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「いろいろと重要法案があるが、平和安全法制はどうしてもこの国会で仕上げたい。日本を取り巻く安全保障環境も大きく変化してきたので、『ここが足りないな』というところが、議論のうえでも明らかになってきており、きちんと仕上げて国民生活や日本の生存を確固たるものにしていきたい。会期を延長したばかりなのでまずは、理解を得るために誠心誠意努力したい」by谷垣禎一

2015.06.29.Mon.13:16
2015年6月28日 NHKニュースの記事より引用
『安全保障関連法案巡り与野党が議論
6月28日 11時57分

NHKの「日曜討論」で、延長国会の最大の焦点の安全保障関連法案について、自民党の谷垣幹事長が今の国会で確実に成立させたいという考えを示したのに対し、民主党の福山幹事長代理は、「憲法違反の疑いが強い」として、廃案にして提出し直すべきだと主張しました。
このなかで、自民党の谷垣幹事長は、安全保障関連法案について「いろいろと重要法案があるが、平和安全法制はどうしてもこの国会で仕上げたい。日本を取り巻く安全保障環境も大きく変化してきたので、『ここが足りないな』というところが、議論のうえでも明らかになってきており、きちんと仕上げて国民生活や日本の生存を確固たるものにしていきたい。会期を延長したばかりなのでまずは、理解を得るために誠心誠意努力したい」と述べました。

公明党の井上幹事長は「平和安全法制は、国の存立や国民の生命を守り、国際貢献で、日本がどういう役割を果たしていくかという点で極めて重要な法案であり、徹底審議して議論を深め、国民の理解を得て、結論を出したい。とにかく丁寧な審議を通じ、法案の中身や必要性に理解を得たい」と述べました。

民主党の福山幹事長代理は「違憲の疑いが強く、国民の理解が深まっていない安全保障法制を、数の力でなんとしても成立させようとして会期を延長したことは言語道断だ。5月の中旬に、11本の法案を一緒に議論をしろと押しつけてきて、95日間の会期延長という勝手な国会運営は認められず、法案は廃案にして出し直すべきだ」と述べました。

維新の党の柿沢幹事長は「わが党は憲法との適合性を確保しつつ、自国防衛の不安を払拭(ふっしょく)するための独自案を作っており、党対党の協議をお願いしたい。95日間の会期延長は、最後は問答無用で数で押し切り『60日ルール』を使おうという姿勢が見え隠れしているので、使うべきではない」と述べました。

共産党の山下書記局長は「『戦争法案』を何が何でも強行するための延長であり断固抗議したい。憲法9条を踏みにじり、日本を海外で戦争する国に作り替える違憲立法で、審議が進むほど国民に反対の声が広がっており、撤回し廃案にするしかない」と述べました。

次世代の党の松沢幹事長は「わが党は、今の憲法の下で集団的自衛権も含めて導き出せると考えている。会期が延長された以上は、しっかりと法案の審議をし、絶対に審議拒否はせずに採決で決着をつけて政治の方向を決める考え方で臨みたい」と述べました。

社民党の又市幹事長は「政府・与党が、どんな法案でも通すことができることを避けるための会期制であり、会期の延長は全会派が合意することが原則だ。一方的な延長はルール違反であり、『60日ルール』を使うことも断じて許されない」と述べました。』



2015年6月28日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/oUnZH


2015年6月28日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150629041102/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150628/k10010130571000.html


2015年6月28日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZdgLIoOr


2015年6月28日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0629-1312-49/www3.nhk.or.jp/news/html/20150628/k10010130571000.html
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自民党の若手議員が2015年6月25日に作家の百田尚樹氏を講師に招いて開いた勉強会「文化芸術懇話会」において、出席した自民党議員から「マスコミをこらしめるには広告料収入がなくなるのがいちばんだ」などの報道機関への批判や、「沖縄の世論がゆがんでおり、なんとかしなければいけない」といった沖縄の地元紙の報道への批判が相次いだのに加え、当該勉強会に講師として参加した百田尚樹氏は、「沖縄の2つの新聞はつぶさなければならない」と発言している。

2015.06.27.Sat.16:42
2015年6月26日 NHKニュースの記事より引用
『自民若手議員らが報道批判 谷垣氏「品位必要」
6月26日 21時19分

自民党の谷垣幹事長は記者会見で、自民党の若手議員らが25日開いた勉強会で、報道機関に対する批判が相次いだことに関連して、冷静な対応が必要だという考えを示したうえで「主張のしかたには品位が必要だ」と述べました。
自民党の若手議員らが25日に作家の百田尚樹氏を講師に招いて開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、出席した議員から「マスコミをこらしめるには広告料収入がなくなるのがいちばんだ」などの報道機関への批判が出されたほか、沖縄の地元紙の報道について「沖縄の世論がゆがんでおり、なんとかしなければいけない」といった指摘が出されました。
また、講師の百田氏は、沖縄の地元紙の報道に関連して「沖縄の2つの新聞はつぶさなければならない」などと発言しました。
これに関連して、谷垣幹事長は記者会見で「白熱した議論のときは、メディアから見れば不愉快な発言が出るかもしれないし、時々、メディアのほうにも私どもにとって不愉快な発言があるのも事実で、お互いボルテージが上がることはあるが、双方冷静に行こうということだ」と述べました。そのうえで谷垣氏は、「メディアに対して、われわれがこの表現はどうだと思うときに、批判や反論をすることは当然あっていいし、むしろなければいけないが、その主張のしかたには品位が必要だ」と述べました。
一方、安全保障関連法案を審議している衆議院の特別委員会の理事会で、この問題が取り上げられ、野党側が「看過できない」などと抗議したのに対し、自民党の理事は「誠に不見識で申し訳ない」などと陳謝しました。
「言論弾圧の暴論」地元紙が抗議声明
沖縄の地元紙2紙は、「表現の自由、報道の自由を否定する暴論だ」として、共同で抗議声明を発表しました。この中で、沖縄の地元紙2紙は、「“言論弾圧”の発想そのもので民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論だ」と抗議しました。そのうえで、「戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した反省から出発し、政府に批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。『批判的だから、つぶすべきだ』という短絡的な発想は極めて危険だ。言論の自由、報道の自由を弾圧するかのような動きには断固として反対する」としています。
沖縄では大きく伝える
自民党の若手議員らが開いた勉強会で、沖縄の地元紙の報道を巡り「世論がゆがんでいる」などという指摘が出されたことを受けて、沖縄県の主要な新聞は26日の朝刊で、紙面を大きく割いて事実関係を伝えています。
このうち「沖縄タイムス」は、1面と社会面で議員の発言や勉強会に招かれた作家の百田尚樹氏の発言を詳しく掲載し、「まだこんなことを言う人がいるのかと耳を疑う」などとする住民の声を紹介しています。
また「琉球新報」は社会面で取り上げ、地元大学の教授の「民主主義の土台には多様な情報を発信するメディアが必要だ」などとするコメントを紹介しています。

自民党沖縄県連に所属する宮崎政久衆議院議員は、百田尚樹氏の沖縄に関連した発言は事実と異なる点があり容認できないとして、勉強会を主催した木原稔青年局長に抗議しました。これに対し木原氏は「事実かどうかを調べたい」と述べました。
自民 国対委員長が注意
安倍総理大臣は衆議院の特別委員会で、「党において、さまざまな議論が行われるが、基本的には自民党は自由と民主主義を大切にする党で、当然『報道の自由というのは、民主主義の根幹である』という中での議論だと思う」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「私は存じ上げないが、それが事実であるとすれば大変遺憾だが、当然、党の正式な会合ではなく、有志が集まった会合であり、その中の発言がどのような形で報道されたかということについても、確認をしてみる必要はある」と述べました。
また、自民党の佐藤国会対策委員長は、安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会に影響しているとして、勉強会を主催した木原稔青年局長らを呼びました。
そして佐藤氏は、勉強会について説明を受けたうえで「安倍政権の応援団が後ろから鉄砲を撃ってどうするのか。応援団だとしても、結果としてそうなっている。結果がすべてだ」などと述べ、木原氏を注意しました。また同席した棚橋幹事長代理も、今後の勉強会の運営を適切に行うよう求めました。』



【ご参考】
自民党の文化芸術懇話会参加メンバー
代表:木原稔
参加メンバー:加藤勝信、萩生田光一、薗浦健太郎、青山周平、池田佳隆、石川昭政、井上貴博、大岡敏孝、大西英男、
大西宏幸、岡下昌平、鬼木誠、熊田裕通、今野智博、坂井学、佐々木紀、白須賀貴樹、高鳥修一、谷川とむ、田畑裕明、
長尾敬、藤原崇、星野剛士、堀井学、前田一男、松本洋平、宮川典子、宮沢博行、武藤貴也、宗清皇一、簗和生、山下貴司、山田賢司、滝波宏文、長峯誠、宮本周司




2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/S1EAL



2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627072243/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150626/k10010128671000.html



2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZaqFUMkF


2015年6月26日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1631-35/www3.nhk.or.jp/news/html/20150626/k10010128671000.html



2015年6月25日 朝日新聞の記事より引用
『経団連に働きかけ、マスコミ懲らしめを」 自民勉強会
2015年6月25日22時56分

 安倍政権と考え方が近い文化人を通し、発信力の強化を目指そうと、安倍晋三首相に近い若手議員が立ち上げた勉強会「文化芸術懇話会」(代表=木原稔・党青年局長)の初会合が25日、自民党本部であった。出席議員からは、広告を出す企業やテレビ番組のスポンサーに働きかけて、メディア規制をすべきだとの声が上がった。

 出席者によると、議員からは「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」など、政権に批判的な報道を規制すべきだという意見が出た。

 初会合には37人が参加した。官邸からは加藤勝信官房副長官が出席し、講師役に首相と親しい作家の百田尚樹氏が招かれた。同会は作家の大江健三郎氏が呼びかけ人に名を連ねる「九条の会」などリベラル派に対抗するのが狙い。憲法改正の国民投票まで活動を続けたい考えだという。』



2015年6月25日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/sPmlk


2015年6月25日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZawBXoA7


2015年6月25日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627085457/http://www.asahi.com/articles/ASH6T5W6FH6TUTFK00X.html


2015年6月25日 朝日新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1755-22/www.asahi.com/articles/ASH6T5W6FH6TUTFK00X.html



2015年6月26日 東京新聞の記事より引用
『【政治】
自民勉強会 「暴言」「統制」野党が批判 安保特別委 首相「事実なら遺憾」
2015年6月26日 夕刊

 安倍晋三首相は二十六日午前の安全保障関連法案に関する衆院特別委員会で、自民党若手議員が二十五日に開いた勉強会で、安保法案への理解が広がらない現状から報道批判が相次いだことについて「報道は承知していないが、事実であれば大変遺憾だ」と答弁した。民主党の寺田学氏は「新聞で報道され、開いた口がふさがらなかった。由々しき問題だ」と批判した。 
 首相は「自民党は自由と民主主義を大切にする政党だ。報道の自由は民主主義の根幹という中での議論だと思う」と説明。勉強会については「党の正式な会合ではなく、有志の会合だ」とも釈明した。
 二十六日午後の質疑の冒頭で、浜田靖一委員長は自民党の勉強会で報道された発言があったと委員会として確認した上で「甚だ遺憾だ」と述べた。
 加藤勝信官房副長官は特別委で、勉強会に出席して作家の百田尚樹氏の講演を聴いたと認めた。「一自民党議員として出席した」と述べた。
 二十五日の勉強会では、百田氏が沖縄の地元紙二紙(琉球新報、沖縄タイムス)を「つぶさないといけない」と発言。出席議員からは「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などと言論封殺ととられかねない発言が続いた。
 民主党の長妻昭代表代行によると、二十六日午前の特別委理事会では民主、維新、共産三党が「暴言だ」と厳重抗議。自民党の江渡聡徳(えとあきのり)理事は、勉強会での自民党議員の発言を陳謝し、担当議員に厳重注意するとした。
 維新の党の今井雅人政調会長は記者会見で「大変由々しき問題だ。(自民党は)言論統制する独裁政党と言わざるを得ない」と述べた。
 勉強会を主催した自民党の木原稔衆院議員は、参加議員の発言は「明確に覚えていない」と記者団に述べた。
 自民党幹部や各閣僚は記者会見で釈明に追われた。
 自民党の谷垣禎一幹事長は「冷静にやってほしい」と指摘する一方、「メディアに批判・反論することは当然あっていい」と指摘。菅義偉(すがよしひで)官房長官は「わが国は放送番組の編集の自由が保障されている」として、報道への圧力にはならないと強調。「いろんな議論をすることは自由」とも述べた。
 石破茂地方創生担当相は「言論の弾圧と受け取られかねないことには、心していかなければならない」と懸念。岸田文雄外相は「報道の自由は大切だ」、宮沢洋一経済産業相は「報道の自由を脅かすことは適当でない」と指摘した。』



2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/vF2ei


2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627092256/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015062602000232.html


2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6Zay609Qp



2015年6月26日 東京新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1823-53/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015062602000232.html



2015年6月26日 朝日新聞の記事より引用
『「沖縄の地元紙、左翼に乗っ取られている」 自民勉強会
2015年6月26日11時38分

 安倍晋三首相に近い自民党の若手議員が立ち上げた勉強会「文化芸術懇話会」(代表=木原稔・党青年局長)の25日の初会合で、出席議員が、沖縄の地元紙について「左翼勢力に完全に乗っ取られている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向に持っていく」と発言していたことが分かった。


 出席議員は米軍普天間飛行場の移設問題で政権に批判的な沖縄タイムスと琉球新報をあげて「沖縄の特殊なメディア構造を作ったのは戦後保守の堕落だ。左翼勢力に完全に乗っ取られている」などと批判した。

 出席者などによると、講師役として招かれた、首相と親しい作家の百田尚樹氏は「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。そこを選んで住んだのは誰やねん」「沖縄は本当に被害者やったのか。そうじゃない」などと答えたという。

 このほか、政権に批判的なメディアに関し「マスコミをこらしめるためには広告料収入がなくなるのが一番」などの声も出た。

 これに対し、民主、維新、共産の野党3党は26日、安全保障関連法案を審議する衆院特別委の理事会で、若手議員の発言を問題視して抗議した。

 自民の谷垣禎一幹事長は26日の記者会見で「血の気の多い人たちが、血の気が多くなりすぎて発言が右であり左であることは時々ある。クールマインドでやっていただきたい」と話した。』



2015年6月26日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/cmym9


2015年6月26日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZavGspZ3


2015年6月26日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627084234/http://www.asahi.com/articles/ASH6V3PL5H6VUTFK00F.html


2015年6月26日 朝日新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1742-03/www.asahi.com/articles/ASH6V3PL5H6VUTFK00F.html



2015年6月26日 ブルームバーグの記事より引用
『百田尚樹氏が報道批判で気炎、「日本おとしめる目的」の記事多い (1)
2015/06/26 11:28 JST

  (ブルームバーグ):作家で日本放送協会(NHK)元経営委員の百田尚樹氏は25日、自民党本部で開かれた有志議員のグループ「文化芸術懇話会」の初会合で講演し、報道批判の気炎を上げた。
百田氏は講演で「反日とか売国」という表現を使いながら、「日本をおとしめる目的をもって書いているとしか思えないような記事が多い」と指摘。参加議員から「そうだ、そうだ」と賛同の声が上がった。百田氏の講演は冒頭部分のみ記者団に公開されたが、その際に具体的なメディア名や記事についての言及はなかった。
共同通信の報道によると、百田氏は講演の非公開部分で、沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、沖縄の2つの新聞はつぶさないといけないと発言、あってはいけないことだが沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ、と主張したという。出席議員からは、安保法案批判の報道に関して、マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい、との意見も出たと共同は報じた。
懇話会の代表を務める木原稔衆院議員は終了後、記者団に対し、百田氏を講師に招いた理由を聞かれ、ベストセラー作家であることから、「強い発信力を持っている」と説明した。
講演で百田氏は、「最近はNHKの経営委員なんかもやったりして、公の場で発言するとものすごく炎上してしまう」とも発言した。
木原氏によると、会合には37人の国会議員が出席した。安倍晋三首相に近い加藤勝信官房副長官、萩生田光一筆頭副幹事長も顔を出した。
菅偉義官房長官は26日午前の会見で、百田氏の一連の発言について「コメントを控えたい」と発言。政府側の加藤官房副長官が出席していたことについては、「いろんな会合に出るのを制約すべきではない」と話した。
更新日時: 2015/06/26 11:28 JST』



2015年6月26日 ブルームバーグの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/YEMkN


2015年6月26日 ブルームバーグの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZZYSoCqn


2015年6月26日 ブルームバーグの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627094234/http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NQHQN16K50YG01.html



2015年6月26日 ブルームバーグの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1842-56/www.bloomberg.co.jp/news/123-NQHQN16K50YG01.html



2015年6月26日 東京新聞の記事より引用
『【政治】
百田氏「冗談として言った」 沖縄2紙への発言で
2015年6月26日 18時59分
 作家の百田尚樹氏が、自民党の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと述べたことについて26日、共同通信の電話取材に応じ「オフレコに近い発言で、冗談として言った」と述べた。
 その上で、沖縄県の地元紙である琉球新報や沖縄タイムスの歴史認識をめぐる報道姿勢などを批判し「なくなったらいいとは思っているが、政治的な圧力でつぶせという趣旨ではない。そのようなことはあってはならない」と述べた。
 百田氏は25日の勉強会での質疑応答で、沖縄県紙が政府に批判的とする意見に対し「つぶさないといけない。沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と発言。
(共同)』



2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/NbTaP


2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150627101446/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015062601002095.html


2015年6月26日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6Zb1NhpO7


2015年6月26日 東京新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0627-1914-35/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015062601002095.html

【管理人コメント】
オフレコと言うことは、公言出来ない内心を吐露した、換言すれば当該発言が百田尚樹氏のホンネに限りなく近い発言であることを意味します。

「(いわゆる砂川事件判決は)明確に、必要な自衛の措置、自衛権が合憲であることを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断だ。必要な自衛の措置とは何か、時々の世界の情勢や安全保障環境を十分に分析しながら、常に考え続けなければならない。平和安全法制の考え方は砂川判決の考え方に沿ったもので、判決の範囲内のものだ。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たりうるものであると考えている」by安倍晋三

2015.06.26.Fri.14:01
2015年6月26日 NHKニュースの記事より引用
『安保関連法案 首相「決める時には決める」
6月26日 12時29分

安倍総理大臣は、安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会で、国会の会期を延長し十分な審議時間を確保したとして、「議論が尽くされたと判断されれば、決める時には決める」と述べ、今の国会で法案を確実に成立させたいという考えを示しました。
この中で自民党の今津元防衛副長官は、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案について「合憲かどうかという議論があるが、憲法に違反するものを政府が提案するわけはない」と指摘しました。
これに対し安倍総理大臣は、憲法9条の下でも自衛権は認められるとした昭和34年の砂川事件の最高裁判所の判決に触れて、「明確に、必要な自衛の措置、自衛権が合憲であることを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断だ。必要な自衛の措置とは何か、時々の世界の情勢や安全保障環境を十分に分析しながら、常に考え続けなければならない」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、「平和安全法制の考え方は砂川判決の考え方に沿ったもので、判決の範囲内のものだ。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たりうるものであると考えている」と述べました。

公明党の上田・政務調査会長代理は、安全保障関連法案について「『平和国家としての歩みを堅持し、積極的平和主義の立場から、国際社会の平和と安定に積極的に寄与していく』という国家安全保障戦略の理念に合致しているのか」と質問しました。
これに対し安倍総理大臣は、「平和国家としての歩みは、これからも決して変わることはない。同時に、わが国を取り巻く安全保障環境は大きく変わり、もはやどの国も一国のみでは自国の平和と安全を守ることはできない時代になった」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、「地域と国際社会の平和と安定に、これまで以上に積極的に貢献していく必要がある。これが国際協調主義に基づく積極的平和主義で、わが国の国家安全保障の基本理念だ。平和安全法制は、このような理念に基づいて、日本の平和と国民の幸せな暮らしをさらに確かなものにするためのものだ」と述べました。

民主党の岡田代表は、「各種の世論調査で、おおむね8割ぐらいの国民が政府の説明は不十分だと答えている。半分以上の方々が安全保障関連法案に反対で、この国会で成立させることに慎重な意見を述べている」と指摘しました。
これに対し安倍総理大臣は、「世論調査などで、まだ十分に政府は説明を果たしていないという意見のほうが多い、国会での議論が不十分であるという意見が多いということは、十分に承知している。その中で、過去最大幅の会期の延長をして、じっくりと国会で議論をしていく十分な審議の時間を取った」と述べました。
また、岡田氏は「『審議時間が何十時間たったから採決する』ということではなく、国民がどれだけ理解したかで決めていくべきだ」と指摘しました。
これに対し安倍総理大臣は、「さまざまな国の判断があったが、残念ながら国民の支持が十分でなかったものもある。典型例が60年の安保改定やPKO法の成立だったと思うが、今ではそれぞれが十分に国民的な理解を得ている。法案が実際に実施されるなかで、『やっぱり国民のためのものなんだ』という理解が広がっていく側面もある」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、「政治家は、議会で有権者を代表して議論を戦わせるが、それぞれの見識で、どこかの時点で議論が尽くされたという判断が委員会や議会でなされれば、決める時には決めるということになる」と述べ、今の国会で法案を確実に成立させたいという考えを示しました。

