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イランのナザルアハリ駐日大使は、2015年7月23日の日本記者クラブでの記者会見において、衆議院を通過した安全保障関連法案の審議で安倍晋三首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示した件に対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。

2015.07.24.Fri.03:53
2015年7月23日 毎日新聞の記事より引用
『駐日イラン大使:ホルムズ機雷敷設例示に「全く根拠ない」
毎日新聞 2015年07月23日 20時09分(最終更新 07月23日 20時17分)

 安保法案審議で安倍首相の集団的自衛権行使の事例で
 イランのナザルアハリ駐日大使は23日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、衆議院を通過した安全保障関連法案の審議で安倍晋三首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示したことに対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。
 ナザルアハリ大使は「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調。2013年11月に岸田文雄外相とイランのザリフ外相が共同声明で確認したペルシャ湾での「航行の自由」に触れ、「日本との関係で航路の安全を確保することはイランの責務だ」と述べた。
 また、イランの核問題の解決に向けて主要6カ国(米英仏露中独)とイランが最終合意した「包括的共同行動計画」を受け、イランでのビジネス参入を狙って積極的な動きを見せる欧米やトルコ、中国や韓国などに比べて「日本の民間セクターは出遅れている」と指摘。そのうえで「イランは日本と同じ地震多発国。自然災害への知見を備えた日本には原子力発電所の保全や安全対策の面での貢献を期待している」と述べた。【高橋宗男】』



2015年7月23日 毎日新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/bA4mO


2015年7月23日 毎日新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6aF4ufNEt


2015年7月23日 毎日新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0724-0314-52/mainichi.jp/select/news/20150724k0000m030046000c.html



【参考情報】
以下、2015年6月26日 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 大串博志議員(民主党)の国会質問に関する国会議事録より引用

2015年6月26日 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会の国会議事録(PDF)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/189/0298/18906260298014.pdf



○大串(博)委員 おはようございます。民主党の大串博志でございます。
 早速質問に入らせていただきたいと思います。
 まず、先ほどの岡田委員との議論に出ておりましたけれども、七十年談話のことに触れられましたので、少し私もフォローアップさせていただきたいと思います。
 もともと総理は、七十年談話に関して、閣議決定したもの、これをしっかり出していきたい、未来志向のものを出していきたいと強い意欲を示していらっしゃいました。最近の報道を見ると、それを、閣議決定した七十年談話、つまり六十年談話、五十年談話に匹敵するものではなくて総理の談話として格を変えて出していきたい、立場を変えて出していきたいというような報道もあります。これは、現下の国際状況、今岡田委員もるる述べられました韓国や中国との関係も含め、非常に私たちの国益にかかわる問題だと思います。
 この報道がある中で、この七十年談話、総理として閣議決定したものを出していこうというこれまでの意欲を貫徹される方向になるのか、それともそれとは違った形、立場、ステータスの、例えば総理の談話みたいな形で出していこうとされているのか、どちらなんでしょうか。お答えいただきたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 これは従来からお答えをさせていただいておりますように、戦後七十年を迎えて、安倍内閣としての考え方、過去の日本の歩み、そしてこれから日本はどのような貢献をしていくかということについて発信していきたい、こう申し上げているわけでありまして、どういう形式で談話を出していくかということについては今の段階ではまだ何も決めていないということでございます。

