉仕であり、その最高なるものが次項に述べる捨身行である。

二には心施(しんせ)、他人や他の存在に対する思いやりの心である。

三には眼施(げんせ)、やさしきまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。

四には和顔施(わげんせ)、柔和な笑顔を絶やさないことである。

五には言施(ごんせ)、思いやりのこもったあたたかい言葉をかけることである。

六には牀座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることである。

七には房舎施(ぼうしゃせ)、わが家を一夜の宿に貸すことである。

以上の七施ならば、だれにでも出来ることであり、日常生活の中で行えることばかりなのである。



 八、金光明経二六、捨身品

 昔、薩埵(さった)太子という王子がいた。

ある日、二人の兄の王子と森に遊んで、七匹の子を産んだ虎が飢えに迫られて、あわやわが子を食べようとするのを見た。

 二人の兄の王子は恐れて逃げたが、薩埵太子だけは身を捨てて飢えた虎を救おうと、絶壁によじのぼって、身を投げて虎に与え、その母の虎の飢えを満たし、虎の子の命を救った。

薩埵太子の心は、ただ一筋に道を求めることにあった。

「この身は砕けやすく変わりやすい。

いままでは施すことを知らず、ただわが身を愛することにばかりかかわってきた自分は、いまこそこの身を施して、さとりを得るために捧げよう。」

この決心によって、王子は飢えた虎にその身を施したのである。

_______________

このお経のネット上の記載はnueq.exblog.jp/20875307/


   敬具  豊岳正彦拝』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

四正勤____仏教聖典(仏教伝道協会出版)

これから起ころうとする悪は、起こらない先に防ぐ。
「悪を予防するFluワクチン皮内接種」

すでに起こった悪は、断ち切る。
「悪を断ちきる断捨離NHK解体廃棄」

これから起ころうとする善は、起こるようにしむける。
「竹箒塵取和顔愛日本語masa-ho@sky.icn-tv.ne.jpフルオープンCCネット口コミ三宝帰依活動」

すでに起こった善は、いよいよ大きくなるように育てる。
「三宝帰依仏心仏法日本国憲法を地球憲法にしましょう」

拈華微笑 不二院顧心正顔居士ほうがくしょうげん拝


南無釈迦牟尼仏

南無阿弥陀佛
Re: 『仏心菩薩唯我独尊君子の和して同ぜぬIT菩薩政府 』
ほうがくしょうげん拝 様

コメントを頂き有り難うございます。
ご指摘頂きました点に関し、個人的に色々と調べて参りましたが、確たる確証と言える物を見つけることが出来ませんでした。
従って、本件に関するコメントは差し控えさせて頂きます。

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