一方、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、自衛隊員の安全の確保について、「自衛隊員の任務は、国のリスクを下げ、国民の命と平和な暮らしを守り抜くことで、今後ともこの任務には一切、変わりはない。これまでの任務で命がけのリスクを日頃から負っているが、装備と情報、教育訓練、過去の事例などの教訓を生かしたルール作りで、しっかりとリスクを管理し、運用で極小化する」と述べました。』




2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/CsuvT



2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150626045452/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150626/k10010128521000.html



2015年6月26日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0626-1359-02/www3.nhk.or.jp/news/html/20150626/k10010128521000.html



2015年6月26日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZZANEFHy

「日本は、これらの理念(要するに、安倍晋三総理の提唱する積極的平和主義)を大切にしながら、今後も、アジアにおける平和構築・国民和解・民主化の支援に一層積極的に取り組んで参ります。具体的には、次の5つの課題に取り組んで参ります。第1はミャンマーにおける少数民族との和平の支援です。笹川政府代表の協力を得ながら少数民族との和平合意達成に向けたミャンマー政府の努力を後押しします。そのため、5年間で最大100億円の支援を着実に実施します。第2がミンダナオ和平の支援です。今月初めのアキノ大統領と安倍総理との首脳会談を踏まえ、ムラドMILF議長の協力も得ながら、J-BIRD IIを通じて経済開発プロジェクトの着実な実施を支援します。第3に、スリランカの国民和解支援です。シリセーナ新政権が国民和解に真剣に取り組もうとされていることを歓迎します。明石代表のお力も得ながら、サマラウィーラ外相と緊密に協力し、スリランカ支援を一層強化します。その一環として、1,800名を超える地方行政官の人材育成研修を実施します。4つ目に、ネパールの復旧・復興支援です。25日にカトマンズで開催されるネパール支援国会合では、共同議長を務め、緊急人道支援から復旧・復興プロセスに至るまで、切れ目なく最大限貢献します。今般の震災で民主化プロセスが滞らず、ネパールが活力のある民主国家として復興することが重要です。最後に、しかし重要な課題であるのが、女性と子どもの保護です。紛争下で最も被害を受けやすいのは女性と子どもです。日本は、人間の安全保障の観点から、ODAを活用した女子教育支援や人身取引被害者保護を推進していきます。また、紛争下の性的暴力担当事務総長特別代表(SRSG)事務所との連携も深めており、昨年はトップドナーとなりました。昨今問題となっているインド洋における女性や子供を含む非正規移民の問題についても、日本として国際移住機関(IOM)及び国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じた350万ドルの支援を決定しました。」by岸田文雄

2015.06.25.Thu.13:27
外務省公式サイト、2015年6月22日に行われたアジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナーにおける岸田文雄外務大臣基調演説より引用 
『「アジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナー」
岸田外務大臣基調演説
「アジアと共に歩む平和国家」
平成27年6月22日

 明石議長、
 御列席の皆様、

 本日は、本ハイレベル・セミナーに御参加いただきありがとうございます。アジア各国より、平和構築、国民和解、民主化の分野で様々な活動・貢献をなされている世界的に高名な方々をお招きして、このようなセミナーを、ここ国連大学で開催できることを大変光栄に存じます。

 この機会に私から、これまでのアジアと日本の戦後の歩みを振り返り、その上で、今後の日本の平和構築の取組についてお話ししたいと思います。

1.戦後のアジアと日本の歩み

 振り返りますと、70年前、先の大戦が終結した時、アジアにはわずかな数の独立国しか存在しませんでした。
 日本自身も、国際社会への復帰を果たしたのは、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約によってです。
 それと前後して、多くのアジア諸国が独立を達成しました。

 私は、広島出身の政治家として、戦争と平和には特別な思いがあります。70年前、日本の国土は戦争により荒廃しました。また、日本は、自らの行為によりアジア諸国民に多大の苦しみを与えました。
 その中から、我々日本人は、反省と不戦と平和の誓いを心に深く刻み、ひたすらに国土の復興に取り組み、自由、基本的人権、民主主義の実現に努力し、平和国家として歩んで参りました。
 今日もその平和国家としての決意は些かも揺らぐところはありません。過去から決して目をそむけることなく、しかし、未来に向かって平和国家として努力していかなければなりません。

 さて、戦後長きにわたり、アジアの多くの地域で、紛争は絶えませんでした。それを自らの70年前の姿に重ね合わせ、日本は、アジアの友好国として、できる限りの支援の手を差し伸べてきました。
 日本だけが平和になればいいわけではない。地域の、そして世界の友邦と平和の恩恵を分かち合うことができてこそ、真の平和がもたらされる。
 日本はそのような決意を胸に秘め、カンボジア、ミャンマー、ミンダナオ、アチェ、ラモス・ホルタ前大統領の母国である東ティモール、スリランカ等のアジア各地で、平和のために積極的に汗をかいてきました。

 今日、日本政府は、「国際協調主義に基づく積極的平和主義」を安全保障の基本政策に掲げています。
 これは日本の平和国家としての決意から生まれてきたものです。「積極的平和主義」の核となる実践が、日本がアジア各地で行ってきた平和構築への貢献です。
 また、日本の平和への貢献をより効果的で切れ目のないものとするため、現在国会で平和安全法制の審議をお願いしているところです。

 今日アジアは、70年前には想像もつかなかったほど、大きな発展を遂げましたが、紛争やその火種は今も各地に残されています。日本は、これからも、アジアの友人たちと共に、平和構築、国民和解、民主化を達成・定着させるためにしっかりと貢献していきます。

2.日本の平和構築の3つの理念

 それでは、日本は今まで、どのような考えの下にアジアの平和構築に取り組んできたのでしょうか。振り返ってみますと、日本の平和構築には次のような3つの理念や特徴があったのではないかと考えます。

(「現場」と「人」の重視)
 第一は、「現場」と「人」の重視です。
 日本は、現地の政府と協力しながら、平和構築や民主化の現場に足を運び、現地の人たちと共に考え、共に歩むこと、そして、人を育て、日本の技術やノウハウをしっかりと現場に根付かせることを大切にしてきました。
 日本の国際貢献のまさに現場の第一線で活躍してきたのがJICAであり、草の根レベルで現地の人々と共に活動してきたのが青年海外協力隊です。
 また、本日の全体議長を務めていただいている明石康日本政府代表が国連事務総長特別代表を務められたカンボジア等の紛争終結地域において、国連PKOに対し、要員・部隊の派遣を行ってきました。
 この観点から、日本は、peacebuildersの養成に一層力を入れていきます。本年度は、これまでの取組を強化する形で、「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を新たに開始します。
 また、今後、アジア太平洋地域との人的交流事業であるJENESYS2015を通じ、アジアの若者300人程度を目標に広島・長崎を訪問してもらい、被爆の実相に触れていただくとともに、日本の若者との間で平和構築をテーマにディスカッションするなど交流の機会を設けます。

(経済開発の重視)
 第二に、平和・和解の基礎として、経済開発による生活水準の向上を重視してきました。
 なぜならば、日本は、経済発展を成し遂げることで、その平和国家としての歩みを揺るぎないものとしたからです。
 紛争当事者が様々な対立や相違を乗り越えて和平を達成したとしても、それが経済開発の裏付けを持たなければ、和平は脆いものとなります。人々が「平和の配当」を共有し実感してこそ、和平は定着するのです。
 このような考えから、2003年の「スリランカ復興開発に関する東京会議」では、国際社会からの支援と和平プロセスの進展とをリンクさせるポジティブ・リンケージ政策が採用されました。

 今日、アジアでは、過去に紛争を抱えていた多くの国々で、高い経済成長が実現しています。
 カンボジア、スリランカ、ミャンマーといった国々が年率7%というアジアでも最も高い経済成長を実現していることを喜ばしく思います。
 日本はこれからも、平和構築において、人々の生活水準を高めていく経済開発を重視するアプローチを採る考えです。

(多様性に対する寛容)
 第三に、多様性に対する寛容です。日本は、自由、民主主義、人権等の普遍的価値を重視する一方で、アジアにおける宗教や民族の多様性を踏まえ、性急に結果を求めすぎることのないよう心がけてきました。
 たとえば、多民族・多宗教国家であるインドネシア。国是である「パンチャシラ」(注:建国五原則)の下で、多様性への寛容を大切にし、国土の統一を保ちつつ民主化を達成しました。これは、このようなアプローチの効果を示す好例と言えるでしょう。
 こうした観点から、過激主義を生まない社会の形成も重視しています。
 アジアにおいてISILのような過激主義が伸長することを防がなくてはなりません。インドネシア、マレーシアを始めとする各国が推進する穏健主義を支持します。
 また、日本がASEANに設立し、スリン前ASEAN事務総長と協力して発展させた日ASEAN統合基金(JAIF)を活用し、今後暴力的過激主義対策のプロジェクトを実施していきます。

3.今後の日本の取組:5つの取組

 日本は、これらの理念を大切にしながら、今後も、アジアにおける平和構築・国民和解・民主化の支援に一層積極的に取り組んで参ります。具体的には、次の5つの課題に取り組んで参ります。

 第1はミャンマーにおける少数民族との和平の支援です。笹川政府代表の協力を得ながら少数民族との和平合意達成に向けたミャンマー政府の努力を後押しします。
 そのため、5年間で最大100億円の支援を着実に実施します。

 第2がミンダナオ和平の支援です。今月初めのアキノ大統領と安倍総理との首脳会談を踏まえ、ムラドMILF議長の協力も得ながら、J-BIRD IIを通じて経済開発プロジェクトの着実な実施を支援します。

 第3に、スリランカの国民和解支援です。シリセーナ新政権が国民和解に真剣に取り組もうとされていることを歓迎します。
 明石代表のお力も得ながら、サマラウィーラ外相と緊密に協力し、スリランカ支援を一層強化します。
 その一環として、1,800名を超える地方行政官の人材育成研修を実施します。

 4つ目に、ネパールの復旧・復興支援です。25日にカトマンズで開催されるネパール支援国会合では、共同議長を務め、緊急人道支援から復旧・復興プロセスに至るまで、切れ目なく最大限貢献します。今般の震災で民主化プロセスが滞らず、ネパールが活力のある民主国家として復興することが重要です。

 最後に、しかし重要な課題であるのが、女性と子どもの保護です。
 紛争下で最も被害を受けやすいのは女性と子どもです。日本は、人間の安全保障の観点から、ODAを活用した女子教育支援や人身取引被害者保護を推進していきます。
 また、紛争下の性的暴力担当事務総長特別代表(SRSG)事務所との連携も深めており、昨年はトップドナーとなりました。
 昨今問題となっているインド洋における女性や子供を含む非正規移民の問題についても、日本として国際移住機関(IOM)及び国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じた350万ドルの支援を決定しました。

4.結び

 21世紀はアジアの世紀だと言われています。しかし、アジアの経済成長を持続させるためには、平和が保たれることが不可欠です。
 我々は、まだまだそのための努力を続ける必要があります。
 広島出身の外務大臣として、私は改めてこの場で誓いたいと思います。
 日本は、アジアの平和構築、国民和解、民主化への貢献を、私の主導する外交政策、「岸田外交」の新たな柱に据えます。
 そして、アジアの、更には世界の人々と共に、平和と繁栄の未来に向けて共に精一杯努力しようと決意します。

 本日の会議が実り多きものとなることを心から祈念して、私の基調講演とさせていただきます。

 ありがとうございました。』


外務省公式サイト、2015年6月22日に行われたアジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナーにおける岸田文雄外務大臣基調演説へのリンク
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page22_002066.html


外務省公式サイト、2015年6月22日に行われたアジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナーにおける岸田文雄外務大臣基調演説のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/fzRau


外務省公式サイト、2015年6月22日に行われたアジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナーにおける岸田文雄外務大臣基調演説のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZXbmxrcz



外務省公式サイト、2015年6月22日に行われたアジアの平和構築と国民和解、民主化に関するハイレベル・セミナーにおける岸田文雄外務大臣基調演説の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0625-1323-12/www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page22_002066.html

「戦後長きにわたり、アジアの多くの地域で紛争は絶えなかったが、日本はできるかぎりの支援の手を差し伸べてきた。これからもアジアの友人たちと共に平和構築、国民和解、民主化を達成、定着させるためにしっかりと貢献していく。日本政府は『積極的平和主義』を安全保障の基本政策に掲げている。日本の平和への貢献をより効果的で切れ目のないものとするため、現在、国会で平和安全法制の審議をお願いしている」by岸田文雄

2015.06.25.Thu.12:48
2015年6月20日 NHKニュースの記事より引用
『外相 アジアの平和と安定に貢献する姿勢強調
6月20日 11時39分

岸田外務大臣は東京都内で開かれている国際会議で演説し、日本が戦後、アジア各地で民族紛争の解決を支援してきた実績を踏まえ、今後もアジアの平和と安定に積極的に貢献する姿勢を強調しました。
政府は戦後70年のことし、アジア12か国の政府関係者などを招いて平和の構築や民主化の進め方を検討する国際会議を20日、東京の国連大学で開いています。
この中で岸田外務大臣は基調演説を行い、「戦後長きにわたり、アジアの多くの地域で紛争は絶えなかったが、日本はできるかぎりの支援の手を差し伸べてきた。これからもアジアの友人たちと共に平和構築、国民和解、民主化を達成、定着させるためにしっかりと貢献していく」と述べました。
そのうえで岸田大臣は、「日本政府は『積極的平和主義』を安全保障の基本政策に掲げている。日本の平和への貢献をより効果的で切れ目のないものとするため、現在、国会で平和安全法制の審議をお願いしている」と述べました。
また岸田大臣は、ミャンマーの少数民族・ロヒンギャの人たちなどを乗せた船が行き場を失って周辺国の沖合で漂流している問題で、食料や滞在施設の設置に充てるため、国際機関を通じて350万ドル(日本円にして4億円余り)の支援を行うことを表明しました。
さらに、今年度アジアの若者およそ300人を広島市と長崎市に招待し、被爆の実相に触れてもらう機会を設ける考えを示しました。』


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/r0s9H


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZXV8qiWF


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0625-1150-27/www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010121661000.html





2015年6月20日 NHKニュースの記事より引用
『外相 比ミンダナオ島への支援継続伝える
6月20日 13時59分

岸田外務大臣は、日本を訪れているフィリピンのイスラム武装組織トップのムラド議長と会談し、ミンダナオ島でおよそ40年続く紛争の終結に向けた武装解除の手続きが今週始まったことを歓迎し、日本として支援を継続する考えを伝えました。
岸田外務大臣は20日午前、日本政府が主催する国際会議に出席するため日本を訪問しているフィリピンのイスラム武装組織「モロ・イスラム解放戦線」トップのムラド議長と会談しました。
この中で岸田大臣は、フィリピン南部のミンダナオ島でおよそ40年続くフィリピン政府とイスラム武装組織との紛争の終結に向けた武装解除の手続きが、今週16日に始まったことを歓迎する考えを伝えました。
そして「これからも恒久的な和平に向けて支援を継続したい」と述べ、これまで行ってきた150億円を超える支援に加え、インフラ整備など、ミンダナオの経済の自立のための支援を継続する考えを伝えました。
これに対しムラド議長は、「日本のこれまでの支援に深く感謝し、和平が実現するよう取り組む」と述べました。』


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/Ap3IU


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150625031022/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010121741000.html


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0625-1204-53/www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010121741000.html




2015年6月20日 NHKニュースの記事より引用
『岸田外相 少数民族ロヒンギャの支援表明へ
6月20日 5時48分

岸田外務大臣は20日、アジア各国の政府関係者などが出席する国際会議で演説を行い、ミャンマーの少数民族、ロヒンギャの人たちなどを乗せた船が漂流している問題で、国際機関を通じて350万ドルの支援を行うことなどを表明することにしています。
政府は、ことしが戦後70年であることを踏まえ、アジア10か国余りの政府関係者などを招いて、アジア各国での平和の構築や民主化の進め方を検討する国際会議を20日に東京で開き、岸田外務大臣が基調演説を行います。
この中で岸田大臣は「日本はみずからの行為によりアジア諸国民に多大の苦しみを与え、その中から、反省と不戦と平和の誓いを心に深く刻み、平和国家として歩んできた。過去から決して目をそむけることなく、未来に向かって努力していかなければならない」として、今後もアジアの平和に貢献する姿勢を強調する見通しです。
そのうえで岸田大臣は、ミャンマーで抑圧されている少数民族、ロヒンギャの人たちなどを乗せた船が行き場を失って周辺国の沖合で漂流している問題を巡って、食料や滞在施設の設置に充てるため、国連難民高等弁務官事務所など国際機関を通じて350万ドル(日本円にして4億円余り)の支援を行うことや、ネパールの大地震を受け、復旧・復興に最大限貢献することなどを表明することにしています。』



2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/I6wnM



2015年6月20日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150625033801/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010121481000.html


2015年6月20日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0625-1231-57/www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010121481000.html

「安全保障関連法案に対して、国民からは慎重な審議を求める声が多かったし、安倍総理大臣も、『正々堂々と審議し、決めるときには決める』という姿勢だったため、大幅な会期延長を決定していただいた。政府としてはしっかり説明させていただき、少しでも国民の理解を得られるよう努めていきたい。野党には野党なりの考え方があると思うが、いたずらに審議拒否をするのではなく、建設的な姿勢で重要法案の審議に臨んでほしい」by菅義偉

2015.06.24.Wed.11:23

2015年6月23日 NHKニュースの記事より引用
『官房長官 安保法案の審議尽くし今国会での成立を
6月23日 12時35分

菅官房長官は、23日午前の記者会見で、今の国会の会期が、通常国会としては最長となる95日間延長し、9月27日までとなったことについて、国民の理解が得られるよう安全保障関連法案の審議を尽くし、今の国会での成立を目指す考えを示しました。
国会は、22日夜、開かれた衆議院本会議で、24日までの今の国会の会期を、通常国会としては最長となる95日間延長し、9月27日までとすることを決めました。
これについて、菅官房長官は、23日午前の記者会見で、「安全保障関連法案に対して、国民からは慎重な審議を求める声が多かったし、安倍総理大臣も、『正々堂々と審議し、決めるときには決める』という姿勢だったため、大幅な会期延長を決定していただいた」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、「政府としてはしっかり説明させていただき、少しでも国民の理解を得られるよう努めていきたい。野党には野党なりの考え方があると思うが、いたずらに審議拒否をするのではなく、建設的な姿勢で重要法案の審議に臨んでほしい」と述べ、安全保障関連法案の審議を尽くし、今の国会での成立を目指す考えを示しました。』




2015年6月23日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/nIzJL


2015年6月23日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZVxLwIky



2015年6月23日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0624-1119-12/www3.nhk.or.jp/news/html/20150623/k10010124551000.html

「会期の延長は『平和安全法制』などの重要法案を十分な審議時間を取ってきちんと成立させたいということだ。『これだけ時間があるから大丈夫』と緩まないようしっかりやってほしい」by谷垣禎一

2015.06.24.Wed.11:13
2015年6月23日 NHKニュースの記事より引用
『自民 安保関連法案の今国会成立に全力を
6月23日 11時54分

今の国会の会期が、9月27日まで95日間延長されたのを受けて、自民党は23日の役員連絡会で最大の焦点である安全保障関連法案を今の国会で確実に成立させるため、全力で取り組むことを確認しました。
国会は、22日夜開かれた衆議院本会議で、24日までの今の国会の会期を、通常国会としては最長となる、9月27日まで95日間延長することを決めました。
自民党は23日役員連絡会を開き、谷垣幹事長が「会期の延長は『平和安全法制』などの重要法案を十分な審議時間を取ってきちんと成立させたいということだ。『これだけ時間があるから大丈夫』と緩まないようしっかりやってほしい」と指示しました。
また、佐藤国会対策委員長が「野党側は会期延長に反対して委員会の審議に応じないおそれがあるが、審議を進められるよう努力し法案を速やかに参議院に送りたい」と述べ、安全保障関連法案を今の国会で確実に成立させるため全力で取り組むことを確認しました。
これに先立って自民・公明両党の参議院の幹部が会談し、安全保障関連法案が参議院に送られてくれば法案の速やかな成立に向けて結束して対応していくことで一致しました。』



2015年6月23日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/HHJLw



2015年6月23日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://www.webcitation.org/6ZVwsuZ3J



2015年6月23日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0624-1111-49/www3.nhk.or.jp/news/html/20150623/k10010124501000.html


「歴代の内閣法制局長官は、いろんな話をされているが、われわれには国民の命と平和な暮らしを守り抜く大きな責任がある。政治家には常に『必要な自衛のための措置は何か』、『どこまで認められるのか』を考え抜いていく責任がある。ときどきの国際情勢を見て、具体的な対応を考え抜くことを放棄するのは、国民の命を守り抜くことを放棄しているのに等しい。昭和47年の政府見解にしがみついていれば、国民の命や国土、領海、領空を守っていくことができるのか、考え抜いていく責任を放棄してはならない」by安倍晋三