○大串(博)委員 形式に関してはこれまで決めていなかったということですけれども、並々ならぬ総理の意欲から、六十年談話、五十年談話に匹敵するものをつくっていきたいというような意欲があられるやに私たちは感じる。近隣諸国も感じる。その中で、六十年談話、五十年談話にあらわれていたような歴史認識がきちっとあらわせるか非常に注目が集まる。どういう形式になるのか、七十年談話として出されるのであれば。
 いろいろな見方もあるんですね。総理の談話というステータスの違ったものになるのであれば、そこは自由だということで、より安倍総理色が出るのではないか。未来志向はいいと思うんですよ。未来志向はいいと思うんですけれども、例えば歴史認識等々についてもより安倍総理色が出るんじゃないかというふうに、いろいろな見方をする国あるいは人もいるんじゃないかと思うんですね。そういう懸念があること自体がやはり不安を呼びます。不安定を呼びます。そういう意味で、私たちとしてはやはり、どういう形式であろうとも、先ほど岡田委員が述べたように、国として近隣諸国との関係をしっかりと紡いでいけるようなもの、これを出していただきたいということを改めて申し上げておきたいというふうに思います。
 それでは、次の質問に入らせていただきます。
 集団的自衛権を含む安保法制の問題ですけれども、憲法との関係の問題が非常に大きく議論をされてきました。自民党が呼ばれた憲法学者の方も含めて、憲法審査会の審議において違憲だという声が相次いだ。それを契機として、全国の憲法学者の皆さんの中でも声を上げられた方が非常に多くなった。今や何百人という方々が、今回の集団的自衛権を含む法案は違憲だというふうな意見になっている。
 しかも、先般月曜日にはこの委員会において参考人質疑も行われました。元内閣法制局長官の方々お二人にも参加していただいて、いろいろな論点が整理されてきたんじゃないかというふうに思います。これを少し整理すると、今回の集団的自衛権はなぜ憲法違反かということ、幾つか政府の方でこれだから合憲なんだというふうに言われている論拠がことごとく否定されてきているというふうに私は思うんですね。
 一つは砂川判決。これに関しては、宮崎元長官もおっしゃいました。日本の防衛力の不足をどう補うかということが論点、すなわち駐留米軍の合憲性が問題だったわけであって、そこに集団的自衛権の議論が入り込む余地なんかなかったはずだと。自衛権というものが認められた、それはそのとおりです。しかし、集団的自衛権あるいは個別的自衛権、それを区別して論じているところはない。実際、中谷大臣も六月十五日の当委員会での審議において、直接の根拠ではないということは明らかにおっしゃっています。したがって、これが合憲の判断につながるものではないということも明らかになっていると思います。
 さらに、昭和四十七年政府見解の基本的な論理。これが合憲の基準なんだ、つまりこの基本的な論理を踏襲しているから合憲なんだというふうにも言われます。しかし、この中に、外国からの武力攻撃を含むと。外国からの武力攻撃という言葉がこの基本的な論理の中にあります。それを、我が国に対する武力攻撃のみならず他国への武力攻撃も当時から含んでいたんだと、勝手に解釈することによって合憲だと言い募る。これについては宮崎元法制局長官も、前後の圧倒的な経緯からしてこれはあり得ない、黒を白と言いくるめる類いの話だというふうにおっしゃっていらっしゃいました。よって、これもバツ。
 三番目に、歯どめ。新三要件で厳格な歯どめがあるというふうに言われています。しかし、先ほどの岡田委員との議論でもありましたように、一体どこが歯どめなのかはっきりしない。ましていわんや、そういうことは言えないんだという言辞すらある。そういう中で、これは阪田元法制局長官ですけれども、ホルムズ海峡での機雷掃海の事案に触れて、ホルムズ海峡に機雷が据えられた、よって石油がなくなった、この石油がなくなったことをもって日本の国が大変になった、だから集団的自衛権を行使して外国に武力の行使を及ばせていくんだというようなことは満州事変のときの自衛と同じことになってしまうというふうに言われています。これもバツ。
 こういった形で政府がこれまで論拠としてきたものを一つ一つ検証していくと、それぞれが論拠たり得ないものであることが非常によくわかります。これだけ国民の中でも違憲だという意見がある。
 すなわち、先般、ある通信社が世論調査を行っていました。私非常に驚いたのは、この法案が適切でないという意見ではなくて、この法案が違憲であるという世論調査が五六%。半分以上の方が違憲だと、そこまでおっしゃっている。この委員会室の中では、政府を初め与党の皆さんはこれは合憲だという立場で議論されています。しかし、この国会議事堂の中を一歩出れば、外においては違憲だ、憲法違反だという意見が大半だ。
 この現状を踏まえると、やはりこの法案は一度撤回して、もう一回考え直して出し直してくるべきだと思いますが、総理、いかがでしょうか。

○中谷国務大臣 まず、そのパネルの一の部分に私の発言で、憲法の直接の根拠でない、バツとなっておりますが、私が申し上げたのは最高裁の判決が判例として法的拘束力を持つという意味での根拠ではないという趣旨でありまして、法制局長官もそのことは前提である旨を述べております。
 私はその後、最高裁の判決で、まず国連憲章は全ての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認していると述べたこと、そして判決は、憲法九条によって我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものでなく、我が国の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないとした上で、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と述べておりまして、憲法上認められる自衛の措置について個別的自衛権、集団的自衛権と区別をして論じているわけではないと。したがって、新三要件のもとで認められる限定的な集団的自衛権の行使は我が国の自衛の範囲に限られるものであり、砂川判決の範囲内のものであり、その意味で砂川判決は限定容認する集団的自衛権の行使が合憲であるとの根拠たり得るものです、こう発言をいたしておりますので、それは一方的な、部分的な記述でございます。

○安倍内閣総理大臣 まず一番目については、今既に中谷大臣が答弁をしておりますように、私からも申し上げますが、まさに砂川判決は合憲としての根拠たり得る、これは当然のことであろう、このように思うわけでございます。
 それと、二番目につきましては、砂川判決の中において、今、中谷大臣からも答弁をさせていただいたように、最高裁判決は、国連憲章は全ての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているというふうに述べているわけでありますから、集団的自衛権を念頭に置いていないという主張が一部には見られるわけでありますが、そうではないということは既に判決の中に書いてあるということで明白ではないか、こう思うわけでございます。
 そして、歯どめがないという、満州事変、これは余りにも飛躍ですね、これはひどい話でありまして、ちょっとどういうことなのかなと驚きを禁じ得ないわけであります。これはまさに、どこかの国にかいらい的なものを、国をつくっていこうということでありまして、日本がそんなことを今するということは考えられないわけでありまして、この法制でそういうことをしようとしているわけでは全くないわけでございます。
 まさにホルムズの例を挙げたのは、あそこを通って八割の石油が来る、ガスの四分の一が日本に入ってくるという状況の中において、ではどうするんだという話であります。いわば停戦合意ができていないという中においては遺棄機雷とも言えないわけでありますから、その中においては、まさにこれは受動的であり限定的であれば必要最小限度の中にとどまる可能性がある。そして三要件に当てはまれば、これは当てはまればですね。そう簡単には三要件というものには当てはまらないわけでありますが、当てはまれば、いわばこれは外国の領海ではありますが、例外的にそうした措置は行うことができる。
 大体、この議論の中において、それをやるべきだという議論が多いんですよね。機雷掃海はやるべきだという議論は結構多いんですが、それが個別的自衛権ならオーケーで集団的自衛権ならだめだという議論でしかないわけでありますが、これは国際法的にどう見られるかというものであります。ここで我々が議論をして決められることではなくて、国際法的にどう見られるかということが議論の中にあって、これは国際法的には集団的自衛権の行使として判断される、され得るという中においては、我々もそういう例外としての解釈は持つべきだろう、こう考えているわけであります。
 それがいきなり満州事変、これは違和感を感じざるを得ないということでございまして、結論として、この三つともバツというのは誤りであるということでございます。

○大串(博)委員 今、総理の御発言を聞いていて、やはり随分世論と乖離があるなというふうに思いました。ホルムズでの機雷掃海、結構やるべきだという人の意見が多いんですよねと、すかっと言われましたけれども、私の周りではそういうふうな声は余りありません。
 もちろん、日本に向けた機雷が敷設されて、それが日本の国民の権利を根底から覆すのならというようなことはあるかもしれません。しかし、このホルムズの事例をもってして、これはやるべきなんだ、あとは個別的自衛権か集団的自衛権かの位置づけの問題なんだ、そういうふうな考え方をされている人は私はほとんどいないと思います。
 満州事変の話もありました。総理はそうおっしゃいます、確かに事案は違うかもしれない。しかし、どこまで行くんだろう、自衛という言葉でどこまで行っちゃうんだろうというような漠然としたおそれ、不安を持つからこそ、国民の皆さんはこれだけ反応されているんだと私は思いますよ。
 砂川判決のこと、砂川判決に関しては、今おっしゃったことはこれまでもずっとおっしゃっていたことです。しかし、その中に一つとして直接の根拠だというふうにおっしゃったことはありません。個別的自衛権、集団的自衛権、その区別はなかったということはおっしゃいます。確かに自衛権は認めている。しかし、個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はなかった。よって、軌を一にしているという言葉だけであって、これを直接の根拠だというふうに言われたことは一度もないというふうに私は思います。
 さらに、きょう少し議論を進めさせていただきたいのは、今総理があえて触れられませんでした四十七年政府見解の基本的な論理、ここであります。これは今回の議論の根幹でありまして、昭和四十七年政府見解の基本的な論理、これを踏襲しているがゆえに今回のこの考え方は合憲なんだ、こういうふうに言われます。
 資料二ページを見ていただきたいと思いますけれども、四十七年見解がここにございます。
 第三段落目、これが第一ブロック、第二ブロック、第三ブロックに分かれていて、第一ブロックは、これが砂川判決と軌を一にすると言われている、憲法上においても自衛の措置をとることは許されているということが書かれているブロック。第二ブロック、ここは、若干それを制限しなきゃならぬということで、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫不正の事態に対処して、さらにこれらの権利を守るためにやむを得ない場合、しかも必要最小限度の範囲でなら自衛の措置はいいんだよという限定をかけた部分。この第一ブロックと第二ブロックをあわせて基本的な論理だ、これを今回踏襲しているからいいのだ。第三ブロックの当てはめだけ、事実認識が変わったから。第一ブロック、第二ブロックの基本的な論理は踏襲しているからいいんだというふうに言われています。
 第二ブロックの外国の武力攻撃、ここが問題なんです。
 これは、日本に対する外国の武力攻撃か、それとも他国への武力攻撃も含むのか。これに関して法制局長官は、日本に対する武力攻撃に限らないという答弁を既に行っていらっしゃいます。そのはずでしょう、恐らく政府の論理としてはね。そうじゃなければ、第三ブロックで、新たな事実認識が生まれたから集団的自衛権は限定的に可能なんだという理屈は生まれてきません。恐らく政府としてはそういう論理なんだろうというふうに思います。
 しかし、先般の参考人質疑のときもいろいろな議論があり、外国の武力攻撃というのは、これをつくった四十七年当時の議論の前後の圧倒的な経緯からしても、日本に対する武力攻撃としか読めないというふうに宮崎法制局長官も言われていました。
 もう一枚資料をめくってください。それは何かといいますと、三ページであります。
 これは、四十七年の政府見解をつくられる一カ月前、参議院での議論です。まさにこのときの議論が前提となって、このときに政府見解を出してくれと言われて、この四十七年政府見解が出ました。このときの法制局長官吉国さんの答弁、特に下の段を見ていただきますと、繰り返し繰り返し、我が国が侵略されて我が国民の生命、自由、幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛する必要な措置をとると。左側の方も、「わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だ」というふうに繰り返し言われています。
 一ページ戻ってもらうと、まさにこの二ページ目のところの第二ブロック、外国の武力攻撃、ここのところに対して我が国に対する侵略ということを繰り返し既におっしゃっている。既にこれをおっしゃった上で、これは九月でございます、紙にまとめてくれという要請をされて、それに対して吉国長官が十月にまとめたのがこの四十七年政府見解。この経緯からしても、外国からの武力攻撃というのは、日本に対する武力攻撃、これだったというふうに言わざるを得ないと私は思います。
 この外国からの武力攻撃というところを、他国へというものも含められると考える積極的な理由があったら、法制局長官、教えていただきたいと思います。