2015.06.23.Tue.11:02

2015年6月22日 NHKニュースの記事より引用
『安倍首相「必要な自衛措置 考え抜く責任」
6月22日 17時54分

安倍総理大臣は、参議院決算委員会で、安全保障関連法案について、「歴代の内閣法制局長官の中には『違憲だ』と言っている人もいる」という指摘に対し、国民の命を守るため、政治家には常に必要な自衛の措置を考え抜く責任があると反論しました。
このなかで、日本を元気にする会の松田代表は安全保障関連法案について、「歴代の内閣法制局長官の中には『違憲だ』と言っている人もいる」と指摘しました。
これに対し、安倍総理大臣は、「歴代の内閣法制局長官は、いろんな話をされているが、われわれには国民の命と平和な暮らしを守り抜く大きな責任がある。政治家には常に『必要な自衛のための措置は何か』、『どこまで認められるのか』を考え抜いていく責任がある」と反論しました。
そのうえで、安倍総理大臣は、「ときどきの国際情勢を見て、具体的な対応を考え抜くことを放棄するのは、国民の命を守り抜くことを放棄しているのに等しい。昭和47年の政府見解にしがみついていれば、国民の命や国土、領海、領空を守っていくことができるのか、考え抜いていく責任を放棄してはならない」と述べ、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする必要性を強調しました。
また、安倍総理大臣は、参議院の選挙制度改革について、「一部には党派を超えた改革案が取りまとめられるなど、注目すべき動きも見られる」と指摘しました。
そのうえで、安倍総理大臣は、「建設的な議論が進められ、早期に結論を出すことによって政治の責任を果たし、国民の負託にしっかりと応えていかなければならない。来年の参議院選挙が、新たな定数是正がなされた制度の下で行われることが大切だ」と述べました。』



2015年6月22日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/k2vlm


2015年6月22日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150623014646/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150622/k10010123611000.html


2015年6月22日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZUP0dtau



2015年6月22日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0623-1047-59/www3.nhk.or.jp/news/html/20150622/k10010123611000.html


2015年6月22日 参議院 決算委員会 松田公太(日本を元気にする会)の国会質問

「公表以前に、(日本年金)機構の職員と思われる人たちが(年金情報の漏洩に関してインターネット上に)書き込んでいた可能性が高いということは当時から言われていた。仮に事実であれば、職員に課されている守秘義務の観点から極めて問題があり、職員のモラルが問われる問題だ。機構は、告発も含めて検討中ということなので、国民の信頼を回復するため厳正に対応してほしい」by菅義偉

2015.06.23.Tue.10:39

2015年6月19日 NHKニュースの記事より引用
『官房長官 年金流出書き込みで厳正対処を
6月19日 13時56分

菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、年金情報の流出問題を巡り、日本年金機構の公表前にインターネット上に内部情報が書き込まれていたという指摘があることに関連し、「仮に事実であれば、守秘義務の観点から極めて問題だ」と述べ、機構に対し、厳正に対処するよう強く求めました。
この中で、菅官房長官は、年金情報の流出問題を巡り、日本年金機構の公表前にインターネット上に内部情報が書き込まれていたという指摘があることに関連し、「公表以前に、機構の職員と思われる人たちが書き込んでいた可能性が高いということは当時から言われていた」と指摘しました。
そのうえで、菅官房長官は「仮に事実であれば、職員に課されている守秘義務の観点から極めて問題があり、職員のモラルが問われる問題だ。機構は、告発も含めて検討中ということなので、国民の信頼を回復するため厳正に対応してほしい」と述べ、機構に対し厳正に対処するよう強く求めました。』



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/x0yh7


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150623012817/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120351000.html


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0623-1028-30/www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120351000.html


【管理人コメント】
日本年金機構に届いたウイルスメールを開き、年金情報の漏洩を招いた張本人及び当時の上司には何らかの懲戒を課すべきだと思いますが、そちらには何も言及することなく、インターネット上に内部情報を告発した側への懲罰に関しては言及するんですね。菅義偉官房長官の発言を見る限り、ネット上への漏洩の事実の書き込みがなければ、年金情報の漏洩自体がもみ消されていたのではないか。内部情報の暴露に関しては、もみ消しの可能性を感じた義憤にかられてのものではないかと勘ぐってしまいます。日本の行政庁には、福島第一原発事故のときの対応を見れば明らかなように、隠蔽体質が有りますのでね。


年金情報漏洩に関する報道に関しては、拙ブログの以下のエントリーをご参照下さい。
http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1907.html

http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1896.html

「今も自衛隊が違憲だと言う憲法学者はすごく多いが、最高裁判所の判決が『国の存立が脅かされるような場合には自衛権は行使できる』としているのが基本だ。集団的自衛権はフルで認められるのではなくて、非常に限定した武力行使の新3要件のもとで、国会での承認が必要なので、何ら憲法に違反するものではない」by稲田朋美

2015.06.22.Mon.11:19

2015年6月21日 NHKニュースの記事より引用
『安保法案 合憲性巡り与野党が議論
6月21日 12時04分

NHKの「日曜討論」で、後半国会の最大の焦点の安全保障関連法案について、自民党の稲田政務調査会長が、最高裁判所の判決に照らしても憲法に違反するものではないという考えを示したのに対し、民主党の細野政策調査会長は、法案は日本の憲法学そのものを正面から否定するものだと主張しました。
この中で、自民党の稲田政務調査会長は、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案を巡って、「今も自衛隊が違憲だと言う憲法学者はすごく多いが、最高裁判所の判決が『国の存立が脅かされるような場合には自衛権は行使できる』としているのが基本だ。集団的自衛権はフルで認められるのではなくて、非常に限定した武力行使の新3要件のもとで、国会での承認が必要なので、何ら憲法に違反するものではない」と述べました。
公明党の石井政務調査会長は、「政府の新しい見解は、従来の憲法解釈の基本的な論理を維持したうえで、現在の安全保障環境にあてはめて、憲法9条のもとでの自衛の措置の限界がどこまで許されるのかを突き詰めた結果であり、従来の憲法解釈との論理的な整合性、法的な安定性は保たれている」と述べました。
民主党の細野政策調査会長は、「衆議院憲法審査会での自民党の参考人の主張は、今回出されている安全保障法制全体が違憲だということに等しく、発言の重みを、われわれ国会議員はしっかりと受け止めるべきだ。今、自民党と公明党が行おうとしていることは、日本の憲法学そのものを正面から否定するぐらい大変なことだ」と述べました。
維新の党の井坂政務調査会長代理は、「政府の案は憲法で認められる範囲を超えており、日本が武力攻撃を受けた、あるいは、ほぼ確実に受ける場合に限って自衛隊が出動するという専守防衛の基本を大きく外している。あくまで、自国防衛のための自衛権であるべきだ」と述べました。
共産党の小池政策委員長は、「圧倒的多数の憲法学者や歴代の内閣法制局長官も違憲だと言っており、どうして法的安定性が保たれるのか疑問だ。海外派兵の憲法上の根拠は総崩れになっており、憲法違反の法案を議論すること自体が非常識だ」と述べました。
次世代の党の浜田外交防衛調査会長は、「集団的自衛権は国連憲章でも認められているのだから、そういう観点で臨機応変な対応ができるようにすべきだ。憲法の問題を大局的に捉えて、日本人を守るという観点での議論が必要だと考えている」と述べました。
社民党の吉川政策審議会長は、「政府は、わが国が直接、攻撃されたときにだけ武力行使をするのだから自衛隊は戦力ではないと言ってきた。直接、攻撃されていなくても海外で武力行使ができるとなると自衛隊はまさしく戦力になる」と述べました。』



2015年6月21日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/KLIYp



2015年6月21日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback Machine)
http://web.archive.org/web/20150622021650/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150621/k10010122431000.html



2015年6月21日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0622-1117-04/www3.nhk.or.jp/news/html/20150621/k10010122431000.html



【参考記事】
2015年6月20日 東京新聞の記事より引用
『【政治】
安保法案 正当性さらに揺らぐ 歴代法制局長官4氏「違憲」
2015年6月20日 朝刊

 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、内閣法制局の歴代長官で故人を除く十氏のうち五人が本紙の取材にコメントし、四氏が「違憲」もしくは「運用上は違憲」との考えを示した。合憲はいなかった。安倍政権は安保法案について「従来の憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない」として、合憲と主張している。しかし、歴代内閣で憲法解釈の中心的役割を担った元長官が合憲性を否定したことで、法案の合法性はさらに揺らいだ。 (金杉貴雄)
 本紙は個別に十氏を取材し、五十八〜六十二代(現在の横畠裕介長官は六十六代)の五氏から回答を得た。
 第一次安倍内閣(二〇〇六〜〇七年)などで長官だった宮崎礼壹(れいいち)氏は、集団的自衛権の行使について「憲法をどう読んでも許されないのは、論理的な帰結。最小限なら当てはまると言うが、従来の見解と断絶した考えだ」として、違憲と断じた。
 日本周辺で有事が起きた際、米軍支援を可能にした周辺事態法の制定当時(九九年)に長官だった大森政輔(まさすけ)氏も「政府がどんな理屈でも武力行使できる法案。九条に違反している」と述べた。
 小泉政権で長官だった阪田雅裕氏は、憲法解釈の変更は全く認められないわけではないとしながら、集団的自衛権行使は「戦争がわが国に及ぶ状況でなければ従来の論理と合わない」と指摘。「(中東の)ホルムズ海峡で(行使が)あり得るとする説明は憲法論理を超え、その説明では法案は違憲だ」と語った。
 イラク戦争(〇三年)に長官として直面した秋山収氏は、新たな憲法解釈は違憲とまで断じるべきではないとしつつも「具体的運用の説明には違憲のものが含まれ、違憲の運用の恐れがある」と指摘した。
 〇一年の米中枢同時テロ当時長官だった津野修氏は「法案の内容が抽象的すぎて具体的な条文が違憲かは分からない」と述べた。
 取材に応じた五氏のほか、第二次安倍政権で長官を辞め、最高裁判事(現職)になった山本庸幸(つねゆき)氏は就任会見で「(集団的自衛権の行使容認は)解釈変更で対応するのは非常に難しい」と明言。本紙の取材には「現在は立場上差し控える」とした。安保法案の違憲訴訟が起こされた場合、合憲か違憲かを判断する立場になるが「白紙の状態で判断したい」と述べた。
 梶田信一郎、工藤敦夫、茂串俊(もぐしたかし)、角田(つのだ)礼次郎の四氏は、体調や高齢、立場上などを理由にコメントしなかった。』



2015年6月20日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/hmuPs


2015年6月20日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150622025150/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015062002000118.html


2015年6月20日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZSx08iyD


2015年6月20日 東京新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0622-1152-07/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015062002000118.html



2015年6月15日 NHKニュースの記事より引用
『首相 安保関連法案で維新の協力得るねらいも
6月15日 4時00分

安倍総理大臣は、14日夜、東京都内で、維新の党の最高顧問を務める大阪市の橋下市長と会談し、後半国会の最大の焦点である安全保障関連法案の取り扱いなどを巡って、維新の党の協力を得るねらいもあるものとみられます。
安倍総理大臣は14日夜、およそ3時間にわたって、東京都内のホテルで大阪市の橋下市長と食事をとりながら会談し、菅官房長官と大阪府の松井知事も同席しました。会談の詳しい内容は明らかになっていませんが、安倍総理大臣としては、労働者派遣法の改正案を巡って維新の党が採決に応じる方針であることを踏まえ、橋下氏との会談を通じて、後半国会の最大の焦点である安全保障関連法案の取り扱いを巡っても、維新の党の協力を得るねらいもあるものとみられます。
一方、橋下氏は、安倍総理大臣との会談に先立って、東京都内で維新の党の松野代表と会談し、安倍政権に対して、政策面で引き続き是々非々の姿勢で臨むことなどを確認しました。
ただ、維新の党で民主党との連携を重視する議員らからは、安倍総理大臣と橋下氏の会談について、「自民党にすり寄っているというメッセージになりかねない」といった不満も出ています。
また、民主党内からは、維新の党が、労働者派遣法の改正案に続いて安全保障関連法案への対応でも、与党寄りにかじを切るのではないかと警戒する声も出ていて、こうした重要法案の取り扱いが、安倍政権と維新の党との関係や野党間の連携の行方と複雑に絡み合う展開となっています。』



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/QzDec

派遣期間の制限を撤廃する一方で、1人の派遣労働者が企業の同じ部署で働ける期間を3年に制限する労働者派遣法の改正案は、2015年6月19日の衆議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と次世代の党などの賛成多数で可決された。

2015.06.21.Sun.17:49
2015年6月19日 NHKニュースの記事より引用
『労働者派遣法改正案が衆院で可決 参院へ
6月19日 13時48分

後半国会の焦点の1つである労働者派遣法の改正案は19日の衆議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と次世代の党などの賛成多数で可決され、参議院に送られました。一方、民主党などは「採決を急ぐ理由はなく強引だ」などと反発し、改正案の採決が行われる前に本会議を退席しました。
派遣労働の期間制限を一部撤廃する労働者派遣法の改正案は、19日午前、衆議院厚生労働委員会で安倍総理大臣が出席して質疑が行われました。
この中で、安倍総理大臣は「一般に派遣労働という働き方は雇用の安定やキャリア形成が図られにくい面がある。今回の改正案は派遣労働の道を選ぶ人には待遇を改善し、正社員の道を希望する人には道を開いていくためのものだ」と述べ、改正案の意義を強調しました。
このあと、改正案は、自民・公明両党の賛成多数で可決され、午後の衆議院本会議に緊急上程されました。
これに対し、民主党・社民党・生活の党と山本太郎となかまたちは「採決を急ぐ理由はなく、緊急上程は強引だ」などと反発して退席し、改正案は討論に続いて採決が行われ、自民・公明両党と次世代の党などの賛成多数で可決され、参議院に送られました。
労働者派遣法の改正案は、派遣労働を巡って、一部の業務を除き、現在は最長で3年までとなっている派遣期間の制限を撤廃する一方で、1人の派遣労働者が企業の同じ部署で働ける期間を3年に制限するなどとしたものです。
一方、同じ仕事であれば正社員と同じ賃金を得られる「同一労働・同一賃金」を推進するための法案を自民・公明両党と維新の党が共同で修正した法案の採決も行われ、民主党などが退席したなか、自民・公明両党と維新の党、次世代の党などの賛成多数で可決され、参議院に送られました。
派遣労働の歴史と現状
派遣労働は、一時的、臨時的な雇用形態として昭和60年に制定された労働者派遣法で秘書や通訳など専門業務に限って認められました。
しかし、その後、企業のニーズに合わせて対象業務が広げられ、平成15年には雇用への影響が大きいとして認められてこなかった製造業への派遣が解禁され、急速に拡大します。
ピークの平成20年には派遣労働者はおよそ200万人に達しましたが、リーマンショックによる景気の悪化でいわゆる「派遣切り」が相次ぎ、仕事や住まいを失った労働者が東京・日比谷公園の「年越し派遣村」にあふれるなど社会問題となりました。
その後、派遣労働者の数は減る傾向が続き、去年6月の時点では126万人となっています。
厚生労働省が平成24年に派遣会社を通して行った調査では、派遣労働者のうち「正社員として働きたい」という人が43%に上った一方、「今のままの働き方がよい」という人も43%いました。』



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/MZjyP



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150621084751/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120451000.html



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0621-1748-01/www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120451000.html


「政権交代後『三本の矢』の政策により、わが国の経済を巡る雰囲気は一変した。当初は都市部だけの回復という声もあったが、各都道府県で有効求人倍率は大幅に増加し、税収も増えている。景気回復の風をさらに全国各地域に届けるためには、まさにことしは正念場だ。鍵を握るのはなんと言っても賃上げで、出遅れていた中小企業の投資や賃上げにも明るい動きが出始めている。サービス産業は地域経済にとっても重要な柱だが、生産性の向上が遅れてきた。サービス産業の活性化なくして地方の持続的な発展は望めず、まさにアベノミクスの正否の鍵を握っている」by安倍晋三

2015.06.21.Sun.14:14
2015年6月19日 NHKニュースの記事より引用
『首相 経済好循環へ中小企業の賃上げに期待
6月19日 20時41分

安倍総理大臣は東京都内で開かれた全国信用金庫大会であいさつし、経済の動向に関連して「鍵を握るのは賃上げだ」と述べ、経済の好循環の実現に向けて中小企業にも賃上げの動きが広がることに期待を示しました。
この中で安倍総理大臣は経済の動向に関連して、「政権交代後『三本の矢』の政策により、わが国の経済を巡る雰囲気は一変した。当初は都市部だけの回復という声もあったが、各都道府県で有効求人倍率は大幅に増加し、税収も増えている」と指摘しました。
そのうえで安倍総理大臣は「景気回復の風をさらに全国各地域に届けるためには、まさにことしは正念場だ。鍵を握るのはなんと言っても賃上げで、出遅れていた中小企業の投資や賃上げにも明るい動きが出始めている」と述べ、経済の好循環の実現に向けて中小企業にも賃上げの動きが広がることに期待を示しました。
また、安倍総理大臣は「サービス産業は地域経済にとっても重要な柱だが、生産性の向上が遅れてきた。サービス産業の活性化なくして地方の持続的な発展は望めず、まさにアベノミクスの正否の鍵を握っている」と述べ、サービス業の生産性の向上に取り組む考えを示しました。』




2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/ceOFi


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150621051213/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120871000.html


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0621-1412-22/www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120871000.html

上川陽子法務大臣は、閣議後の記者会見で、出生届が出されず、戸籍がないまま暮らしている無戸籍の人たちが戸籍を取得できるよう、法務省内に新たな検討チームを設けるなど、取り組みを強化する考えを示した。

2015.06.21.Sun.13:22

2015年6月19日 NHKニュースの記事より引用
『法相 無戸籍解消に向け取り組み強化
6月19日 11時50分

上川法務大臣は、閣議のあとの記者会見で、出生届が出されず、戸籍がないまま暮らしている「無戸籍」の人たちが戸籍を取得できるよう、法務省内に新たな検討チームを設けるなど、取り組みを強化する考えを示しました。
この中で、上川法務大臣は、出生届が出されず、戸籍がないまま暮らしている「無戸籍」の人たちが、今月10日の時点で全国で626人把握されていることを明らかにしました。
そのうえで、上川大臣は、「国民としての社会基盤が与えられておらず、人間の尊厳に関わる重大な問題だ」と述べ、「無戸籍」の人たちが戸籍を取得できるよう、法務省内に新たな検討チームを設け、対応する意向を示しました。
また、上川大臣は、戸籍を作るための裁判の手続きを円滑に進めるため、法務省として日弁連=日本弁護士連合会とも協議を始めるとともに、全国の法務局に、無戸籍の人に積極的に連絡を取って情報収集するよう指示するなど、取り組みを強化する考えを示しました。
上川大臣は、「すべての無戸籍の方々が戸籍記載に至るよう、より一層積極的に取り組んでいく」と述べました。』




2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/Pmihb


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150621042045/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120151000.html


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0621-1320-58/www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120151000.html

「(昭和34年の砂川事件の最高裁判所の判決に関しては)憲法上認められる自衛の措置に関して、個別的と集団的を区別して論じているわけではない。安全保障関連法案で認められる限定的な集団的自衛権の行使は日本の自衛の措置に限られ、砂川判決の範囲内のものだ。この意味で、砂川判決は限定して容認する集団的自衛権の行使が、合憲であることの根拠たりえる」by中谷元

2015.06.20.Sat.07:43

2015年6月19日 NHKニュースの記事より引用
『防衛相 砂川事件判決は合憲根拠になりえる
6月19日 15時13分

中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、衆議院の特別委員会で、憲法9条の下でも自衛権は認められるとした砂川事件の最高裁判所の判決は、安全保障関連法案に盛り込んでいる集団的自衛権の行使が合憲である根拠になりえるという認識を示しました。
この中で、中谷大臣は憲法9条の下でも自衛権は認められるとした昭和34年の砂川事件の最高裁判所の判決について、「憲法上認められる自衛の措置に関して、個別的と集団的を区別して論じているわけではない。安全保障関連法案で認められる限定的な集団的自衛権の行使は日本の自衛の措置に限られ、砂川判決の範囲内のものだ。この意味で、砂川判決は限定して容認する集団的自衛権の行使が、合憲であることの根拠たりえる」と述べました。
また、岸田外務大臣は「集団的自衛権の行使が可能になる『存立危機事態』に当たるような事例は、過去にあったのか」という質問に対し、「わが国が国民の命や暮らしを守るために必要とする限定的な集団的自衛権には、厳格な基準を設けている。こうした基準に基づいて行使されたと説明されている事例は存在しない」と述べました。
さらに、横畠内閣法制局長官は、法案に盛り込んでいる集団的自衛権の行使について、「集団的自衛権をどう理解するかということだが、仮に毒きのこだとすれば煮ても焼いても食えないし、一部分をかじってもあたる。ふぐかもしれない。ふぐだとすれば毒があるから全部食べたらあたるが、肝を外せば食べられる」と述べました。
一方、石破地方創生担当大臣は、徴兵制について、「内閣の一員として、『憲法13条と18条の規程の趣旨からみて、許容されるものではない』という政府の見解は堅持するし、私もその立場だ。『徴兵制が合憲だ』と言ったことは一度もない」と述べました。そのうえで、石破大臣は「『憲法に反する根拠を述べよ』と言われたときに、奴隷的と苦役はわかれているが、それを根拠とすることに違和感を感じるということは、言ったことがある」と述べました。
また、横畠長官は「国際環境が変化すれば憲法解釈が変わり、徴兵制が容認されるのではないか」という指摘に対し、「武力行使の新3要件でわが国を守るための必要最小限度を明確に限定した集団的自衛権の議論とは全く別だ。徴兵制そのものは、単なる環境によって法的評価が変わるはずもなく、今後とも違憲であるという判断に変更はありえない」と述べました。』



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/NRJiN



2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZPdj86UI


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150619224122/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120521000.html


2015年6月19日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0620-0741-34/www3.nhk.or.jp/news/html/20150619/k10010120521000.html