○横畠政府特別補佐人 昭和四十七年の政府見解の二の部分の御指摘でございます。そこの、外国の武力攻撃という文言が表示されているわけでございます。
 四十七年見解の全体の構成につきましてはこれまでもるるお答えしているとおりでありまして、一、二は基本論理。三の結論が出ていますが、その当時の前提の認識といたしましては、一、二に該当する、むしろ二に明示されている国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態というのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合、それしか考えられないんだという事実認識に基づいて三の結論に至っているというふうにまさに書いてあるわけでございます。
 端的に、二の部分の外国の武力攻撃がなぜ我が国に対する武力攻撃に限られないのかというお尋ねでございますけれども、あえてそこで限るとしてしまうと、結論として三、すなわち「そうだとすれば、」という結論に至らない。三のところでまさに、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるということで、そこで初めて我が国に対するということが出てくるということでございます。その過程において、なぜ憲法九条のもとで例外的に我が国は武力の行使が可能なのか、まさに基本論理のところにおいてはその限定がないというふうにしか読めないわけでございます。
 裏から申し上げますと、二の部分の外国の武力攻撃というのが我が国に対する武力攻撃に限るんだ、仮にそうだとしますと、今回政府が考えておりますように、外国に対する武力攻撃の場合であっても国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある、そういう急迫不正の事態というのがあるんだという前提に立ちますと、では、その場合に国民を犠牲にするのか、国民を犠牲にしろと憲法が言っているのか、そういう解釈をするのかという問題になるわけです。そんなことはないだろうというのが結論でございます。

○大串(博)委員 今の答弁ではよくわからないので、きちんと答弁していただきたいと思います。
 先ほど申しましたように、事前に、一カ月前に、我が国が侵略された場合に、国民の権利が根底から覆されたその場合に自衛の措置をとることが可能だと、繰り返し吉国長官は言った上でこの四十七年見解をまとめられている。普通に考えると、当然それは言ったことをそのまま書いた、あらわした。外国の武力攻撃というのは自国に対する、つまり日本に対する武力攻撃だというふうに考えるのが普通ではないのかということなんです。
 今の説明だと、第三ブロックに「そうだとすれば、」と結論が書かれているので、第三ブロックと第二ブロックに同じことが書かれていることになっちゃうじゃないですかと。だから、違うことが第二ブロックと第三ブロックに書かれていなければいけないので、第三ブロックは我が国に対すると書かれているけれども、第二ブロックは我が国とは書かれていないんですよ、こういうふうな説明でありました。
 しかし、第二ブロックと第三ブロックは違うことが随分たくさん書かれているんですよね。第三ブロックは、第二ブロックに書かれていない、集団的自衛権は使えないということが書かれているんですよ。そこだけで随分違うんですよ。
 だから、そうだとすればという言葉をもってして、第二ブロックと第三ブロックは違うことが書かれていなければならない、よって第二ブロックは我が国に対するとは書かれていない、ここはあえて書かれていないんだ、その積極的な理由にはならないと思うんです。加えて言いますと、何度も言いますけれども、これだけ法制局長官が、一カ月前、この紙をまとめてくださいと言われたときに、我が国に対する武力攻撃、侵略と何度も言った上でこの紙をまとめているんですよ。それを覆して他国も含むというふうにあえて答弁する、あえて考える積極的な理由を教えてくださいということなんです。
 なぜこれがこれだけ大切かというと、長官はこの場で述べられているんです。第一ブロック、第二ブロック、ここが変えられない基本論理なんだ、ここを変えるようなことは憲法改正をしなきゃならないんです、そこまでおっしゃっているんです。ところが、過去の経緯に照らしてみると、外国の武力攻撃というところの読み方に関して、吉国長官は日本に対する武力攻撃だと言っていた。
 それを都合よく勝手に、他国も含むと勝手に読みかえているじゃないですか。まさにここに憲法違反の読み方の根源があるじゃないですか。だから、ここの説明は極めて厳格にやってもらわないと困るんです。どうですか、長官。お願いします。

○横畠政府特別補佐人 何度もお答えしているとおりでございまして、基本論理の部分を変えるというのはまさに憲法改正を必要とすることであろうということでございます。
 三の結論の部分に至っていますのは、まさに当時の事実認識として、繰り返しませんけれども、根底から覆される急迫不正の事態、これに当たるのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみである、そういう事実認識に基づいているということでございます。
 御指摘の吉国法制局長官も昭和四十七年九月十四日の参議院決算委員会におきまして、引用されている部分とは別の箇所でございますけれども、「集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が――日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではない」というふうに述べています。まさにその事実認識を前提にして、当時の議論がなされていたということでございます。
 加えて、当時の集団的自衛権というものについては、吉国長官は、「他国の侵略を自国に対する侵略と同じように考えて、」「その侵略を排除するための措置をとるというところは、憲法第九条では容認しておらない」、そのような答え方をしているところでございます。

○大串(博)委員 法制局長官にいま一度確認、答弁を求めたいと思いますけれども、長妻委員に答弁されたように、外国の武力攻撃、これは他国への武力攻撃も当時から含んでいたという理解でよろしいですね。

○横畠政府特別補佐人 当時から含んでいたというお尋ねの趣旨でございますけれども、当時、他国に対する武力攻撃を意識、認識してそのように述べていたものとまでは言い切れないと思いますけれども、論理として示されている根拠、理由としてはそれも含み得るものであるということでございます。

○大串(博)委員 今おっしゃった、論理としてここに他国への武力攻撃も含み得るというのはどういう意味ですか。

○横畠政府特別補佐人 先ほどもお答えしたとおり、憲法第九条のもとにおきまして、九条そのものが、まさにその文言からしますと一切の武力の行使を禁じているかのようにも見えるわけでございます。ですから、自衛隊の違憲論等々いろいろあったわけでございますけれども、今もございます。ですが、九条のもとにおきましても例外として我が国が武力を行使できる場合があるんだということでございます。
 では、なぜかということでございます。それは、我が国の存立とか国民が他国の武力攻撃の結果まさに危機に瀕する、そのような、まさに権利が根底から覆されるという事態に陥るときに何もするなというふうに憲法が命じているはずがないだろうというのが基本的な論理でございます。

○大串(博)委員 国民の権利が根底から覆されるときに、それが日本に対する武力行使だろうと他国に対する武力行使だろうと何もするなということを憲法が考えているはずがないから、他国への武力攻撃もここに含めて考えるんだ、そういうことだと今おっしゃいました。そうすると、まさに今、横畠長官がおっしゃった理屈は、政府が今回この第一ブロック、第二ブロックの基本論理を用いて、第三ブロックの事実認識を当てはめることによって集団的自衛権は可だというふうに言ったこと、それをそのまま繰り返しているだけにすぎないんですね。
 もう一つお尋ねさせていただくと、論理的にそうだと言っても、本当にそれは論理的にそうか。
 四ページを見ていただきますと、これは長妻委員に対する横畠長官の答弁です。これは今おっしゃったようなことそのものなんですけれども、波線のところ、左上です。外国の武力攻撃という部分は必ずしも我が国に対するものに限定されないと。今おっしゃいました。そこをおっしゃっている。次に、棒線が引かれています。当時におきましては、そのような国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆るような急迫不正の事態というのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという認識を持っていたと。
 すなわち、当時の吉国長官はどういう認識であったかというと、横畠長官の認識では、我が国の権利が根底から覆されるのは我が国に対する武力攻撃が行われるそのときだけだという認識を吉国さんは持っていらっしゃったということですね。吉国さんはそういう人です。横畠さんの認識を代弁させていただくと、吉国さんの頭の中は、我が国に対する武力攻撃が行われたときにのみ国民の権利が根底から覆るんだという頭を持っていらっしゃる方です。
 その方が書かれた文章が二ページ。そこに「外国の武力攻撃によつて」と書かれている。吉国さんは、繰り返しになりますけれども、我が国に対する武力攻撃が行われたときのみ国民の権利が根底から覆されるという頭を持った人であると横畠さんはおっしゃっています。
 吉国さんがそういう人であれば、外国の武力攻撃、ここに他国へが入り込む論理的な根拠はないじゃないですか。吉国さんは、だって、海外の武力攻撃で我が国の権利が根底から覆されるということは頭にないわけですから。外国の武力攻撃と書いた場合に、日本に対する、これのみしか論理的にあり得ないじゃないですか。いかがですか。