【備忘録】「最後に、徴兵制についてですが、徴兵制をとるかとらないかはその国の政策判断だと私は思っています。フランスが徴兵制をやめました。私は、結構あれは驚きを持って観じまして、去年フランスに行ったときも、ことしフランスに行ったときも、どうしてということは随分聞いたのですが、結局のところは、徴兵制にしているとコストがかかって仕方がない、非常にコストがかかる。もう一つは、徴兵で集めた兵隊さんというのは、玉石混交というのか何というのか、とにかくプロ集団じゃないので、フランスも財政が厳しい、そうするとプロ集団でやった方が役に立つ。  ただ、フランスとしては、結局、近代市民社会を支えているのは国民皆兵という思想と、それから財政民主主義というものだと思っているのですよ。我々の民主主義国家というのは、国民みんなが守るんだということと、王様が税金を集めるのではなくて、政府が集め、それをどう使うかということは議会が決める、これが柱だったと私は思っているのですが、その徴兵制をフランスがやめるということもかなりショックなことではあった。でも、それは政策選択なのだと思うのです。  それで、日本の国において、徴兵制は憲法違反だと言ってはばからない人がいますが、そんな議論は世界じゅうどこにもないのだろうと私は思っています。徴兵制をとるとらないは別として、徴兵制は憲法違反、なぜですかと聞くと、意に反した奴隷的苦役だからだと。国を守ることが意に反した奴隷的な苦役だというような国は、私は、国家の名に値をしないのだろうと思っています。少なくとも、日本以外のどの国に行っても、社会体制がどんなに違ったとしても、そのようなことは、あなた、本当に何を考えているんですか、そういう反応になるのだろうと思っています。徴兵制が憲法違反であるということには、私は、意に反した奴隷的な苦役だとは思いませんので、そのような議論にはどうしても賛成しかねるというふうに思っておりますが、御見解を承れれば幸いです。」by石破茂

2015.06.19.Fri.12:55

2015年6月16日 Economic Newsの記事より引用
『徴兵 法制局長官は憲法禁止、石破氏は政策判断
2015年06月16日 07:42

 民主党の寺田学衆院議員は15日の衆院安保特別委員会で、自民党の高村正彦副総裁が、今回の集団的自衛権行使が合憲であるという理由を、『砂川判決では明示的に個別的自衛権・集団的自衛権を分けて言及していない。だから今回の限定的な集団的自衛権は排除されていない』旨の発言を14日のNHK討論番組等で行っているとしたうえで、徴兵制に言及した。

 寺田議員は「徴兵制は憲法の条文でも判決のなかでも明示的に禁止されてはいない」ことをあげ「徴兵制は政策的に実施しないのか、それとも憲法で認めていないのか」と質した。

 横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上禁止されている」と答弁した。これを受けて、寺田議員は「だから、明示的に書いていないから認められる余地があるという高村副総裁の論法は不誠実だと思う」と指摘した。

 また、徴兵制については、石破茂地方創生担当大臣が「徴兵制をとるかどうかはその国の政策判断。日本では徴兵制は憲法違反という人がいるがそんな議論は世界中どこにもないと憲法調査会で述べている」と政府・閣内でも解釈に違いかがあることを指摘した。安倍晋三総理は国会答弁で、徴兵制は苦役にあたるので憲法で禁止されていると断言している。

 現行憲法では徴兵は国民の義務であり、苦役には当たらないと政府が解釈変更し、閣議決定すれば、集団的自衛権行使の容認と同様の論法で、徴兵制がとれることになる。禁止であれば禁止と明示して担保することが必要になりそう。(編集担当:森高龍二)』



2015年6月16日 Economic Newsの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/jOO2T



2015年6月16日 Economic Newsの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150619034351/http://economic.jp/?p=50228



2015年6月16日 Economic Newsの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0619-1244-04/economic.jp/?p=50228




【ご参考】
平成14年05月23日 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会の国会議事録

第154回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第4号
平成十四年五月二十三日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 島   聡君
      石破  茂君    近藤 基彦君
      土屋 品子君    長勢 甚遠君
      葉梨 信行君    小林 憲司君
      今野  東君    太田 昭宏君
      武山百合子君    春名 直章君
      植田 至紀君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (日本政策研究センター所
   長)           伊藤 哲夫君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
五月二十三日
 小委員近藤基彦君四月十六日委員辞任につき、その補欠として近藤基彦君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として植田至紀君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員植田至紀君同日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 基本的人権の保障に関する件