○横畠政府特別補佐人 当時の担当者が具体的にどういう場合を想定していたかという話と、現に文字で書かれ、言葉として、文書として残されている論理の中身というのは必ずしも同じではない。つまり、当時の担当者が考えていたことしかそのとき示した論理というのが適用にならないということではないということでございます。
 例えば、憲法は通信の秘密というのを保障してございます。憲法が制定された当時はインターネットなどなかったんです。ところが、Eメールとかそういうインターネットの通信も当然やはり通信の秘密として保護されるというふうに我々は考えております。学説もそうでございます。
 すなわち、論理というものは、その当時に担当者が何を考えていたかということとはちょっと違う。論理は論理としての意味を持ってその後につながってきている、現在残っているということでございます。

○大串(博)委員 例を言われたので私も例を挙げますと、世の中に花があります、花がある。この花は、赤い花と青い花の二つしかない。四十七年当時、吉国さんは、花は赤いものだけであるとしか頭の中になかった。同じく四十七年当時、花はきれいだなとおっしゃった。しかも一カ月前に、赤い花はきれいだな、赤い花はきれいだなと何度もおっしゃっている。その一カ月後に、花はきれいだなと繰り返しおっしゃった。
 当時、吉国長官は赤い花しか世の中にはないと思っていらっしゃる。その吉国さんが花はきれいだなと言ったときに、青い花もきれいかもしれないなというふうに思っているとはあり得ないじゃないですか。そのことを言っているわけです。いかがでしょうか。(発言する者あり)

○浜田委員長 静粛に願います。静粛に。


○横畠政府特別補佐人 例えばバラの花というのがございます。昔、青いバラというのはなかったんです。いろいろな遺伝子技術その他で青いバラというのが開発されました。バラがきれいだなと思っていた人であるならば、やはり青いバラもきれいだなと思うことがあるんじゃないでしょうか。

○大串(博)委員 今の例えを前提とすると、長官、吉国さんは後世になって、他国への武力行使にも国民の権利が根底から覆される可能性があるというふうに思うに至る可能性があり得たのではないかということをおっしゃっているわけですか。もしそうであれば、これは合憲であるということですか。そういうことを今判定されておっしゃっていたわけですか。もう一度きちんと答弁してください。

○横畠政府特別補佐人 論理といいますのは、それを考えた人、個人の頭の中にもともとあります。しかし、それが言葉となって外に出れば、これはもう社会的な存在でございます。そういうものとして今、論理として生きているもの、それを論じているわけでございます。

○大串(博)委員 その論理が、横畠さん、花というものは赤いものだという論理だったんですよ。それは、横畠さんもおっしゃっているように、当時は我が国に対する武力攻撃だけが国民の権利を根底から覆す、だからそれに対して自衛の措置をするのはよいという論理だったんですよ。だからこそ、第三ブロックにおいても集団的自衛権はだめだという結論になっているわけです。
 それが、後追いで見て、いやいや、吉国さんは当時、日本に対する武力攻撃だけじゃなくて他国への武力攻撃も排除していなかったんだと積極的に言える理由がどこにあるんですか。積極的にそう言える理由がどこにあるんですか、そういうことなんです。それを答えてくださいということなんです。

○横畠政府特別補佐人 何度もお答えしているとおり、当時におきまして、その後も実はそうなのでございますけれども、長い間やはり、国民の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態といいますのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合、それに限られるんだという事実認識、それを持っていたということでございます。
 その事実認識が変わるんだということであるならば結論が変わる、結論が一部ですけれども変わるということで、まさか集団的自衛権の全部が認められるということを申しているわけじゃなくて、まさに限定的、三要件で限定されるその場合に限って、国際法上は集団的自衛権と言われるもの、それも認められるのではないかということを申し上げているわけでございます。

○大串(博)委員 そのことを聞いているわけじゃなくて、当時の吉国さんが日本に対する武力攻撃のみが国民の権利を根底から覆すというふうに考えていたにもかかわらず、その後、いやいや、あれは違うんだ、他国への武力攻撃も含んで考えていたんだと積極的に考えを変えられる理由はどこにあるんですかということなんです。
 この積極的な理由を説明していただかないと、この一ブロック、二ブロックの基本的な論理は変えていません、これは変えていないから憲法改正は必要ありません、憲法の範囲内ですという説明が完結しないんです。だから言っているんです。
 他国への武力攻撃も含まれるという頭が当時なかった人が書いた文章であるにもかかわらず、なぜ他国への武力攻撃もここに含めて考えられるかという積極的な理由を言ってください、そういうことなんです。

○横畠政府特別補佐人 その論理といいますのは、だから、当時の担当者の頭から出て紙として今に残っているということでございまして、当てはめの問題につきましてはまさに現在の事実認識がどうかということでございまして、そこがなぜ変わるのかということは、まさに論理ではなくて、安全保障環境がどのように変化したのか、そういうことによるわけでございます。

○大串(博)委員 今、横畠長官がおっしゃったように、当時の論理というのは当時の書いた人の頭から出てとまさにおっしゃいましたから、そこなんです。当時の書いた人の頭の中は、我が国に対する武力攻撃のみが国民の権利を根底から覆されるという論理だったんです。それをなぜ他国へも含めるというふうに言えるのか、その積極的な理由を教えてください、その端的な問いに答えてください、そこだけなんです。どうぞ。

○横畠政府特別補佐人 御指摘の部分は論理ではなくて事実認識であるということを繰り返し申し上げているわけでございます。

○大串(博)委員 私は第二ブロックの話をしているんです。まさに論理のところです、横畠長官。第二ブロックの外国の武力攻撃、ここを議論しているんです。吉国さんはその一カ月前、何度もここに関して我が国に対する侵略と繰り返し言っている。かつ、吉国さんは当時、我が国に対する武力攻撃のみが国民の権利を根底から覆すというふうに考えている人であった。これを前提とすると、外国の武力攻撃というのも我が国に対する武力攻撃としか考えられないじゃないですかということなんです。
 つまり、基本的論理として、我が国に対する武力攻撃のみが我が国の権利を根底から覆されるという基本論理だった、それを今回勝手に変えているじゃないですか、勝手に変えていないと言うんだったら、当時からここは他国というのを含んでいたんだと言える積極的な理由を言ってくださいというふうに言っているんです。どうですか。

○横畠政府特別補佐人 まさに三の結論、我が国に対する急迫不正の侵害というのが結論の部分でございまして、基本論理の二のところの外国の武力攻撃というのはその前提としてのまさに論理でございまして、二の外国の武力攻撃というのが我が国に対する武力攻撃のこととして限定して読むべきではないということをるる申し上げているわけでございます。
 その意味で、結論の部分、つまり我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限って我が国として武力の行使をすることができるという部分は結論なのでございまして、それ自体が基本論理そのものではないということを申し上げているわけでございます。

○大串(博)委員 この議論ばかり長々とやっているわけにいかないんです。ほかにもやりたいことがありますので。
 ただ、端的に答えてもらいたいのは、第三ブロックの当てはめのところではないんです。第二ブロックの基本的な論理のところが、当時から既に、日本に対する武力攻撃だけが我が国の権利を根底から覆すというふうなことになっていたんじゃないか、それを他国へのものも含むと考える積極的な理由があるかということを端的に答えていただきたかったんです。
 それはなかなか答えられないので、ここが鍵なんです。これは鍵なので、さらにこの委員会でまた議論していきたいと思います。委員長におかれても、これはしっかり答弁していただくように御督促いただきながら、また議論させていただきたいというふうに思います。
 さらに、歯どめの部分の話ですけれども、他国領域、先ほどのホルムズの話です、総理。
 新三要件を満たせば認める、法理的には新三要件を満たせば他国領域での武力行使も認められる、こういうことですね。しかし、必要最小限という限定要因、三要件のうちの一つから一般的には認められない。しかし、例外的に認められるものもある。しかし、政策的には例外というのはホルムズだけである、こういうことですね。
 そうすると、私が理解するところは、他国領域での武力行使というのは図であらわすとこういう感じかなと。すなわち、法理として新三要件を満たせば認められるという部分があって、その中を分解してみると、一般的には認められないという部分があって、しかしそれを、何がしかの基準があって、でも認めようという例外部分がある。しかし、その例外も認められないという部分がある。はてなと書きました、この部分の差はある。こういうことかなというふうに理解しましたけれども、こういう理解でよろしいですか。