     ――――◇―――――
○島小委員長 これより会議を開きます。
 基本的人権の保障に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として日本政策研究センター所長伊藤哲夫君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。憲法調査会基本的人権の保障に関する小委員会として、これで四回目の小委員会を開かせていただきます。きょうは、基本的人権の保障につきまして、参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、伊藤参考人、お願いいたします。
○伊藤参考人 ただいま御紹介いただきました伊藤でございます。よろしくお願いします。
 今まで三人の憲法の先生の方からお話があったそうでございますが、私は憲法を専門に研究している学者ではございませんが、むしろ、そういう学者的な立場からではなくて、一般国民として、そういう学者の先生方が解釈しておられる学説も含めて、私、日ごろ素朴な疑問を感じている部分がございます。そういう疑問についてきょうはお話をさせていただきたいというふうに思って、参りました。
 まず、基本的人権という言葉からでございます。
 基本的人権は、御存じのように、憲法十一条それから憲法九十七条に出てくる言葉でございます。基本的人権ということを盛んに言いますので、憲法の至るところに出てくるかのようにちょっと誤解してしまうわけでありますが、出てくるのはこの十一条、九十七条ということになります。
 それでは、この基本的人権という言葉をどう解釈するのかということで、ここで通説的な解釈ということで、これは皆様方も御存じかと思いますが、とりわけ宮沢俊義先生などがおっしゃられた、人間性から論理必然的に生ずる権利であって、換言すれば、人が人たることに基づいて当然に有する権利である、まあ前国家的な自然権というものであると。と同時に、九十七条を踏まえまして、それはアメリカ、フランス両革命が掲げた政治原理に由来するものである、そういう解釈がなされております。
 とりわけ、その淵源とされるアメリカ、フランス両革命ということで引用されるのが、以下三つ挙げましたが、バージニアの権利章典、それからアメリカ独立宣言、フランス人権宣言でございます。
 中でも、バージニア権利章典に関しては、「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。」こういう一節。それから、アメリカ独立宣言の「すべての人間は平等に造られ、おのおの造物主によって、他人に譲りわたすことのできない一定の権利を与えられている。」これはちょっと引用するものによって違うんですが、この「一定の権利」を「天賦の権利」と訳しているものもございます。三番目、フランス人権宣言、「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。」という、これが代表的な自然権というものを表明する言葉であろうかというふうに思います。
 これが原型とすれば、現代においてこういう考え方をとりわけ明確にあらわす憲法の例として、ドイツ連邦共和国の基本法が言われるわけでございます。
 これは第一条でございますが、「人間の尊厳は不可侵である。」、そして二項で、ドイツ国民は「侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。」こういう条文があるわけでございます。自然権あるいは人が人たることに基づいて当然に有する権利というのはこういうものであるということがまず前提となります。
 そこで、私の疑問と申しますか、考え方をこれから少し開陳させていただきたいと思います。
 この資料に黒ひし形でちょっと付加する部分をつけておきました。この自然権というものを考えるときに、実は前提があったのではないだろうかということを私は指摘したいわけでございます。
 端的に言いますと、フランス革命はちょっと色合いを異にしますが、ここに紹介したものは、キリスト教的な神という観念を前提とした発想であるということで、自然権の条文の根底にあるのはとりわけロックの自然権論だというふうに言われますが、ロックが説いたのは、神のしもべとして創造された人間が自然状態において持つ権利というところから出発して、社会契約説を唱えたわけでございます。そのロックの自然権論の中にも明白にありますように、神のしもべとして創造された人間という大前提があるわけでございます。当然、それを受けて、さきに紹介しました三つのものもそういう内容を持っている。
 バージニアの権利章典、これは一つ一つやるにはちょっと時間がございませんので、読んでいただけばよろしゅうございますが、とりわけ下の方、「お互いに、他に対してはキリスト教的忍耐、愛情および慈悲をはたすことは、全ての人の義務である」と、神に与えられた権利であるがゆえにそういう義務もあるんだということをうたっておるわけであります。
 それから、アメリカ独立宣言は、「おのおの造物主によって」ということで、これは神ということだと思いますが、神に与えられた権利なのだと。当然、独立宣言の中には、ほかにも、神及び神の法のもとにという一番冒頭の言葉が来ますし、それから一番最後に、「聖なる摂理の保護に信頼しつつ」という言葉がございまして、この「聖なる摂理」というのも、これは当然神のことでございます。神に対してある意味での義務を負うという観念が背景にあるわけでございます。
 では、フランス人権宣言はと申しますと、これはキリスト教の神と必ずしも言えない。フランス人権宣言の成立過程にはいろいろ議論があった。キリスト教関係者がキリスト教の神ということを言うべきだ、そういうことも言われましたが、結果的にどうなったかというと、「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、」ということで、まあ神という言葉は使いませんが、人間を超えたそういう高いものの前で責任を自覚しつつ権利を確認する、こういう書き方になっております。
 一方、ドイツの場合は、ドイツ憲法の前文には、「ドイツ国民は、神と人間に対する責任を自覚し」云々と、憲法全体を貫く精神として神ということを明確に言っております。神に対する責任ということを言っておるわけでございます。そういう責任というものを前提にしての、いわゆる権利という発想であった。
 フランス人権宣言の場合は、その神という観念はあえて打ち出さなかった。そうすると、フランス人権宣言で説かれている人とは何ぞやというと、これは神のしもべというわけにはいかない。しからば何だということになると、いろいろ議論があるわけでありますが、フランス革命のいろいろな文献の中には新しい人間という言い方がされています。要するに、私利私欲を持たない共和国的な人間という言い方です。それで初めて人権というものは成り立つんだ、そういう前提を置いて議論しておったということでございます。
 さて、そこで、冒頭の、人が人たることによって当然に生ずる権利ということに戻るわけでございますが、我が国の場合、抽象的個人というものが前提になっておって、その抽象的個人の背景に一体何があるのかということに関する議論がほとんどなされておらないわけです。人間は人間なんだよ、そういう議論もあろうかと思いますが、私はちょっとそこに疑問あるいは不満を感ずるわけでございます。
 というのは、人間が人間であるがゆえに自由を有するんだ、権利を有するんだ、その権利には基本的に拘束があってはならないんだ、こういうことになりますと、しかし、その人間というものは、実は悪を犯すこともある人間なんですね。あるいはホッブズ的な言い方をすれば、人間の本性はどん欲ということですね。だから、その人間がその人間のままでおるならば、万人の万人に対する闘争という形になるんだ、こういう議論を彼は展開したわけでありますが、私は、このホッブズの指摘というものは忘れてはならない。
 いわゆるロック的な神のしもべとしての人間ということで出発するならば、そういうことはある意味で信仰の世界で解決がつくのかもしれませんが、何の前提もない人間ということを前提にする場合、その人間というものは悪を犯すこともあるんだ、あるいはどん欲という性質も持っておるんだということでございます。
 ということは、言いかえますと、その人間の定義からは自己制約の論理が出てこないということでございます。それではいかぬということで、憲法学者の中には、いや、ここで前提とされている人間は、単なる人間ではなくて、理性的人間のことだとか、あるいは人格を持った人格的存在のことなんだ、こういう修正派が出てきておるわけでございます。
 しかし、その理性とは何ぞや、人格とは何ぞやということを問いますと、必ずしも厳密に答えられているようには思えません。というのは、人間というものは、人格を持つということは、その背後にある歴史、文化、伝統の中で人格というものは形成される。
 昔、オオカミ少女という話がございました。生まれた直後にオオカミに育てられた少女は、言葉も持たなければ、そういう人間の文化に触れることもなかった。発見されて人間社会に戻ってきたけれども、ついに人間になることはできなかった、そういう話がございますけれども、人間が物を考え、そして人格を形成していくということは、まずやはり言葉というものが前提となります。
 そして、その言葉の中に込められたいろいろな文化の伝承、そういうものの中で人格が形成されていくというふうに考えますと、そういうものを全く議論しないでいきなり人格を出してくるのは、これはちょっと乱暴な議論じゃないかという感じがしてなりません。そういうことが我が基本的人権論ではほとんど議論されていないということに関する不満を私は覚えるわけでございます。
 前提とされる人間観というものは非常に重要でございまして、ただ人であるということでいいんだ、こういう、ただ人であることというその人のことを、マイケル・サンデルという学者は、負荷なき個人という言い方をあえてしまして、ここには、歴史による負荷もなければ文化による負荷もない、何にもない個人である、それは果たして権利の主体たり得るんだろうか、そういう疑問を出しております。
 出発点としての人間観というところで、私はちょっとそういう疑問を呈させていただきたい。
 続きまして、それでは一方、そういう自然権論的な把握に対して私は疑問を呈したわけでございますが、しからば、それは私が一方的に言っている独善的な疑問なのかといいますと、必ずしもそうではないようでございまして、西洋の法思想あるいは政治思想というものをひもといてみますと、大きく分けて二つ潮流がある。
 今紹介したのはロック流の自然権論でございますが、実はそれだけが正統であるわけではございませんでして、例えば英国における保守主義、エドマンド・バーク、その源流をたどればコークという法律家がおりましたが、コークというような人からバーク、そして流れてくる保守主義の考え方、それから、スコットランド啓蒙と言われるヒュームとかアダム・スミスという人たち、それから、これは大陸系という言葉にはちょっと矛盾してきますが、モンテスキューです。
 モンテスキューの「法の精神」というのは、これはまず最初に人間というものを出してきて、そこから演繹的に議論していくんではなくて、彼は各国のそれぞれの多様な歴史を学び、研究し、その中にそれぞれ固有の法の精神があるんだと。その法の精神の中から築き上げられた権利という考え方、そういうものを明らかにしていったということで、方法論からいえば非常に歴史論的な方法論でございます。
 そういう考え方からいきますと、権利というものはどういうふうにとらえるかというと、全く定義のない、人間とか、あるいは神のしもべなどという個人をまず前提とさせるのではなくて、人間というものを、まず普通の人間、それも基本的にはいわゆる国民である。それぞれの国に属する、あえて国と言わなければ、政治共同体に属する国民が歴史の経験の中で練り上げてきた観念、とりわけ、その中で人間というものにこれは必要な聖域なんだというような形で形成されてきた権利観念、これがロック流の自然権論に対抗する権利のとらえ方でございます。私は、こういう考え方にむしろ重要性を感じます。
 英国における英国人の古来の自由と権利という考え方はまさにそうでございまして、マグナカルタから始まりまして、権利の請願、権利章典という流れで今日まで伝わってきているイギリス的な権利観。初めは、マグナカルタの時代は、これは当然封建的貴族の権利であった、あるいは特権と言ってもいいかもしれません。ところが、それが歴史の経験の中でだんだん広がっていって、そして権利の章典。名誉革命の時代になりますと、庶民にもすべて及ぶ権利という形で考えられるようになっていった。
 それは、先ほどから繰り返し言いますように、歴史的に形成されてきた権利なんだということで、ですから、その権利も、合理論によってつくり上げてきた権利ではなくて、いわゆる経験主義的に、歴史のテストを経て伝えられてきた、何度も修正を加えられながら伝えられてきたそういう権利観という考え方でございます。
 さて、三番目でございますが、では、アメリカはどうなのか。
 先ほど独立宣言で、あれは自然権だという言い方をしましたが、実は、その文言だけを見るとそのようにも読めるんでありますが、最近、アメリカの独立革命史はいろいろ研究を積み重ねてきまして、最近台頭してきた研究成果によりますと、いわゆる独立革命におけるジェファーソンの思想は必ずしもロック流の自然権だけではなかったんだと。ロック流の自然権というよりも、むしろ英国人の古来の自由と権利という考え方が前提にあって、それがもとになって展開されていったんだと。
 ちょっと細かい話はここでは省かせていただきますが、もしあれでしたら後で御質問の中でもう少し詳しく説明させていただきます。
 もっと言いますと、アメリカ独立革命というのは、実は新しく自然権を打ち立てたんじゃなくて、初めは、我々はイギリス国民なんだと。そのイギリス国民の伝統的な権利が植民地においては踏みにじられていると。それに対するプロテストとして、いわゆる独立というところまで流れていった。独立ということになると、イギリスから分離するわけですから、これはイギリス国民の権利というわけにはいかない。そこで、じゃ、どのように論拠づければいいかということで、自然権的な言い方をせざるを得なかったということであって、その思想の根底にあるのは伝統的な権利という考え方であったということでございます。
 さらに、その後十年たちますと、アメリカ合衆国憲法の制定というところに行くわけでございますが、ここではそういう考え方はとりわけ明確でございまして、米国憲法を読んでいただければわかりますように、そこには自然権だとか社会契約という考え方は一切ございません。むしろ、イギリス憲法的な実定的権利観というものがそこでは表明されていると言ってよろしいかと思います。
 そういう、権利のとらえ方には二つあるということをここでは強調しておきたいと思います。
 そこで、日本国憲法は自然権ということになって、これがある意味では常識になっているけれども、本当にそうなんだろうかということについて、ここで簡単に疑問を提起しておきたいと思います。
 条文を読みますと、まず憲法第三章の表題が「国民の権利及び義務」ということになっておりまして、基本的人権及び義務とか人の権利及び義務という言い方はしておりません。あくまでも「国民の権利及び義務」というふうになっております。すなわち、第三章は、まず、国家以前の人を前提とした権利ではないんだ、国民を前提とした権利なんだという言葉になっております。いや、これはちょっと間違ったんだというわけにはいかないと私は思います。
 それから、十二条、十三条、これは、今の学者の先生方の解釈というものを一切抜きにして、虚心坦懐に読んでいただきたいと思うんです。第十二条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利」。まず「この憲法が国民に保障する自由及び権利」という言い方をしています。ということは、やはりこれは憲法上の権利なんだ、憲法が認めたから発生する権利なんだという言い方で、憲法以前にまず権利があるんだという考え方を果たして認めたんだろうかという見方が一つできます。
 それよりも、私はさらに言いたいのは、「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」国家以前の段階にまず個人というものがあって、その個人には人権というものがあるんだ、権利というものがあるんだ、その権利というものはある意味では拘束されない権利なんだ、こういう考え方からいくと、「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と余計なことを言っているということになりますし、「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」というのは、これは自然権なんですか、自然権だったらこんなごちゃごちゃ言わなくてもいいじゃないですかということになる。自然権を与えてくれたにしては、この憲法はちょっとけちでございませんかと、あえて私は皮肉も言いたくなるような書き方ではないか。
 そこで、憲法学者はどうするかというと、これは単なる訓示的規定であって法律的には余り意味がないんだ、こういう解釈をして、この条文にこだわらないわけです。でも、そうやってすっ飛ばしていいんでしょうか、憲法に書いてあるんですよということでございます。自然権であるならば、この条文はちょっと納得できない条文ではないかと、私は素人であるがゆえに、そういう素朴な疑問を提起したいと思います。
 それから、第十三条、これはまたとりわけ自然権論者が強調する条文でもあるわけでありますが、しかし、その後段、「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と書いてある。これが自然権であったら、「公共の福祉に反しない限り、」なんという言葉は、少なくとも純粋な自然権論でいけば、余計なことということになろうかと思います。それから、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」これも余計なことで、尊重するのは当たり前であって、「最大の尊重」どころか、絶対の尊重を必要とすると書くべきだと私は思うんです。それが、公共の福祉に反しない限り最大の尊重ということでとどまっているのは一体何か。これは、実は自然権ではないんではないのか。
 あるいは、もっと極端なことを言いますと、ここで言われている「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、これはアメリカ独立宣言から来ていますから、これは基本的人権、人権のことだという言い方をするわけでありますけれども、しかし、そういう前提を抜きにして虚心坦懐に読みますと、「公共の福祉」だの「国政の上で、最大の尊重」だの、そういう言い方をされていると、これも憲法上初めて誕生した権利、そういう解釈も成り立つんではないか。暴論かもしれませんが、私はあえてそういう関心を持つ。
 それから、時間がないので早く行かなくちゃいけないんですが、配列を見ますと、自然権であるならば、当然自由権というものが重要性を持つはずなんですね。ところが、この第三章の配列を見ますと、十五条は、公務員の選定の権利、参政権ですね。それから、十七条は、国家賠償請求権。これは、国家がなければ存在しない権利でございまして、少なくとも自然権という定義を純粋に追求するならば、こんなところに冒頭から出てきたんではちょっと論理的でないんではないかということになります。それから、二十五条以下と言った方がいいんでしょうか、社会権というものが重要だという言い方をされますが、これもあくまでも国家を前提とする議論ということになります。それは自然権なんですかということになるわけでございます。
 こういう第三章全体の配列、それから個々の条文の書き方を見ますと、これは自然権だということで権威ある学者がまず最初に言ってしまったものですから、この憲法に書かれているのは自然権だということになって、それに対して異説を唱えたら、おまえは何も知らないんだという話になってしまうけれども、私は憲法学者ではございませんので、あえて異論を唱えさせていただくと、ちょっとおかしいんじゃありませんかということを言いたい。本当にこれは自然権なんでしょうかということなんでございます。
 そこで、そういう立場に立って、じゃ、おまえは日本国憲法の権利をどのように位置づけるべきか、あるいはさらに、日本国憲法を変えてその権利というものを位置づけるとすればどうあるべきか、そういうことについて私のささやかな考え方を示したいと思います。
 私は、今まで言ってきましたが、自然権論というものからの脱却を主張したい。そして、権利というものを、そういう、神を前提としなければ成り立たないとか、あるいは全くそういう議論を抜きにして、いきなり人は人としてそれだけで尊重されるべきものなんだという議論で来るのか。これは、私、ある意味での形而上学だと思うんです。
 そうじゃなくて、もっと当たり前の人間観から、間違うこともあり得る、あるいはある意味でいろいろな欲望を持っている、時にはどん欲にも走る、そういう人間をそのまま認めて、しかし、もちろんその人間はあしきことだけではない、その中に理性もあれば崇高なものへの願いもある、そういう人間が、歴史の営為の中で、とりわけ共同体に生まれた人間として、その共同体から負荷された様々な価値観あるいは人間観、あるいは人間として守るべきいろいろな道徳、そういうものを念頭に入れて、共同のその交わりの中で、これだけは守らなければいけませんね、これだけは踏みにじってはいけませんねという形で形成されてき、そしてそれを最終的に憲法で確認し保障することになった権利こそが、これを権利と言うべきものではないのかということでございます。
 あえてそのように権利というものを歴史論的、共同体論的にとらえ、共同体論的にとらえるということは、ですから、人間はただ何にもないところに個人としてぽっと存在するわけじゃない、個人としては存在できないんですね。その人間が、例えば人格というものを持つに当たっても、その民族の言葉というものが必要であります。その言葉の中で伝承されてきたいろいろな価値観というものがあって、その中で人格が築かれるわけでございます。
 ですから、そういうものを丸ごととらえて、そして、もちろん、それが全部が正しいというわけじゃございません。その中でいろいろ試練を経ながら洗練されて今日に至ったのが権利なんだ。しかし、その奧には、その歴史、共同体独特の法の精神が存在する。その法の精神を単に否定の対象としてとらえないで、肯定的にとらえようじゃないか、そういう意味も込めて、私は、権利のとらえ方を主張したい。
 と同時に、権利というものはそれだけでは存在しないわけで、それを意味あるものとするためには、それを支える法と制度というものが非常に重要でございます。
 フランス革命は、人権宣言では非常に立派なことを言いましたけれども、それを実定化していくための法と制度というものにおいて大変な間違いを犯した。その結果、あのフランス革命は大変な災厄を招いたわけでございまして、フランス革命二百年のときも、フランス国内では、必ずしも心の底からフランス革命を祝うことはできない、そういう議論があったわけでございます。それは何かというと、人権観というものももちろん問題であったんでしょうけれども、しかし、何よりも、それを支える法と制度の議論があまりにも大ざっぱ過ぎた。
 一方、ハンナ・アーレントなんかがとりわけ強調することですが、アメリカ憲法は自由の確立に成功したという言い方がされます。それは、なぜそれができたかというと、そのための法と制度において、アメリカ憲法は卓抜な工夫を行ったんだ、そういうことを言うわけでございます。
 そういう意味で、私は、余り理念的な、自然権だというような、そういう形而上学を振り回すのではなくて、もっと権利というものを経験主義的にとらえ、なおかつ、それを支える法と制度というものはどうあるべきかという議論を現実主義的に展開していくことが、権利のためにも必要ではないのかということを主張したいわけでございます。
 さて、ここで二番目になります。
 そこで、権利の限界ということになります。冒頭の議論とも関連しますが、権利というものの本質からくる限界があるんじゃないか。当然、いわゆる原初的な自然権論には、神という存在からくる制約というものは当然意識されておった。それが、例えばバージニア権利の章典の冒頭に紹介した条文でもあるわけであります。キリスト教的な道徳を忘れてはならぬということであります。もちろん、それとともに、人間というのは一人で存在するわけじゃない、ともに生きているわけでございますから、そこからくる制約もございます。そういう、法で縛る以前に、権利というものの内在的な制約というのもあるんじゃないか。
 その制約はどこからくるかという議論の中で、ロバート・ベラーというアメリカの学者が心の習慣ということを言っている。これはトクビルから得た言葉なんでありますが、アメリカの権利、あるいは自由が今日まで確立して存在してきた背景には、やはり聖書的伝統と共和主義の精神というものがあったんだ、これを抜きにしたら、権利は自己崩壊を遂げていたであろう、民主主義は自己崩壊を遂げていたであろう、こういうことでございます。
 これは、さらに、トーマス・ジェファーソンの認識でもございまして、彼は、共和国を生き生きと保つものは人民の態度と習俗であるという有名な言葉を残しておりまして、権利という言葉を強調するだけではだめなんだ、大切なのは、ある意味でアメリカ国民という以前のイギリス国民として、その中で培われてきた人民の態度と習俗というものを尊重し、それを大切にしていこう。それを守らないと、それは民主主義の中に食い込む国家的潰瘍になる、がんとして国家を滅ぼすことになる、そういう言い方をトーマス・ジェファーソンは言っておるわけでございます。
 そういう権利の自己制約ということの延長の中で、公共の福祉という憲法の言葉がございますが、これでいいのかということになります。もう時間がございませんので簡単に流させてもらいますが、今、公共の福祉を解釈するに当たっては、これは人権相互の調整原理なんだということで、できるだけこの意味を軽く解釈しようとする考え方がございます。
 しかし、これは、否定される方からは何ということを言うんだと言われるかもしれませんが、やはり権利というものは、先ほど言いましたように、国家あって存在する、その国家が崩壊すれば、例えば北朝鮮のあの瀋陽の事件ございましたけれども、あの方々には権利はないわけですね、その国家をまず維持しなくてはならない。
 それから、社会には公共の利益というものがあるんだ。その公共の利益は、実は、道徳、公序良俗という言葉がございますけれども、道徳によって成り立っている。
 これを肥大化させて、これを実体化させて、もうこれで制限するんだ、そういう乱暴な議論をしろと私は言っているんじゃありません。しかし、やはりそういうものの議論を避けては通れないんではなかろうか。
 外国の例との比較をここで入れておきました。
 国家の安全ということは、外国の立法例にはたくさん入っております。あるいは、公共の道徳とかそういう言葉もございます。一方、アメリカ合衆国憲法では、権利の制限という形では入っておりませんが、「正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、」それと両立する限りで、「われらの子孫に自由のもたらす恵沢を確保する」ということになっておるわけです。
 こういう国家論というものは、私は大切ではないか。そうなると、やはり、今唱えられている公共の福祉論は、果たしてこのままでいいのかなという疑問を私は持っておるということでございます。
 それから、権利に対する義務ということでございます。
 私は、言っておきますが、何も義務をずらずら並べろなどというそんな考え方を持っておるわけじゃございませんけれども、国家共同体を形成する限り、義務というものがなくては国家共同体は成り立たない。我々は、主権者であると同時に、やはり国家の統治に服している、そういう立場もございます。当然、そこには義務があるということであります。
 そこで、あえてここで一つだけ、私は、いろいろな義務を、これはある意味で書こうが書くまいが当たり前の、例えば遵法の義務なんというのは当たり前であって、国家共同体が存在する限り、遵法の義務がなかったら成り立たないわけでございますから、そういうものをあえて書くか書かないか、これはいろいろ議論あろうかと思います。
 私は、国民の義務としては、国防の義務というものをぜひ書いていただきたい。反発も多かろうと思いますけれども、今、有事法を議論されておりますが、いわゆる国家有事の際、国民の自発的協力だけで果たしていけるんですかということを言いたい。
 ただ、念のために言っておきますと、国防の義務というのは、兵役の義務とはイコールではございません。国防の義務というのは、大きく言えば、いわゆる国家有事の際における国民の心の姿勢を論ずるわけでございまして、兵役の義務というのはまた別でございます。
 それと、ここでもう一つ指摘したいのは、自分の国をみずから守るということは民主主義の基本原則ではないのか。かつて、市民という言葉は、防衛の義務を負った人間にのみ言われた言葉でございます。
 外国の例との比較はここで少し削除させていただきます。
 国防の義務についてはいろいろな立法例があります。これは西修先生にお伺いしますと、あらゆる憲法を研究しておられますが、憲法ある国のほとんど大多数、国防の義務は定めておる、ない方が珍しいというふうにおっしゃっておられまして、有名な国の条文を見るだけでも、国防の義務というのはほとんど入っております。
 さて、最後に、各論的規定でございますが、私は、特段ここを直せというような、余り各論については積極的な意見を持っておりませんが、情報に関する権利、環境に関する権利というようなことが言われております。これについては、慎重にその外延、内包を確認しつつ新設されることがよかろうと思います。
 二番目の政教分離の規定については、これは絶対的分離ではないんだということを、これは最高裁判決で確認されておるわけでございますが、その目的・効果基準というものがもう少ししっかりと確認されるような憲法の規定に改めるというあり方があっていいんじゃないか。
 外国の例との比較でございますが、政教分離というのは、実は例が非常に少のうございまして、七カ国だけでございます。それ以外はむしろ、国教制、イスラムなんか全部そうでありますが、国教制が圧倒的に多い。それから、宗教公認制、例えばスペインなんかそうです。今までのカトリックとスペイン国家との特殊な関係にかんがみて、カトリックに対しては特殊な地位を与える、そういう宗教公認制、そういうものがございます。政教分離は七カ国のみであるということでございます。
 それから、最後にもう一つ指摘しておきたいのは、家族尊重の規定というものがあってもよいのではないか。この人間社会の基礎でございまして、世界人権宣言にもそういう言葉がございますけれども、私は、これから文明が進めばますます家族というものが危機に瀕する。しかし、やはり人間にとっての最後のよりどころは家族ではないのかという考え方から、家族というものを尊重する。
 とりわけ、我が国の法体系の中では、この家族というものの積極的位置づけは余りあるようには思えません。民法の中には家族という言葉はございません。そういうことを考えますと、家族という言葉をあえて憲法の中に入れて、その保護をうたってもよろしいのではなかろうかという考え方を持っております。
 いただいた時間をちょっとオーバーしてしまいましたが、以上をもちまして提起とさせていただきます。
○島小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
○島小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がございますので、順次これを許します。長勢甚遠君。
○長勢小委員 長勢甚遠でございます。いろいろ示唆に富むお話、ありがとうございました。
 私は、戦争に負けた後、ある時期から、日本の国における人間関係が大変ぎすぎすしたものになっておって、極端に言いますと、言葉が通じないということがたくさん見られるようになっておりまして、それは文化その他の価値観が相当ずれが大きいということなんでしょうけれども、そのために、議論をしておっても対立だけになるというような社会になっているということを大変危惧いたしております。こういうことがいろいろ信じられないような事件が多発するとかいうようなことになって、まさに病んだ社会が進行しつつあるというような気がしております。
 こういう人間関係の基準として我が国が持っておった優しさとか慈しみというものがだんだんなくなってくる。私は、雇用だとか福祉だとかを中心に活動しておるわけでございますが、この分野でもこういうことを非常に強く感じて心配をしておりまして、例えば雇用の問題でも老人の扶養の問題でも生活困窮者の問題でも、人間関係がきちんとしておれば解決しやすい、政策も立てやすいのですけれども、そういうことがないところではなかなか安定した政策、立法というものを構築することが、つくればつくるほどおかしいことになりかねないという心配すらしております。
 私は、こういうことになってきたのは、いろいろな原因があるのだろうとは思いますけれども、敗戦によってつくられた憲法が定着をしてきたということが相当大きく影響しているのではなかろうかなと思っております。このことは、いろいろな議論の中でも、口を開けば、これは憲法上の権利だとか、あるいは国の責任だとかさえ言えば、それを根拠にすれば全く問答無用と言わんばかりの議論が横行しておるというところにあらわれつつあると思っております。
 これでは、何のための憲法かわからないわけですから、こういうことのないようにするような、社会が安定するような、人間関係が安定するような憲法に見直す必要があるんじゃないかというふうに悩んでおると言ったら悩んでおるわけですが、しかし、憲法の規定を見ても、じゃ、どこがおかしいんだというと、別におかしいことは何も書いていないわけであります。
 しかし、少なくとも何でもかんでも憲法上の権利だとか国の責任だと言うことが正しいわけがないわけでありまして、そんな硬直的な議論の根拠になるのではなくて、もう少しみんながうまく生きていくためにはどうしたらいいかということを弾力的あるいは調和的に議論できるような、その根拠となるような憲法になってほしいなと思っております。
 ただ、これは、規定がそれほどおかしくないとすれば、単に憲法の位置づけなどについての理解がどうもおかしいというだけのことなのかもしれませんけれども、現実にはこういう風潮が定着をしておるわけですから、少なくともそれを是正する、適正なものにするという改正ぐらいはしないと、これはこのまま進行していってしまうと思っておるわけであります。
 こんな観点から憲法の規定を見直すとしたら、どこをどう直したらいいのかなということが、実は答えがなくて困っておりますので、何かこれについて御示唆がいただければありがたいと思いますが、よろしくお願いします。
○伊藤参考人 実は、私も今の先生の御質問のような問題意識を持って考え、そして、今までお話しさせていただきました中でも、そういう立場で話させていただいたつもりでございますが、もう少し御質問に沿って確認させていただきますと、私は、今の憲法の規定そのものがそういうあしき現実というものを生み出しているという言い方はあえてしようとは思わないのです。ただ、憲法を解釈する過程の中で、その解釈がさらなる解釈を呼んでいって、そして長勢先生が御指摘なされたようなあしき風潮が一部に出てきたということではないかと思うのです。
 それは一体何かということでございますけれども、例えば憲法九十七条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」という条文があるのですね。
 これを解釈しまして、この「人類」というのは、日本人は入っていないんだ、西洋国民のことなんだ、とりわけこれはフランス革命やアメリカ独立革命の人たちの努力のことであって、日本は、自由獲得の努力というよりも、自由がなかった国だったんだ、こういう考え方が解釈の中で広げられました。
 そして、とにかく戦前の日本のものは否定されねばならないんだ。もちろん、否定されるべきものはあったかもしれません。だけれども、よきもの、あしきものを分別するのではなくて、とにかく過去は否定されるべきなんだ。とりわけ戦前の日本はすべて封建社会だったんだ、こういう言い方で、そこにある道徳も何もみんな否定してしまえ、こういう解釈を実は呼んだわけですね。その解釈を呼びかねない、九十七条にはちょっとそういう危険性もあるといえばあるんです。
 先ほど言いましたように、こういう九十七条の考え方の根本にある、例えばバージニアの権利章典には、「およそ自由なる政治を、あるいは自由の享受を、人民に確保するには、ひとり正義、中庸、節制、質素および廉潔を固守し、人権の根本的諸原則をしばしば想起すること以外には、方法がない」、こういう規定もあるわけです。あるいは、「お互いに、他に対してはキリスト教的忍耐、愛情および慈悲をはたすことは、すべての人の義務である」、こう書いているのですね。その上で、生来の権利というものを言っているわけですね。
 ところが、このバージニア権利章典の一方を取っちゃったんですね。そして、権利追求のことだけを九十七条でわあっと拡大しちゃったものですから、先ほど言っているように、その社会が育ててきたいわゆる歴史、文化、伝統を否定せよ、その中で培われた道徳を否定せよという議論になっていった。それが、やはり私は、今日の議論になっている。
 フランス革命を称して、先ほど言いましたトクビルという人が、フランス革命は、自由にとって大切なあらゆる制度を押し流してしまった、自由を主張しながら、自由の存立にとって必要なあらゆる制度を押し流してしまった、こういう言い方をしているのでありますが、これは非常に示唆に富む言葉でございまして、自由というものを、あるいは権利というものを確立させていくためには、古臭く見える、あるいは、ひょっとすると何か権利の敵であるかのごとくさえ見える、そういうものを実は慎重に大切に守り、それをよきものとしてさらに発展させていくという努力がやはり必要で、それを成功させた国が自由というものを実は確立できているんだということだと思うんですね。
 だから、そういう意味で、先ほど私は、公共の福祉という問題も、例えば道徳を、ほかの国のように、我が国でももう一度確認してもいいんじゃありませんかということを言ったのは、そういう意味でございます。よろしゅうございますでしょうか。
○長勢小委員 時間が切れたようなので、なるべく簡単に、関連しますので、もう一問だけさせていただきたいと思います。
 先ほどの質問とも絡むのですけれども、人権というのは国と国民との関係を規律する部分が多いんだろうと思うんですけれども、そのことから、先ほど言ったように、国の憲法上の義務というか、国民の国に対する権利が際限なく拡大していって、何か、国の権力と国民の権利と、この二つしか世の中にないような話になりつつあるような気がして、おかしなことだなと思うんですね。当然、その中間に、自己責任であるとか、あるいは社会の常識、社会通念というものがあって、それで世の中は成り立っていなければ、先ほど言ったように、大変ぎすぎすしたものにならざるを得ない。
 そういう意味で、憲法に保障された権利、国に対する権利、あるいは国の義務というものと、そういう自己責任の範囲というものと、また、あるいは社会通念、常識というものの範囲がそれぞれ、当然、区分、区別されて議論されるべきものだと思うんですが、そういう議論は非常に弱くなってしまっておるような気がします。
 こういう観点から、憲法の規定を見直すということをする。その区分があれば、その区分の基準をきちんと書くというようなこともあるのかなと思いますけれども、これもなかなか知恵がないのでございますが、御示唆をいただければありがたいと思います。
○伊藤参考人 これも直接的なお答えになるかどうかわかりませんが、私は、憲法の規定というよりも、実は、憲法というものは、その背景に、やはり社会の常識あるいは精神、モンテスキューの言葉をかりれば法の精神というものがあるんだ。これを踏まえて権利というものも存在するんだ。その権利というものも、実は歴史的に形成されてきたものなんだ。その歴史的に形成されたということは、いろいろな人間の相互行為の中で、いろいろなテストを経て、今日その権利がここに確立されているんだ。私は、そういういわゆる法思想というものを強調する、あるいは、そういう法思想を否定しない憲法をつくるということなんです。
 そういう書き方は、ではどうしたらいいのかといいますと、今私はここで案文を持っているわけではございませんけれども、実は何も特別なことを言っているわけではございませんで、ほかの国の憲法を広く読んでいただきたいと思います。ほかの国の憲法は、実は、その国その国の法の精神というものを非常に大切にしております。
 ところが、日本の場合は、やはり占領軍が、日本は悪なんだ、これを否定しなくちゃいけないんだという形で、全部押し流すという考え方で来ましたので、実は、日本には法の精神はないんだという前提で出発しているんですね。だから、どうしても、そういう憲法以前にあるものを否定するんだという構えが強調されてしまうわけです。
 最近はそういうものはだんだんなくなってきているとはいえ、そういうものをもっと強調する議論に変えていくならば、ひょっとすると、今の憲法の規定でも私はうまく機能するというふうに思っておるわけでございます。
○長勢小委員 ありがとうございました。
○島小委員長 次に、今野東君。
○今野小委員 大変興味深くお話を伺いました。ありがとうございました。
 ただ、先生のお話と私の考えとは相入れないところも多うございまして、特に、権利というものが、共同体から付加された権利である、国というところからいただくものであるという考え方は、目まいがするほど戸惑いを感じます。
 お尋ねしたいのですが、瀋陽の、あの北朝鮮の五人の方々は、国があるから権利があるというふうに私の耳には聞こえたのですが、私は、あの五人の方々は、国家を捨てても自由を求める権利があるのだと思いますが、それは違う。そのあたりのところはちょっと確認をさせていただきたいと思います。
 済みません、三点ほどお尋ねしたいので、できるだけ短い時間でお答えいただければありがたいです。
○島小委員長 一人当たりの持ち時間が十分しかございませんので、よろしくお願いします。伊藤参考人。
○伊藤参考人 まず最初に、私の発言をちょっと聞き違えておられるようでございまして、国家からあるいは共同体からいただくなどということを、私は一言も申しておりません。これは私の発言をある意味で曲げられておるわけでございまして、それについては強く指摘させていただきたいと思います。そんなようなことは、私は一切申しておりません。
 いわゆる国家共同体、国家という言葉が嫌なら、政治共同体でも結構なんです。国家というものの定義が、政府なのか、あるいは政府権力なのか、あるいは歴史共同体としての国家なのか、こういう問題はございますので、私は、国家という言葉が嫌なら、あえて政治共同体でもよろしいのですが、その政治共同体の中で、いわゆる人と人の相互行為の中で、ここはある意味で聖域ですねという形で観念が確立されていって、それが権利として保障されていったものだ、そういう言い方をしたわけであって、何か、権力者がいて、おまえに遣わそう、そういうものだなんということは私は一言も言っておりませんので、そのことだけは繰り返し指摘しておきたいと思います。それでないと、議論が全部ずれますので。そのようなことは、私は一切言っておりません。これは私の一番言いたいポイントでございますので、あえて確認を求めたいと思います。
 それから、北朝鮮のあの五人の方々のこと。これも、私はそのような言い方をしたわけじゃございませんで、北朝鮮の国家の中で、ああいう政治体制あるいはああいう政治が行われていれば、いかに憲法で、極端な話、権利ということが書かれておっても、これは絵にかいたもちだということでございます。
 とりわけ、その国家が国民に食物も与えることができなくなって、食べるものもなくなって、脱出せざるを得ないとか、そういうものになったら、それは、いかに人間生来の権利というものがあると言ったところで、むなしいということでございます。
 だから、私は、北朝鮮という国家について、これは本当に私は、同情を込めて、深い悲しみを込めて言うわけでございますけれども、あそこには観念の上では生来の権利はあるのでしょうけれども、しかし、それはあくまでも政治思想として存在するだけであって、いわゆる実定的な権利としてはないのですね。実定的な権利としてなければ、あのような悲惨なことが起こるということでございます。
 それから、あの五人を救わねばならないという国際世論が起こりました。これは、それぞれの国において国民の権利を確立している国民たちの議論なんですね。その国その国で、そういう実定的な国民の権利を保障する、そういう政治が行われているゆえに、そういう国民が世界の各国から発した言葉が、あの五人を救えという国際世論になっているということでございまして、私の議論と何もそれは矛盾はしないはずだと私は思うわけでございます。
○今野小委員 付加された権利というところを私なりに解釈しまして、それをいただくというふうに表現をいたしましたが……(伊藤参考人「負荷というのは、済みません、よろしいですか」と呼ぶ)
○島小委員長 まず、こちらの方が話して、指名後、答えてください。
○今野小委員 それが先生の考え方と少しずれていたのであるとすれば、その言葉そのものは取り消してもよろしゅうございます。
 さて、私は先生のお説、幾つか勉強させていただきましたが、その中で、活力ある経済を築き上げることができたのは、よき伝統的社会の存在があったからだというフランシス・フクヤマ氏の所説を紹介して、個人、人権という観念を前提に置いて、伝統的な共同体は解体されるべきだという意見を、そうではないのだという論で展開していらっしゃるというふうに思うんです。
 私は、よき伝統的社会に支えられて活力ある経済が築き上げられてきたということも確かにあるかと思います。しかし、経済効率を優先する余り、個人や人権を埋没させてきたというのが、今の病を抱えた経済大国日本なのではないでしょうか。雪印のあの一連の事件に見られたような、ラベル張りかえのような、あのようなみずからの利益だけを追求して社会の利益を顧みない企業の姿勢というのはどこから来るのでしょうか。
 私は、企業のモラルというのは個人から出発するのだと思うんです。個人が発言し、その発言した個人の人権が守られる。個人、人権が生き生きと存在する経済行為こそ活力ある経済社会ではないかと思うのですが、お考えを、済みません、短くお願いいたします。
○伊藤参考人 まず、負荷という言葉は、この字を見ていただくとわかりますように、そういう意味ではございません。これは、先ほど言いましたように、例えばその人間の言葉とか文化、伝統というものが内部化されたという意味です。つけ加えるという意味じゃございませんので、それをまず指摘しておきます。
 それから、フランシス・フクヤマの、よき伝統的社会が今日の経済大国をつくっているということを私は言ったわけでございますが、今おっしゃったことについて、私は基本的には何も反対ではございませんで、あのような企業のモラルの乱れは、これは個人というものの未確立から来るということで、私は全然異論はございません。
 私が言いたいのは、日本の伝統的な歴史、文化、伝統と私は言うときに、確かにそういう個人というものを押しつぶすような全体主義的なものがあったことを私は否定するわけじゃないんです。しかし、一方、歴史、伝統の中に非常に個人というものを大切にする議論もあったんですね。あるいは、そういう歴史、伝統もあるんですね。なぜそれをもっと我々は前向きに継承しようとしないのかという意味で、あえて言わせていただいたということ。
 それから、個人の確立ということを言うんですが、その個人はいかにして確立するか。いきなり確立するかと言われてもだめなわけで、私は、自分の哲学は共同体論というものをベースにしておるんですが、その個人というものが確立するに当たっても、それは、いわゆる共同体のいろいろなよき伝承物、そういうものをそしゃくすることの中でしか個人の確立は実はないんだということを言いたいわけであって、私は個人を否定しているわけではございません。そのことを繰り返し言いたいと思います。
○今野小委員 それから、先生のお書きになった「憲法かく論ずべし」の中の「「神の政治」と「人の政治」」というところで、先生は、神の政治が人の政治になったという宮沢俊義さんの説に、アメリカのバージニア州の権利宣言、今もおっしゃっていましたけれども、あるいはアメリカの独立宣言を引いて、ここですら神の権威が前提になっているのではないかと言っておられますが、私は、この持論には時代的な相違の認識が欠けているのではないかという印象を持ちました。
 一つの伝統的な宗教を、先生が主張されているような理由でこれを持ち込みまして、アメリカと同様に複雑化して多様化している現代の日本社会に当てはめることは、政治的あるいは国家主義的理由による前時代的試みと言えるのではないかと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。
○伊藤参考人 私は、前時代的試みを主張しているわけではございませんで、いわゆる事実を指摘しているつもりでございます。
 私は、宮沢俊義さんの、あの方はネーミングの名人でございまして、神の政治と人の政治、こう分けちゃう。まず、この簡単な二分法が、大切な、微妙な違いみたいなものを全部流した議論になって、非常に乱暴な議論になっているという、ある意味でのやゆの意味も込めてあれを書かせていただいたんでございます。
 今のアメリカについてどうだという言い方をしますが、例えば、ブッシュ大統領がつい先日中国の北京の清華大学へ行きまして、学生に向かって演説しておりまして、自由というものは余りにも自分勝手なことであって混乱につながるではないかと中国の学生たちが言うわけですね。それに対して、そうじゃないと。自由は多くの権利をもたらすが、重要な責任を果たすことも期待している、我々の自由は道徳によって方向性と目的を与えられ、強固な家族、強固なコミュニティー、強固な宗教組織によってつくり上げられ、強固で公平な法制度によって監督されているのである、自由というものをただ上っ面だけとらえないでくれ、その奥にはそういう宗教的な精神もあるんだと。
 もっとどっきりするようなことを言っておられまして、米国は信仰によって導かれている国である、ある人がかつて米国を教会の心を持った国と呼んだことがある、九五%の米国人が神を信じると答えており、私もその一人である、そういうことまで言っているんですね。
 そういう皆が正しいと信ずる、そして、敬虔に物を考える精神がアメリカの自由や権利を成り立たせているんであって、ただ、中国の学生さんたちがおっしゃるように、自由は混乱へのいざないであるというような言い方はやめてもらいたいという言い方をしているんですね。
 ですから、私は、決して歴史の相違を無視しているわけじゃなくて、ある意味でそれは、宮沢さん的な粗っぽい言い方をすれば、神の政治と言ってもいいじゃないかと私は言っているわけであって、少なくとも、戦前の日本を神の政治だと言うんなら、今のアメリカだって神の政治ですよ、そういう言葉の問題として私は言っているということでございます。
○島小委員長 時間が来ております。ありがとうございました。
 次に、太田昭宏君。
○太田(昭)小委員 公明党の太田昭宏です。
 私も、いわゆる抽象的個人というもので人間ははかれるものではない。フランス革命以来の、人間は自由で平等で上澄み液のような尊厳なるというものではない。生まれながらにして自由でもなければ平等でもない、宿命にとらわれたというところの現実から出発した人間観に立たなくてはいけない、こう思っております。
 また、国家論からいきますと、二十世紀はネーションステーツという、ネーションとステーツという違う要素、ある意味では民族的なネーションあるいは文化的なネーションというものと、機能国家的な、いわゆるユナイテッドステーツということもそうなんですが、そうしたステーツとが一緒になって、そして軍事的な領土の覇権争いというのが全般的な二十世紀前半の姿であったというふうに私は思うんです。
 そこで、非常に大事なことだと思うんですが、人は機構に所属はするけれども、決して機構によって生きるわけでもない。文化とかパトリという、文化を呼吸して生きていくという現実をやはり見ていかなくてはいけないし、また、人間は生物的に生きていくというのではなくて、ある一定の文化形態や共同精神的な集団である民族の中に生きてきているという、それらを前提にしてお聞きをしたいと思うんです。
 そこで、パトリとかあるいはいわゆるナショナリズムというようなものが、必然的に、むしろパトリという郷土意識とか、あるいはもっと言いますとエスニックといいますか、文化的なそうしたものが必要であるという認識をするんですが、それがネーションという形で転化をして、日本の歴史の中に、いつの間にかパトリというものがネーションへと引き取られていって、そして国家主義的な戦争という形になっていく。そこの、郷土意識や文化というものを内包するという、くみ上げていくという作業が、いつの間にかナショナリズム的な、このナショナリズムというのは善悪いろいろあるんですが、ネーションステーツが力ずくで不幸な歴史というものを招いたという、どこかに、そこにひび割れが生じたか、あるいは変化が生じたか、そうしたことが成功、失敗の原因としてあったと思うんです。
 国家は我々国民のものであるということが、いつの間にか、国家は天皇のものであったり、あるいは国民は天皇の国民であったりというような形で、国家というものが優先的に展開するというような事態が我が国の不幸であって、その非常な反省というものが善悪一気にすべてを押し流すというような形になっているような気が私はするんです。
 その辺の歴史の検証も含めて、日本はどこでどういう形で誤ったのか、そして、国粋主義的な、あるいは国家主義的な傾向にどうしてもパトリとかエスニックというものは行きがちなんですが、それをどういうふうに抑えていったらいいのかということについてお聞きをしたいと思います。
○伊藤参考人 非常に重い質問でございまして、どのように答えたらいいのかちょっと混乱しておるのでございますけれども、我が国の歴史ということからいきますと、日本が明治維新によって国際社会の中に窓を開いた、このときの極めて特殊な事情があった、これをかなりしんしゃくする必要はあるんだろうと思うんです。
 というのは、当時日本を取り巻いていた帝国主義列強というものに対して、日本は大変な脅威を覚えたということは間違いないし、とりわけロシアの脅威というものは現実の脅威だったと思うんです。そういう脅威の中でネーションステートを築いていかなくてはならなかったということの中で、ある意味で、そのナショナリズムが必要以上に強調されたというものも、一歩譲ればあったかもしれないというふうに私は思うんです。
 ですから、私は、過去のものをいろいろ、どこで間違えたかということの議論は、これは冷静になされるべきだと思いますが、そのときに、日本だけがひとり相撲して、暴発して何もかも失ったんだというようなとらえ方ではなくて、当時の国際社会のそういう与件に対して日本が応答していく中での問題だったんだろうなというふうに思います。そういう中で、ナショナリズムというものが時には暴走する問題があったということは、私は認めるわけでございます。
 それでは、そのナショナリズムというものをどういうふうに評価したらいいか。これはしかし、日本だけが間違っているわけでもないんですね。世界の歴史を見ますと、ナショナリズムは至るところで失敗しているんですね。だからといって、ではナショナリズムは否定できるかというと、そういうことはないわけでありまして、そういう高い授業料を払って、失敗を繰り返して、その中で学んで、そして第二次世界大戦後、国際連合のもとでの国際社会を再出発させていった、その経過が私は非常に大切なような気がするんです。
 ということは、何を言いたいかといいますと、インターナショナルということなんです。ナショナリズムが暴発するがゆえにナショナリズムを否定するのではなくて、そのナショナリズムをいかにコントロールしていくかという議論だと思うんです。そのナショナリズムをコントロールするにはどうしたらいいかというと、いきなりグローバリズムに行くのではなくて、インターナショナリズムであって、ナショナリズムとナショナリズムの間の間合いをいかに理性的にとっていくか、そういう努力が今問われているんだと思うんです。
 それはいきなり培える能力でもございませんし、今までの歴史を十分に踏まえながら、またこれから時間をかけて、そういうナショナルとナショナルの間合いのとり方を学んでいくしか道はない、一気に何かが実現していくような、そんな王道はないと私は思っております。
○太田(昭)小委員 私は、グローバリゼーションというのは必然だというふうに思いますと同時に、ユナイテッドステーツもそうだし、シンガポールもそうかもしれないけれども、人工的なものは、必ずそこの根源の、自分は一体何なのか、我が国は一体何であるのかということが問われてくると思う。
 そこで、EUがEUという形を強めれば強めるほど、それぞれの民族が、自分たちは一体何であるのかということが問われ、そして、移民という形を契機にして、オランダとかフランスのいわゆる右と言われる現象が起きてきていて、これは非常に今日的な大きな問題であるというふうに私は思っているんです。むしろ、ハンチントンが言うような文明の衝突というよりも、もっともっと共同体的な、あるいは文化の衝突の時代というのが二十一世紀ではないのかというとらえ方を私はしているんです。