○安倍内閣総理大臣 この図がいいか悪いかというのは直ちには申し上げることはできませんが、基本的には新三要件が満たされれば認められるわけでありますが、しかし、従来から申し上げておりますように、基本的には一般には海外派兵は認められない。なぜ認められないかといえば、これは必要最小限度を超えていく。これは従来からの政府の一貫した考え方であります。
 では、その中で、例外としては、例えば個別的自衛権のときにも議論として敵基地の攻撃ということは、座して死を待つべきではないという考え方で例として挙げています。しかし、実際問題としては我々にはその能力もないわけでございまして、日米の役割分担の中で我々は盾に徹しているということもございます。そこで、今回の例外としては、例外はほとんどないのではないか、こう考えておりますが、しかし、その中で今念頭に唯一あるのがホルムズである、こう申し上げていいのではないか、こう思っているわけでございました。
 そこで、まさにこの例外というのは、分量がちょっと多いんじゃないかというふうに思うんですね。だから、量的な概念もやや示しているところがありますので、これが果たして正しいかどうかということは私は言えないと思いますけれども、ただ、もちろんそういう可能性はあるということでございますから、しかし、可能性があるものについても、これは種々の状況を見て三要件に当てはまらなければ、今例として挙げたものについても実際に起こったときに条件に当てはまらなければならないというのは当然のことであろう、このように思います。

○大串(博)委員 政府は、新三要件というのは非常に厳密な歯どめであって明らかだ、こういうふうに言われますけれども、ここが非常に不明確なんですよ。つまり、一般に認められない海外での武力行使はというふうに、非常に大きな言葉として言われます。だから中東への戦争に飛び込むことはないんだ、こういうふうに言われます。
 では、例外が認められる基準は何か。あるいは政策的にはホルムズ、これが唯一の例だろうというふうに言われます。ホルムズは認めて、ホルムズ以外は認めない、そのときの基準は何か。この基準の二つ、ここが今当然のようにこの委員会の中でも語られているけれども、どういう場合に一般には許されないけれども例外的に海外に行くのか、あるいは例外的に認められたけれどもこれ以上はさすがにもう行かないんだ、この基準。総理、どういう基準なんでしょうか。

○安倍内閣総理大臣 大変いい質問をしていただいたと思います。
 つまり、それは、機雷の除去、これは極めて受動的で……(大串(博)委員「一般例」と呼ぶ)一般論としてですね。しかし、一般論として私が挙げているのはホルムズしかないわけでございますから、ホルムズの例に限って申し上げます。つまり、機雷の除去という極めて受動的なものに限られるわけであります。
 まず、機雷の除去というのは、機雷を不法に敷設するという行為がまずあって、後であります。そして機雷の除去をする。かつ、これは国際法的にはいわば武力攻撃として集団的自衛権の行使に当たりますが、まさに危険な機雷を除去する、そこを航行する、安全に通りたいという多くの商船、タンカー等のために除去をするわけでございます。これは日本一国のみではなくて多くの国々にとって、ホルムズ海峡を通過する、平和な暮らし、国民の安全な暮らしを維持するためにも必要なものであります。それはまさに受動的、限定的なものであるということでございまして、その中において必要最小限度の中に考えられ得るということでございます。
 そして、当然、同時に三要件に当たらなければならないわけでありまして、この三要件は非常に高い。ホルムズ海峡が封鎖されれば直ちにということを私は申し上げているのではありません。国の存立が脅かされ、国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆されるまさに明白な危険ということでございまして、そういう状況になるのかどうかということを示していくわけでございまして、それをさらに説明するというのは、今までも説明をしておりますよね、そのままにしておけば我が国が武力攻撃を受けたと同様の深刻、重大な被害が生じる、これは申し上げているとおりでありまして、これが基準であります。これは何回も何回も皆様にお話をさせていただいているとおりでございまして、これが基準ということでございます。

○大串(博)委員 最後の新三要件のことは私は全く聞いていないんです。それはこの範囲の中ですから。基準一と基準二、これを聞いているんです。それに対して受動的、限定的という答えがありました。これが一般的な基準なのかについてさらに議論させていただきたいと思いますし、それが一体どこから導き出された基準なのか、これについてもこれからさらに議論させていただきたいと思います。
 ありがとうございます。

大串博志(民主)議員 衆議院 平和安全特別委員会 2015年6月26日 1/2



大串博志(民主)議員 衆議院 平和安全特別委員会 2015年6月26日 2/2
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