 そして、先ほど、ロックの背後には神がある、こう言いましたが、しからば日本の場合の、抽象的個人ではなく、その背後にある共同体的背景というものは、先生は一体どういうものであるというふうにとらえているのか。
 私は、日本という国は、儒教もあり、仏教もあり、あるいは神道という形もあり、自然風土もあるという、さまざまな人間の知恵の集合体という、非常に特殊な、優秀な日本人というものを認識して、文化というものを認識しているんですが、いわゆるヨーロッパ的な神というものではない、日本の背後にある共同体的背景の文化の本質は一体どういうものであるというふうにとらえていらっしゃるのか、お聞きをしたいと思います。
○伊藤参考人 これまた非常に難しい問題をいただいたわけでございますけれども、まず、グローバリズムでございますけれども、私は、確かに経済においてはグローバリズムは一つの流れであるということは認めないわけではないんです。しかし、例えばEUのことをおっしゃいましたが、あれはネーションステートの克服の過程というとらえ方ももちろんできないわけじゃないわけですが、私は、ネーションステートの再編成の過程だというとらえ方もあり得るんじゃないかと思うんですね。だから、EUが一つのある意味でのネーションステートになり始めているという現象だともとらえられるような気がするんです。
 もちろん、その広くなった分、地域というものが逆に強調されるということがあって、地域と地域のあつれきみたいなものが起こっているということで、ですから、私は、その現象を見ていくならば、必ずしもグローバリズムという文脈だけではとらえ切れないんじゃないかという考え方でおります。やはり、人間をくくる一つの枠みたいなものは存在する、また、これからかなりの長い間にわたって存在し続けるだろう。そこがまたあつれきの根源になることも、これはもう否定しようがないわけであって、それをまさに人間の知恵を振り絞って乗り越える方法を考えていくしかないし、そのために外交があるんだと私は思うんです。そのことが前段でございます。
 それでは、いわゆる西洋社会における神に匹敵するようなものは日本は何なんだと言われるわけでございますが、これはもちろん一言で答えられるものではございません。一番前提に縄文的な文化というものがあって、そこからまた神道的なものが形成されて、そしてそれがいろいろな外来文化を吸収して今日のものに至っていったということだと思うんですが、それをある意味で、私は、教義化することの恐ろしさというものを感ずるんです。
 今までも、いろいろ日本の文化で、例えば江戸時代の平田神道なんというのは、西洋のキリスト教的なものに刺激されて、日本のそういうものもある意味で教義化しなくちゃいけないという形でやったわけですね。その結果、かなり、排他的と言ってはなんですけれども、身動きのとれないものをつくってしまったんですね。
 私は、日本のよさは、そういう教義化し、体系化することにあるのではなくて、今までの日本の流れというものを、ある意味で、あれはいい、これはいいというのじゃなくて、全部受け入れて、その中で今日何が伝えられてきて、何が我々が継承すべきいいものなのかということを現実的に議論していくしかないんじゃないか。
 といって、それは全く抽象かというと、そんなことはないわけで、我々日本人同士話をすれば、ああ、お互い日本人っていいねと共感し得るものがあるわけですね。その共感の基盤となるものを、私は、それを明確に定義づけなくても、まずそれを大切にするというところからスタートしましょうよという、あえて形而上学は立てないということで議論をしているということでございます。ですから、ちょっと御満足いただけない結論かもしれませんけれども、私はそういう姿勢をとっているということでございます。
○太田(昭)小委員 ありがとうございました。
○島小委員長 次は武山百合子君ですが、一人の持ち時間は十分になっております。この時点、三人終わった段階でもう十分延びておりますので、いろいろ御配慮をよろしくお願いします。
 武山百合子君。
○武山小委員 武山百合子です。
 きょうは、素朴な疑問についてお話しいただきまして、ありがとうございます。アメリカ、フランス、イギリスの憲法の話も出ましたけれども、すなわちその国のはぐくんだバックグラウンドをもとに法の精神が生きているわけですね。ところが、日本は占領軍によって否定されてしまった。
 それでは、先ほどお話にありました、我が国憲法が前提とする人間観、抽象的個人、悪を犯すこともある人間という視点の欠落、自己制約の論理の不在ということで、なぜ今まで、五十年も戦後たっているんですけれども、議論しなかったんでしょうか。
○伊藤参考人 これは、本当に私も疑問に思うんです。私は専門の憲法の学者ではございませんのでそんなにたくさん本を読んでいるわけじゃございませんけれども、憲法の先生方のお書きになられた本を読みましても、今私がここで提出しているものに対する問いかけというものは余りないんですね。そういう議論がすぽっと抜けているんです。私は外国の憲法学を勉強したことはございませんのでよくわからないんですけれども、少なくとも、例えばイギリスなんかではそういう接近法はとっていないはずだと思うんです。コモンローということからして、やはり歴史、伝統というものを大前提にして、そしてその中で歴史的に形成された法というものを議論しなければ、そもそも議論が成り立たないわけです。しかし、日本の憲法学はなぜかそういう議論が行われてこなかったと思わざるを得ないんです。
 私、ちょっと個人的に、最近京都大学をおやめになられましたが、佐藤幸治先生の憲法の教科書というのは非常によくできていると思うんですけれども、佐藤幸治先生は非常に哲学しつつ憲法解釈学を展開しておられるように思うんですが、その佐藤幸治先生のものですら、人間は人格的存在であるということをぽんと出されるんですね。何でそんなことが言えるんですか、あるいはその人格とは何ですかというと、カント哲学的な何かが出てくるのかもしれません。だけれども、日本人とカント哲学といきなり結びつけられても困るわけでございまして、ですから、お答えになったかどうかわかりませんが、私自身がそれを聞きたいということでございます。
○武山小委員 国全体が今、このままでは本当に時代にそぐわないということでこのように今議論しておるわけですけれども、先進諸国の場合、その都度その都度社会状況に合わせて憲法は改正してきているわけですね。欠けているものを入れ、そして今まで役割を終えたものは削除していくという。ところが、五十年たって、十年、二十年は戦後本当に大変だったと思います、廃墟の中から生きていかなければいけない。ところが、五十年もたってしまった。その間、本当に何をしていたのかなと思いますよ。
 先生は、最近こういう考え方に整理されてきたのか、もともと若き日から疑問を持っていたのか、その辺の感想を聞かせてください。
○伊藤参考人 私は、確かに若いころからこの日本という国は好きでございましたが、今言った歴史的共同体論的アプローチというようなことを意識して考え始めたのはここ十年くらいでございます。そんなことを言うとちょっとおかしいかもしれませんが、やはり年齢があったんではないのかなというような感じがしますね。この年でそんなことを言うのもなんですが、やはりこの世の中のよいことも悪いこともいろいろ自分なりに経験してきて、そういう中で相対的な視点みたいなもの、あるいは現実主義的な視点というものですね。一つの公理からすべてを割り切っていくような、そういう合理主義的な論法というものに対して非常に疑問と同時に違和感を感ずるようになったということでございましょうか。そういうことを私は今とりわけ感じてこういうことを主張させていただいているということ。
 先ほどの質問を今思い出して答えて申しわけないんですが、この五十年間どうしてそういう議論がされなかったかといいますと、例えば三十年前に私が今言っているようなことを憲法学者が議論したら、多分憲法学界から追放されたでしょうね。追放されるというと、だれが追放するんだという話ですが、まあ、いたたまれなくなったでしょうね。そういう状況もあったんじゃなかろうか。しかし、さすがに、今日に至っていろいろな学問が発展し、実証的なそういう学的成果が積み上げられる中で、やはりこれは言ってもいいんじゃありませんかというようなことが起こってきたんではないかというようなことを感じます。
○武山小委員 それでは、先ほど三番目にお話しくださいました国民の義務について。
 今、有事法制について議論が国会で行われております。私も本当に、国民の義務なくして国家というものは成り立たないと思うんですね。それで、今まさに、自分の国をみずから守るということは民主主義の基本原則ではないか、私、そのとおりだと思うんです。
 それでは、今この有事法制において、先生のお考えで結構なんです。国民の義務は、自発的協力だけに頼ることは本当にできないと思うんですね、いざ有事のとき、先生はどういうお考えでしょうか。
○伊藤参考人 この有事法制、今議論されているものの細かいものを一つ一つ私検討したわけじゃございませんので大ざっぱなことしか言えませんが、私は、自衛隊法をつくり、自衛隊というものを創設した以上、実はその自衛隊の創設とともにあるべきものであったんではなかろうか。なぜなら、この有事法制というものがなければ、いざというときに、例えば防衛出動がかかったときに、自衛隊はまずその瞬間から動けないわけですね。がんじがらめのいろいろな国内法があって、動けないわけです。ですから、自衛隊をつくった以上、そのつくるかつくらないかにおいて議論があったことはもう承知の上でございますけれども、つくった以上は、この有事法制というのはなければならなかった問題であろうというふうに思います。
 ただ、例えば西ドイツにおける国家緊急権というようなものから比べますと、まだまだ何か迷いが多い。といって、私は、いきなり西ドイツみたいなところまで日本が議論ができるとも思っておりませんので、これは漸進的にいくしかないと思っているんですが、そういう問題もまだまだ残しているかなということを感じます。
○武山小委員 いろいろ今までこの憲法調査会で議論はされてきましたけれども、きょうのように、自分の国をみずから守るということは民主主義の基本原則であるということをきちっと言う方はなかなか少ないわけです。思い切ってきちっとここの憲法調査会でおっしゃられたということは、本当に大変な提案だと私は思います。
 それで、外国の例との比較ということで余りお話しいただけなかったんですけれども、まず一番近い韓国の例は先生おわかりですか。兵役の義務はあると思うんですけれども、あの国は。韓国の例でおわかりの、この国民の義務の、特に有事におけるお話をしていただきたいと思います。
○伊藤参考人 韓国の場合は、第三十九条に国防の義務というのがございまして、第一項「すべて国民は、法律の定めるところにより、国防の義務を負う。」とありまして、第二項「何人も、兵役の義務の履行により、不利益な処遇を受けない。」と。これは具体的にどういうことかわかりませんが、例えば徴兵制で行っている間に会社を首になるとか、そういうようなことも含めてあるのかなということでございますが、こういう規定がございます。
 それから、先ほど言いましたように、総則的規定で、国家の安全ということによって権利は制限されるんだという規定もあるということですね。
○武山小委員 最後になりますけれども、日本の国民の義務として、今お話しいただいたんですけれども、これをやはり国民にきちっと周知徹底させていかなきゃいけないわけですね。それには、オブラートに包まないで、これから、立法府、もちろん私たちの責任でもあるわけですけれども、はっきり伝えていくという意味では、先生はどんな役割を果たしていただけますでしょうか。
○伊藤参考人 私の役割なんというものは知れているものでございまして、本当にどれだけのことができるかわかりませんが、私は、先生が強調していただいてとてもありがたかったんですが、民主主義、とりわけ国民主権ということを日本国憲法はうたっております。そもそも国民主権とは何ぞやというときに、自分の国は自分で守るんだ、自分の国の主人公なんだから、主人公が、守るときだけは別ですよ、これはちょっとおかしな議論になるわけでありまして、私は、そのことは少なくとも包み隠すことなくいろいろなところで議論していきたいと思います。
 ただ、政治の世界でということになると、これはしばらく時間がかかるのかなという感じがして、できれば先生方のこういう問題の御理解をいただきたいというふうに思っておるのが正直なところでございます。
○武山小委員 ありがとうございました。
○島小委員長 春名直章君。
○春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。
 私も、三点ほどお聞きしたいことがありますので、よろしくお願いしたいと思います。
 きょうの参考人のお話の一つの核心は、国家あっての権利の存在、国家あっての権利の保障ということが基本になるんじゃないかというお話だったと思うんです。
 私は、考え方を根本的に異にしておりますので、それは申しわけないんですけれども。ただ、近代憲法の成り立ちということを考えたときに、やはり、国家権力から国民の人権、権利を守る、そしてそのために強大な国家権力を制限していく、そのルールとして、そして社会や政治を統一していくルールとして、そういう性格のものとして近代憲法というのは誕生してきたというのが私は歴史だと思っているんです。そういう性格のものである、そもそも。
 そして、現代憲法になれば、その中でも、その基本的人権の中で、先ほどおっしゃった社会権だとか、そういう豊かな人権規定がまた運動と相まって発展していくという歴史認識といいますか憲法観を私は持っているわけです。これは通説的なものじゃないかとは思うんですが、そこに石を投げられたわけなんですけれども。
 そういう点に立って少しお聞きしたいと思うんですが、参考人も、「憲法かく論ずべし」という本の中で、立憲思想の問題についてもお触れになっていると思うんです。それで、立憲主義ということも言いますと、国民の人権を保障するために国家に対して権力を付与するけれども、その行使に当たっては人権を侵害しないように制限を加えるということではないかと私は思うんです、この立憲主義というのは。ですから、そういうふうに立憲主義を理解すれば、参考人が言われるような国家あっての権利保障というのは、どうも考え方が逆転してしまうんじゃないかというふうに認識するわけなんですが、その点はどうお考えでしょうか。
○伊藤参考人 今の御質問、もっともな御質問だと思うんですが、まず、国家以前に権利というものはあるものじゃないかということにこだわっておられるんだと思うんですけれども、私は、それは一つの政治思想にすぎないと思っているんです。
 政治思想としてそういう考え方があることを私は否定するんじゃないんです。ただ、その政治思想においても、いかにそれが立派な政治思想であっても、やはり国家権力によって実定化されないと、それは権利にならないんだ、意味ある権利にならないんだと。例えばボスニア・ヘルツェゴビナで、いかに政治思想上の権利を訴えたって、殺されたらそれっきりなんですね。やはりその枠をつくって、平和を保障してもらって、その中で存在するがゆえに、意味のある実定的な権利というものを我々は享受することができるわけです。
 といって、私は、国家の権力が無制限だと言っているわけじゃないんです。私が言うように、共同体論的、歴史論的アプローチというのは、その国家というもの、それはどちらかというとネーションとしての国家というところからまずある意味で出発するんでしょうけれども、そのネーションの中にある人と人が、いわゆる人間関係を、政治行為を繰り返しながら、失敗を繰り返しながら、これだけは聖域ですねというものを確定していったのが、権利というものが法として確立されていく過程なんだというふうにとらえたらどうかということを先ほど申しました。そういう考え方でいいますと、国家が先か権利が先かという話じゃないんですね、実は。国家がなければ権利も成り立たないし、権利のない国家もないんです。人民に権利を保障することのできない国家なんというものは、それは国家としては成り立たないわけでございます。
 私は、ですから、その両立の道というのは、実は、一方でばんと線を引くみたいに簡単にはいかないわけであって、そこにもちろん解釈をめぐっての紛争も起きる。ただ、それを一つ一つ、ごちゃごちゃになった糸を解きほぐすようにしてやっていくのが、これが政治というものではないだろうかというふうに考えております。
○春名小委員 やはりちょっと違いますねということで申しわけないんですけれども、考え方の違いは当然あるものですので、それを議論すれば私はいいと思っておりますので。
 先生のお話を聞いていると、どうも頭の隅に明治憲法を思い出すんですよ。臣民の権利と義務という項目が出てきまして、法律の範囲内で権利は保障しますということが出てきますね。しかし実際は、その法律が、さまざまな法律ができて、かけらもなくなってしまって、そのことを通じて、日本の歴史からいえば痛苦の反省があるわけです、侵略戦争へ突き進んでいく道になっていったという。やはりその反省をどう生かすかということが問われていると思うんです、日本の歴史から見て。先ほどアメリカあるいはヨーロッパの淵源というお話がされたんですけれども、日本の歴史から見て日本国憲法がどういうものかということが私は大事かと思うんです。
 その点で、二点目の質問になるわけですけれども、先ほど歴史や伝統や文化が全部押し流されてしまったんじゃないかというお話があったんですが、私は幾つか考えなきゃいけないことがあると思うんです。それは、戦前にも、大正デモクラシーとか、非常にあの暗い時代にも、言論や出版の自由を求める運動とか、そういう人民、国民の運動があって、そのこともあって、不断のいろいろな努力によって、九十七条の話なんですが、憲法がつくられてきた。その努力が結実しているという面があると思うんですね。
 それからもう一つは、やはり国家権力によって人権が脅かされることを通じてあの痛苦の反省が生まれてしまったわけですので、それを否定する、ポツダム宣言にも基本的人権をしっかり入れるべきであるという宣言が入る、それを受けて憲法ができるというこの歴史、それから国民の運動、そのあたりをどう御認識されているのかをお聞かせいただきたいと思います。
○伊藤参考人 多分、そこのところがかなり違うところだと思うんです。これは、違うのは仕方ないので、その上でちょっと聞いていただきたいんですが、例えば、明治憲法は臣民の権利及び義務と書いているという、それがまず異常なんだという言い方ですが、今のイギリスの憲法、不文憲法でございますが、少なくともその不文憲法の中の柱となっている権利の章典、今も意味を持っているわけですが、これは臣民の権利なんです。
 ですから、伝統的国家というのは、やはり古色蒼然としたものがあるわけで、イギリスの議会へ行かれれば、あの古色蒼然とした雰囲気というのは、逆に楽しんでいる部分があるんですね。と言ったら、ちょっとおまえ、ふまじめだと言われるかもしれませんけれども、私は、そういう時代的なものに余り揚げ足取る必要はないと。
 当時は臣民だったんです。今は国民。今、臣民の権利にしろというんだったら、これは目くじら立てなくちゃいけないけれども、当時、君主制国家というのはあったわけで、君主制国家は、臣民という位置づけになるんですね。そして、現に今でも臣民の権利という位置づけはイギリスにあるわけですから、貴族もおるわけですから。ですから、私はその言葉に余りこだわる必要はないと思います。
 それから、法律の留保ということをおっしゃって、明治憲法は権利は認められなかったんだというおっしゃり方をなさいましたが、これは、私、この短いお答えの中で全部言うことはできませんけれども、ただ、自然権思想というのは、明治憲法がつくられたときは世界の潮流ではなかったんです。当時は法律の留保は当たり前なんです。ですから、世界じゅうの憲法があのような書き方をしていたんです。これはお調べいただければいいと思います。アメリカ憲法を除けば、みんなああいう法律の留保の規定を持っていたんです。
 それから、戦後もああいう法律の留保の規定を持っているところがまだあります。もっと言い方を変えますと、フランス人権宣言をよく読んでいただくと、あれもある意味では法律の留保の規定があると言えないこともないんですね。ですから、法律の留保という言葉で明治憲法を全部否定するというのもどうかなという感じがします。
 それから、私、かつて治安維持法で逮捕された人の話を聞いたことがあるんですが、人間性を全部踏みにじった、押し流したのがあの暗い時代という言い方をされますが、その治安維持法で捕まった方は、自分が生きて出てこれたのは、まあ生きて出てこれたのはなんて言い方がそもそも暗い時代といえば暗い時代なんでしょうけれども、生きて出てこれたのは明治憲法のおかげだったと。自分は、官憲の執拗な追及に対して、帝国憲法におけるいわゆる臣民の権利及び義務の、その権利を主張して自分の身を守ったという証言を私は聞いたことがございます。
 ですから、確かにあれは異常な時代であったことは事実でしょうけれども、法すべてが流されたわけではなかったというふうに私は認識しております。そこら辺、ちょっと違うかと思います。
○島小委員長 恐縮ですが、質疑時間が終了しましたので。
○春名小委員 質問を終わりますので、最後にちょっと、済みません、一言だけ言わせていただいて終わりたいと思います。
 先ほど、法律によって留保されているということだけで考えちゃだめだということを言われたんですが、そういう戦前の反省もあって、何の制約も持たずに三十条の人権を豊かに規定したのが日本国憲法だと私は思っています。その日本国憲法の人権状況が、本当は質問したかったんですが、残念ながら、今日に至るまで実現されていない、あるいはないがしろにされているというところに今日の焦点が私は最もあると思っておりますので、その点でも大分意見は違うかもしれませんが、また議論しましょうということで終わりたいと思います。
○島小委員長 次に、植田至紀君。
○植田小委員 社会民主党・市民連合の植田至紀と申します。
 きょうは、伊藤先生におかれましては忙しいところ貴重な、また刺激的なお話を伺う機会をいただきまして、敬意と感謝を表したいと思います。時間が限られておりますので、ただ、やはり先生のおっしゃった御趣旨を正確に理解する意味で、幾つか言葉の定義等についてお伺いして、その上で時間がある範囲で若干質問させていただければと思うんです。
 きょうお話しいただいたところすべてを網羅して聞くことはちょっと困難なんですが、特にこの権利の限界というところで、レジュメでいいますと三枚目の冒頭に当たる部分ですね、ここで、私自身は恐らく先生と権利というもののとらえ方が違うだろうと思いますので、そのことはとりあえずここでは捨象して、先生のお立場というものを踏まえながらお伺いしたいわけです。
 まず、ここで共同体内存在としての制約ということが一つ出てきます。ここで、本当に初歩的なんですけれども、いかなる共同体を想定しているのか、どういう定義なのかということをお伺いしたいんです。例えば、共同体といいましても、いわゆる農村社会における自然村としての共同体から、一定の制度的枠組みを持った社会集団、この中には国家も含むだろうと思いますけれども、そうしたいわゆる広い意味で、一つの概念規定として共同体ということでとらえておられるのか。ここで権利の限界を問うに当たって、その辺の共同体というものの定義をある程度限定的にとらえられているのか、その点をまず確認させていただきたいと思うんです。
○伊藤参考人 恐れ入ります。これは、私の言葉の書き方が、専門の法学者でございませんので、ちょっとまずかったかなとも思うんですが。
 要するに、人間は一人で生きているんじゃないと。社会内存在という言い方に変えてもいいと思うんですが、あえて定義にこだわるというよりも、人間はいろいろなところで、一人で生きているんじゃない、人間と人間のつながりの中で生きているんだ、そういうことです。当然その中で、そのシチュエーションから出てくる限界というものはあるだろうということです。
 ただ、他人との間合いの取り方というのは、ただ法律だけではないんですね。やはりその人その人の培われた人間観みたいなものが、その間合いの取り方というものを非常に微妙にしているということです。
○植田小委員 としますと、その意味でおっしゃられますと、ここでの共同体内存在としての制約、もしくはここでおっしゃっておられる共同体の歴史、伝統、文化からくる制約、それぞれ権利というものが限界を持ち、また制約をされるというのは実はそんなに意外にとっぴな話ではなくて、ごく当然の話だろうと。むしろ権利というよりは、そこで生活する人間の意識なり、またそこでの考え方なり、それぞれの人間の暮らし自体がこうした社会の存在に規定づけられているというふうに考えていいということでしょうか。
○伊藤参考人 そういうことでございます。言ってしまえば簡単なんですが、ただ、当然こういうことがもっと強調されなくてはならないと思うんです。
 ところが、これは憲法学の課題ではないと言われればそうなんですけれども、こういうことが強調されない。せいぜい他人の権利を害しないという制約があるんだ、内在的制約があるんだという言い方をしますが、では、その他人の迷惑とか他人の権利を害するということはだれが定義するんだ。私が勝手に定義して、あなたの権利を害していませんよというのと、相手を本当に共感の感情を持ってとらえて、そしてあなたを害してはいませんよというとらえ方とは、ちょっと違う。
 例えば、今若い子が、人の迷惑にならなければいいじゃんと言って自己主張しますね。あの人の迷惑という人の迷惑は、一体だれが定義しているんですか、あるいは、人の迷惑ということをどれぐらい深く考えているんですかという問題がありますね。そういうことは、実は人間の権利関係の中で、もちろんそれは法的な争議になってくればもっとクールにいかなくちゃいけませんが、それ以前の問題としては、もっと大切にされていい人間と人間の間合いの取り方だと思うのです。そういうものが、権利の限界というとちょっときついかもしれませんけれども、権利論としてもっと突っ込んで議論されてもいいのじゃないかなと私は思っていたものですから、あえてちょっとこういうことを出したということなんです。
○植田小委員 かなり深いお話でしたけれども、私自身は、これからの人権論というものを語るときに、いわゆる人権という概念が、絶対的なものというよりは、少なくとも関係性の中での概念だろうと。ひょっとしたら、人権ということに対する考え方は恐らく違うと思うんですが、そこのとらえ方は共通する部分もあるんじゃないかなと思っているわけです。
 というのは、今おっしゃったように、要は、社会的存在が我々の人間生活を規定づけてしまう、それが実際の事実でございますから。これはちなみに、御承知のように、マルクスの「経済学批判」の序文に、社会的存在が意識を規定すると。恐らくそこの部分だけは先生も否定なさらないんだろうと思うわけでございますけれども、そこは我々前提として立つことができると思うわけです。
 ただし、といっても、社会といった場合、先ほど一番冒頭に私は伺いましたように、共同体といった場合、例えば本当に素朴な近代の若衆宿みたいなものも共同体でしょうし、また、憲法を持った国家も共同体でありますし、一定の制度的枠組み、規範を持った共同体によって、これは権利というよりは、人間生活が規定づけられているというのが歴史的事実だろうと思うんです。
 そこで、先生のきょうのお話で、私、時間がありませんから一点だけ疑問点を申し上げて終わりたいと思うんです。
 かつて、私も決してよく勉強した高校生ではなかったので、久しぶりに西洋のさまざまな人権思想、総括で勉強させていただいたわけですが、共同体の存在自体よりも、それぞれの存在形態、そしてまた性格、このことを批判的に検証することによって、改めてそこにおける基本的人権のありようというものを我々としては見据えていかなければならないんじゃないかと思うんです。
 その点、非常に失礼な言い方になると申しわけないんですが、西洋のいろいろな啓蒙思想なり人権思想なりというものをやや無批判におっしゃられたのじゃないかと。むしろ、その背景となる、まさに先生がおっしゃる、規定づけるところの共同体、この共同体のあり方、存在形態、それの検証をまずしないことにはやや単線的な議論になってしまうと思うんです。ですから、その点を最後にお伺いして終わりたいと思うんですが、先生はいかがでしょうか。
○伊藤参考人 その御指摘は、ある意味で当たっていると思います。当たっているというのは、それをこれから私はやはり一つ一つやっていかにゃいかぬと思っているんです。そういう議論が余りにもないものですから。だから、今御指摘なされたそういう歴史論的、共同体論的アプローチというものをもっともっと詰めていくということは私は必要だと思うし、私自身もしなくちゃならぬと思っているんです。
 ただ、私が言いたいのは、その試みが余りにもない。外国にはあるんです。例えば、スコットランド啓蒙という話をしましたが、アダム・スミスとかデービッド・ヒュームとか、もっとさかのぼればその祖であるところのモンテスキュー、まさにそういう研究だったんです。それの日本版がないんですね。
 ただ、私は、方向性として、そういう考え方でもう一度権利論というものを確立してもいいんじゃないかということを、あえて非才を省みずここで訴えさせていただいている、そういう意味で受けとめていただきたいと思います。
○植田小委員 では、まだ紙が来ていませんが、最後にもう一問だけ。
 恐らく、先生のお話に疑問を持たれた幾人かの委員の方はいらっしゃると思いますが、私も同様の疑問を持っているのは、国家が先にあって国民が後からついてくるという……(伊藤参考人「私はそのようなことは一度も言っていないんですよ」と呼ぶ)いや、違うんです。
○島小委員長 それぞれ、委員長の許可を得て発言してください。
 植田君。
○植田小委員 最後までまず話を聞いて。そのことで論争しようとしているわけじゃなくて、そういう疑問をきょうの先生の話で持たれた方はいらっしゃるかもしれませんねということを一つ踏まえた上で、ただ、先ほどからの御議論を伺っていると、この三枚目の公共の福祉のところで、「「平和で秩序ある国家」あってこその権利保障」というのも、これも一方通行ではなくて、一応相互乗り入れしているような考え方に立っておられるなというふうに私は理解しましたということなんですよね。それを前提にして最後に一つお答えしてほしいんです。
○島小委員長 質疑時間が終了しております。
○植田小委員 済みません。
 それで、ただ、「平和で秩序ある国家」というものを素直に受けとめたときに、国民に平等原則が貫かれているということ、例えば、すべての構成員が社会的、政治的に、実質的に平等であるということが当然前提だということは肯定なさいますでしょうか、否定なさいますでしょうか。その点だけお伺いして、終わります。
○伊藤参考人 一言でちょっと答えられないんですが、実質的平等というのは一体何なのか。それこそ私、定義をしていただかないと、いいかげんなことは答えられないなという感じがするんです。実質的平等というのは、追求していったら大変な問題になっていく。私は平等を否定しているんじゃないんですけれども、実質的平等ということになると、一体その基準は何なんだという話になりますね。これは大問題だと思いますよ。
○植田小委員 終わります。
○島小委員長 ありがとうございました。
 次に、井上喜一君。
○井上(喜)小委員 保守党の井上喜一でございます。きょうは、参考人、本当に御苦労さんでございます。
 十分という限られた時間でありますので、私は、まずお聞きをしたいことを三点言いますので、時間の範囲内で所見をいただきたいと思うんです。
 私は、お話を伺っておりまして、イギリスなんかが代表例でありますけれども、共同体の中で生まれてきたルール、ここまでは絶対できる、主張できる、あるいはここは少し受忍せぬといかぬとかそういうようなこと、あるいは、このペーパーでは、歴史だとか伝統、文化からくる制約とありますけれども、そういうもろもろの中から生まれてきた基本的なルール、これが憲法であり、基本法だと思うのでありますが、日本の場合は、憲法は、日本の歴史を踏まえて、日本という共同体の中から出てきた部分もあるとは思うのだけれども、どちらかといいますと、与えられたもの、あるいは外に触発されて書かれたものだと思うんですよ。だから、法の意識というのがどうもイギリスなんかと日本と違う。
 イギリスなんかの場合は成文法じゃないわけでありまして、しかも、なおかつ法の支配というのもありますから、かなりきちっとしたものがあるけれども、日本の場合は、結局、法とか権利といったって、書かれているから権利があるとか、書かれていないから権利がない、そういうことになりがちなので、法について、私は、どうもイギリスなんかの場合と日本人の場合の違いがあるんじゃないか、これについてお伺いしたい。
 第二点は、英語で言えば、権利はライトと言っていますね。日本は権利と言うんです。これは、私はうまく訳したと思うんですが、ライトというのはやはり正義であり力なんです。だけれども、日本の権利の権というのは仮のという意味なんです、日本語で言えば。権力というのは絶対的なものじゃない、仮の力なんです。権利というのは絶対的なものじゃないんです、仮の利益なんですよ。
 ということで、私は、この日本の権利観といいますか、法律を見る意識というのは非常に相対的なそれがあると思うんです。もちろん、当事者になりますとうわっと言いますよ。言うけれども、当事者を離れた第三者の権利観というのは意外と相対的なものじゃないかと私は思うんです。それに比べて、西洋の権利というのはもう少しきちっとしたものじゃないかと思うので、ある意味では、立法とか、あるいは法の執行、司法の点で、日本の場合は大変柔軟性があるんじゃないかなというような感じが実はしているんですが、この点についての御意見です。
 三点目は、国防の義務とか家族の尊重を入れたらいい、私もそれはいいと思うのでありますが、どういう規定で入れるのか。もうちょっと具体的に、単に事項だけじゃない、どういう文章にするのか、その辺をお教えいただきたいと思います。
 以上です。
○伊藤参考人 要するに、日本の場合、権利というものは与えられたものであって、であるがゆえに、少しその考え方も、深いところまで考えなかったんじゃないかというような御指摘だと思うんですが、まさにそうでございまして、私は、憲法学者の方々がなぜこのことをもっと問題にされないのかなと思うんです。
 憲法十一条は、基本的人権は、永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられると書いてあるんです。与えられると言うけれども、一体だれが与えてくれているんですか、日本に。占領軍が与えてくれたんですかと言いたくもなるんですね。与えられるって、これはだれが与えてくれたんですか。宮沢俊義さんなんかは人間性によって与えられたんだと言うけれども、ちょっとそれは無理でしょう、何か言葉としてもおかしいというふうに思うんです。一体だれが与えたのか。国家が与えたと言うと先ほどからいろいろ問題が起こってくるけれども、国家が与えたわけでももちろんない。この与えられるというのは一体だれが与えたんだ、ここにそもそも権利観の混乱があると思うんです。
 それから九十七条は、今度は、信託されたものであると。信託銀行じゃないけれども、権利は、私らは、持っていてもいつか返さなならぬものですね、信託されたということは。これは、一体その相手はだれなんですかという話になるんです。
 こう言うとちょっと反発されるかもしれませんが、私は、この憲法を書いた占領軍の将校さんたちの頭の中に、日本には権利がないんだ、その権利なき日本人に基本的人権というものを与えてやろう、やはりこういう発想があったんだと思うんですね。それが期せずしてこういう言葉になった。
 だから、要するに、その背後には、日本には権利はなかったんだ、また日本人には権利観なんてないんだ、こういうところから出発しているんだと思うんです。そういう憲法であったがゆえに、例えば自由獲得の努力の成果ということは西洋人のことであって日本人のことじゃない、そういう解説が出てくるわけですね。これはぜひとも改めるべきである。
 例えばある西洋の法制史の先生が、契約社会をつくり上げるということが権利が確定していく大前提にあるんだけれども、その契約社会がどうしてつくられるかというと、商業の発達。それから、封建制というものは契約社会で、実は分権的で、そういう歴史をたどってきた国は、例えばイギリスは封建制というのがありましたね、それから商業が盛んでした、そういう中に権利という観念がより確立した。ところが、フランスなんかはそういうものが弱かったがゆえに、イデオロギーとしての権利は確立したけれども、実体としての権利は確立していなかった、フランス革命は失敗に終わった。そういうことを言っている法制史の学者はいるんです。
 それからいくと、日本は、例えば江戸時代の江戸の町人の生活というものを見ても結構自由で、そして法というものはあったんですね。確かに、明治以後日本には、それは失敗もあったと思いますけれども、その中で培われてきた法感覚、そのもとでの権利観というのは、僕はゼロだとは絶対に思わないんです。それを、人類の多年にわたる自由獲得の努力の中にぜひ入れてもらいたい。それは幾多の過去の試練に耐えて今日あるんだ。こうなると、我々日本人として、もっと前向きに、自分の歴史を踏まえながら自分の権利というものを考えていく態度が生まれてくるんじゃないかというふうに思っていまして、そういう問題をちょっと指摘したいと思います。
 ですから、権利観というのは、そういう歴史の中でとらえていけば当然相対的なもので、何か特定の哲学的原理があってそこから演繹的に全部出てくるんだという絶対的な権利観、あるいは、ある憲法学者に言わせると、今、日本国憲法の権利の規定というのは実体的価値の序列なんだ、こういう言い方をするんですけれども、私は、権利は実体的価値の問題ではなくて、やはり約束事だと思うんですよ。ただ、大切な約束事、基本的な約束事だと思うんです。そういうとらえ方をした方が、余り熱くならずに問題を解決していくことができるんじゃないかというふうに私は思っています。
 それから、家族尊重というのはどういう規定になるかということですが、実は私、そういう質問があろうかと思って資料をつくってきたんですが、各国の憲法は結構家族のことを書いていまして、例えばドイツは、「婚姻及び家族は、国家秩序の特別の保護を受ける。」というような書き方をしています。それから、世界人権宣言は、家族は人間社会の基本単位であるという言い方をしています。言葉の書き方は例はたくさんありますので、そういうものを受けてやったらいいし、実は日本国憲法の第二十四条のベアテ・シロタさんが書いた原案には、家族生活は尊重されるという規定があったんですね。ですから、そういう問題でもあると私は思っております。
○井上(喜)小委員 どうもありがとうございました。
○島小委員長 次に、石破茂君。
○石破小委員 きょうはありがとうございました。
 私は、先生のお説は九九%ぐらい賛成なので、なぜ議論をしなきゃいかぬかなというふうにお思いかもしれませんが、お許しをいただいて、幾つか確認をさせていただきたいと思います。
 自然権という言葉は実に怪しげな言葉で、こういう言い方はいかぬのかもしれませんが、文明も何にもない未開の地があって、そこに人々が住んでいたとして、そこに権利はあるかというと多分ないんですよね。そうすると、自然権という言葉を振り回すのは、議論としてはえらくおかしいんじゃないかと思うんですが、ただ、私どもの法律の議論の中でも、例えばPKOが外国に出てどういうときに武器が使えるかといいますと、自己保存の自然権的な権利として武器が使用できると。自己保存のための自然権的な権利の発動としての武器の使用ができる、こういう言い方をしているんですね。変な話だと思うんですが、余りに議論が錯綜しますので、私も、最後は、どういうときに武器が使えますかと言われますと、正当防衛、緊急避難、自己保存、自然権なんて、そういうおまじないみたいなものを唱えざるを得ない。それで今までずっと来たわけですよ。
 ですけれども、私、ここ、自然権という言葉を入れるんじゃなくて、もっとはっきり言っちゃうと人間の本能みたいなものじゃないの、本質は人間の本能なんだろう、私はこういうふうに思っているのです。それを自然権という言葉を振り回すことによって、あたかも神聖不可侵の権利であるような物事の考え方というのは往々にして間違いを生じやすいだろうというふうに思っておりますが、一点、御見解を承りたいと思います。
 それから二点目は、有事法制の議論をしていますと、例えば業務従事命令、安全なところ、二項地域において、自衛隊が活動していない地域、後方支援地域みたいなところで、例えば輸送であるとか医療であるとか建築であるとか、こういうものを運んでくださいよ、こういうものを建ててくださいよ、こういう人たちをお医者さん、診てあげてくださいよという従事命令を都道府県知事がかけるわけですね。それに従わなくても罰則がない、こういうお話になっているのです。それも自発的なものに期待するんだから罰則はないんだよというお話なんですね。
 ところが、保管命令に反すると罰則がかかる。これの整合ある議論がどうしてもできないんですね。それは恐らく、推測するに、従事命令に反した者には罰則だ、こういうふうになりますと世論の反発を受けるに違いないということのはずなのですが、二項地域というのは安全な地域なんですよね、自衛隊が活動していないところですから。そこで輸送とか医療とかそういうものに従事してください、嫌だ、おれはやらない、それによってより多くの犠牲が出るということはあり得るわけであって、自発的なものに確かに私も期待をしたいが、しかし、その行政目的が達せられないということが一番困るわけで、そうであればこれは罰則をかけないとどうもぐあいが悪いんじゃないか。
 そうしますと、また国家によってどうだらこうだらみたいな話になるんですが、先生のお説の中で、私は本当にそうだなと思いますのは、国民の権利を守ってくれるのは、攻めてくる外国は絶対に守ってくれない。某国が守ってくれるとは私は思っていない。守ってくれるのは我々がつくった日本国政府であって、その日本国が危殆に瀕したときに、一日も早くもとの状態に復するために、きちんとした法的な手続のもとに権利が制限をされるというのは、むしろ我々が権利を享受するためにこそ必要なものではないかというふうに思っているわけであります。そのことについて御見解があれば承りたいと思います。
 それから、最後に、徴兵制についてですが、徴兵制をとるかとらないかはその国の政策判断だと私は思っています。フランスが徴兵制をやめました。私は、結構あれは驚きを持って観じまして、去年フランスに行ったときも、ことしフランスに行ったときも、どうしてということは随分聞いたのですが、結局のところは、徴兵制にしているとコストがかかって仕方がない、非常にコストがかかる。もう一つは、徴兵で集めた兵隊さんというのは、玉石混交というのか何というのか、とにかくプロ集団じゃないので、フランスも財政が厳しい、そうするとプロ集団でやった方が役に立つ。
 ただ、フランスとしては、結局、近代市民社会を支えているのは国民皆兵という思想と、それから財政民主主義というものだと思っているのですよ。我々の民主主義国家というのは、国民みんなが守るんだということと、王様が税金を集めるのではなくて、政府が集め、それをどう使うかということは議会が決める、これが柱だったと私は思っているのですが、その徴兵制をフランスがやめるということもかなりショックなことではあった。でも、それは政策選択なのだと思うのです。
 それで、日本の国において、徴兵制は憲法違反だと言ってはばからない人がいますが、そんな議論は世界じゅうどこにもないのだろうと私は思っています。徴兵制をとるとらないは別として、徴兵制は憲法違反、なぜですかと聞くと、意に反した奴隷的苦役だからだと。国を守ることが意に反した奴隷的な苦役だというような国は、私は、国家の名に値をしないのだろうと思っています。少なくとも、日本以外のどの国に行っても、社会体制がどんなに違ったとしても、そのようなことは、あなた、本当に何を考えているんですか、そういう反応になるのだろうと思っています。徴兵制が憲法違反であるということには、私は、意に反した奴隷的な苦役だとは思いませんので、そのような議論にはどうしても賛成しかねるというふうに思っておりますが、御見解を承れれば幸いです。
○島小委員長 伊藤参考人、恐れ入りますが、石破小委員の持ち時間があと三分でございますので、よろしくお願いを申し上げます。
○伊藤参考人 まず、自然権というものはどうだということですが、ロックは、これはやはりキリスト教神学を前提に出発しているんですね。ですから、自然状態というのは神様の摂理が通っている世界なんですね。だけれども、そんなものから出発して自然権なんて導き出されたのでは、少なくとも日本ではそういう議論は通用しない。それから、そうしていながら、じゃ神に対する義務ということをロックは説いているかというと、説いていないのですね。そこら辺がちょっとロックの議論も徹底性を欠いているんですね。
 そういう問題があって、おっしゃるように、権利というものの原点にあるのは、ある意味では本能だろうと思うんです。よき本能もあればあしき本能もあるだろうと。そこを腑分けして、これだけは欠かせてはならないということで、ある意味で聖域にしましょうというのが歴史の中でつくられていった権利の観念だ、そういうふうに把握した方がいいと私は思っている。ですから、当然、そういうものでありますから、相対的であって限界もあるということです。
 それから二番目の、有事の場合における権利の制限でございますけれども、やはり、まず何といっても、日本の今の公共の福祉の解釈の中に、国家の安全という要素が入っていないんじゃないかと思うんです。
 私は、今の憲法の規定でも、公共の福祉の中に国家の安全という観念が入っているんだと解釈すれば、かなりの有事立法をつくれると思うんです。ところが、これは私は世界標準だと思っているんですけれども、どうもないような議論をしているところに、どうしてもそこら辺のつじつまの合わない有事法制が出てきているんじゃないのかなという感じがします、ちょっと素人的な考え方ですが。
 それから、徴兵制に関する考え方は、先生おっしゃるとおりで、あれはまさにフランス革命の精神なんですね。ですから、徴兵制を否定するということは、フランス革命の精神を否定したということなんです。ですから、フランス人にとって非常にショックが大きかったとも思うんですけれども、逆に言うと、現代の状況から来る計算というものに合わないということが言えるわけであって。
 ですから、国防の義務と兵役の義務は違うので、私があくまでも主張しているのは国防の義務ですよというのは、そういうときに、ただ主体的な、自発的な協力ということだけでは解けない大変な問題が起こる。もちろん、そんな問題は起きないのが一番です。けれども、起きた場合は、やはり、ただ公共の福祉だけでも済まないだろう、もっと積極的に協力してもらわなくてはならぬ場合もあるだろう。そういう意味では、公共の福祉という考え方の中に国家の安全ということを入れると同時に、やはり国民の義務として、国防の義務というものはあってしかるべきだと私は考えている。
 そう言うと、とにかくこれは危険なことを言ったと鬼の首とったみたいに言われるんですけれども、でも、そうじゃないんじゃないですか、もうそういう議論はやめて、もっと現実を見詰めようじゃありませんかと私はあえて言いたいということでございます。
○石破小委員 ありがとうございました。終わります。
○島小委員長 次に、小林憲司君。
○小林(憲)小委員 伊藤先生、大変長時間にわたり御苦労さまでございます。
 時間も十分、また差し迫っておりますので、私も大変先生の御意見には賛同させていただいております。総括して、先生の、日本の民主主義憲法というものは、敗戦後、アメリカによって民主主義というものを教えられ、そしてまた憲法というものを与えられ、その中の基本的人権というものが生まれてきた、それはアメリカの植民地建設にまでさかのぼりまして、個人の自由、良心の自由を求めてのイギリスからの国外脱出という極めて宗教的な、キリスト教の思想がその淵源であるというのが先生の論述だったというふうに理解しております。
 それで、私は思うんです。また、先生も先ほど来御質問の中で何度か触れられている点だと思うんですが、我々日本人が現在共有している基本的人権の観念は、教えられたとおりのものを、学者さんや皆さんから言われたとおり頭の中では理解しているんですが、実際は、私は理解ができない民族的な土壌があるのではないかと思うんです。
 というのは、昨今よく聞く原理主義というものがあるんですけれども、日本人というのは、何か私が思うには、日本人であるというのはまずどういうことかといったら、見た目がまず日本人じゃなきゃいけないということがあると思うんですね。
 昨今の大使館の事件でも、もしあれが日本人の人が助けてといって入ってきたならば、どんなことがあったって何だ何だといって守っただろう。それが、他国の方が来て、どうしたんだろうなと。それに対しての危機というか警戒心というか、何があったのかという思いが余りにも少な過ぎる。ですから、ルールとしては頭の中であっても、ああいう行動に出てしまう。
 また、日本人というのは、今日本人同士の中でも、ホモジーニアスといいますか、見た目が一緒、同一民族である。中でも、弱者に対しては非常に排他的な歴史を持っておりまして、今でも、世界の出生率とハンディキャップで生まれてくる子供たちの生存率、これは日本は余り高くないというふうに聞いております。これは何が起こっているかということは、ここでは、確かな証拠はないですし、いろいろなことがあるのではないかと言われている、そういうこともあります。
 そしてまた、日本人というのは、死にますと名前まで変えられてしまう。これは仏教から来ているんです。そしてまた、葬式が終わって帰ってきますと、皆さん、ハンカチと一緒に塩まで入っていて、不浄なものになってしまって塩をぶつけられて、名前も違うし、不浄だ、我々は今生きている人間が大事なんだ、そういう非常に排他的なものがあるんじゃないかな、こう思うんですね。
 そんな中で、人権というものを考えたときに、私は、一点だけなのでちょっとお話しさせていただきますが、仏教ですと、仏陀が初めて門から出たとき、四つの門から出たというお話があります。まず一番目が生、生まれる、そして病、病気、そして老いていって、そして最後が死である、これが自然である、だからそれで出家したんだという話があるわけですけれども。もうしようがないよ、生まれたときから死んでいくんだ、これが四つの門で、四つの苦で四苦、それに伴うので、心があって四苦八苦というそうですけれども、もうどうしようもないよ、悲しみの中から始まっている、何かそういうものがあるんじゃないかと思うんですね。その中で、権利、自分の権利、生きていくという権利は生まれたときにもらう、しかし、生まれたらもう死んでいくんだ、もうしようがないよと。
 最近、都会人といいますかシビライズされていますと、仕方がないという言葉が余り聞かれないそうです。何でも説明ができる、アカウンタビリティーがある、物や道具にはすべて、マイクはしゃべるもの、コップは水を飲むもの、全部説明ができる。
 しかし、仕方がないよという言葉がなかなか言えなくなってきている日本人の中で今危機が起こったとき、非日常が起こったときの管理をする、非日常なことが起こっているんですから管理はできないんですね。だから、仕方がないよなんです。その中で、どうやって生きていくか、生きている者たちがどうやって、日本の民族の魂として、民族の人権として、自分たちの国、そして自分たちの民族を守っていくか。これは、守るためには、すべては、まずは仕方がないよ、これがまずはあるのではないかなというふうに私は思うんです。
 ですから、この日本人の感覚、日本民族の感覚というものと今の西洋から来ている人権というもの、この土壌がまず違うというところで、危機に対する感覚も変わってきますし、それから、やはり自分たちで何とかしなきゃいけないという意識はありながらも、それを出せないような何かがあるのかな、それがもう今ここに至ってはどうしようもないものなのかどうなのか、この一点だけ。
 私は、大体、今世界が臨戦態勢であるという意識が日本の国だけなぜかないような気がします。これは、世界の情勢を見れば今臨戦態勢です。新しい枠組みに向かって、食料の確保に向かって、そしてまたいろいろなエネルギーの確保に向かって、各国がさらに今臨戦態勢に入っている中で、日本だけがその態勢に入れていないという問題もあります。
 ですから、その辺も含めまして、日本人の持っている土壌といいますか宗教観といいますか、そして人権とルールというものに対しての先生の御意見をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
 以上です。
○伊藤参考人 私は、日本には日本の権利の把握の仕方があるさと言ったように受け取られているかもしれませんが、必ずしもそう安易に言ったつもりはないんです。私は、権利というものはある意味で普遍的なものでもあると思うんですよ。
 ただ、それは自然権という考え方だけで理解されるものじゃないですよと。大きく分けても、権利の理解の仕方には歴史論的なアプローチと自然権論的なアプローチの二つがあって、歴史論的なアプローチというものが余りにも無視されていますよ。私は、どちらかというと歴史論的なアプローチを大切にして、それを日本の土壌の中で理解していく、そういう権利の理解の仕方、それから権利の規定の仕方というものをこれから工夫していってもいいんじゃないでしょうかということを言ったんですね。
 だから、日本には日本的な権利があって、よその権利論とは全く別だよというとちょっと私違うので、私はやはり権利というものを大切だと思っているんです。大切だと思うからこそ、まさにその権利の保障というのはいかにして成り立つのか、自然権論では成り立たないんですと私は言っているんです。そこのところを一つ強調したいと思います。
 それから、危機に対する感覚、これも私はどういうふうにお答えしていいかわかりませんが、ただ、危機が起こったときに、仕方がないさというわけにいかないんですね。危機管理の鉄則というのは、まず混沌とした状況が生まれるわけです。そこで、その混沌に対して秩序を与えること、これが危機管理の鉄則なんですね。秩序を与えるということはどういうことかというと、やるべきこと、国家構成員あるいは国家がやるべきことに優先順位をつけるということなんです。まず、何を確保するんだと。
 これは残念ながら、こう言うとまた御批判を受けるかもしれませんが、国家が危機状況に陥って混沌となったときに、そこに秩序を回復していく、そのためには優先順位が必要で、まずどこから手をつけるんだということになると、政府の存続からいくしかないんです。政府の存続から手をつけなければ、個人個人の権利というものを保障できないんだと。もちろん、その場その場で個人を大切にすることはいいですよ。そういう優先順位というものを考えた危機管理、とらえ方というのがあると思うんです。
 私は、だからといって、では、政府の存続は優先順位第一ですよと言ったからといって、国民の権利はどうなってもいいと言っているんじゃないんです。そしてまた、その政府の権利によって国民の権利を踏みにじろと言っているわけでもないんです。国民の権利を確保するためには、優先順位としては政府の存続ということをとらざるを得ないということがあるんだと。それは、何も私だけじゃなくて、世界の危機管理の手順というのはみんなそうなっているんです。アメリカ憲法ですと、大統領の継承順位から始まって、いかに政府中枢を生き延びさせるかということをやるわけです。
 だから、そういう感覚からいくと、今の公共の福祉の理解の仕方とか、あるいは国防の義務ということを全く考えない理解の仕方では、私は、国家が保てないと言うとまた誤解されますので、あえて国民の権利が保障されませんよということを言いたいわけでございます。
○小林(憲)小委員 ありがとうございました。
○島小委員長 葉梨信行君。
○葉梨小委員 伊藤参考人、きょうは、大変内容のあるお話をありがとうございました。同僚議員の質問で大分私が聞きたいことも出てきておりますが、基本的人権あるいは基本権あるいは人権という考え方が西洋の啓蒙思想の中で出てきて、そして、それが地域社会、共同社会の中ではぐくまれてきている、こういうお話を伺いまして、私は、人権、権利に対応する言葉としての義務という言葉が生き生きとしてきた思いがしております。
 そして、権利と義務という観念が、この今の憲法で十分に表現されていないという感じがしておりまして、そういう意味では、義務をちゃんと必要なところに記載をしていかなければいけないと思っているわけでございます。そういう意味で、先生、現行憲法の中で、どんなところにきちっとした規定をしていったらいいか、お考えを伺わせていただきたいと思います。
○伊藤参考人 権利と義務という問題は、私は本当に大切な問題だと思うんですが、私はただ、憲法に義務をずらずら並べればいいという問題でもないんじゃないかなと。ある意味で義務というのは常識でもありますので、むしろ憲法教育というところで、その憲法を支えているものときょう私は盛んに強調しましたが、その精神を強調していけば、おのずと実現していく。
 私は、どうしても憲法に書かなくてはならない義務としては、やはり国防の義務だろうと思うんです。私は、この一つが入っているだけで、もうほかの細かい義務は書かなくても、これさえ入っていれば、これはある意味で、家族に例えてみれば、息子に対して、おまえ、何をやってもいいよ、ただ、この家がもしものときは、おまえ、帰ってきてこの家を支えてくれよ、あとは自由だと言うのと同じで、あれしてはいけない、これしてはいけない、この協力をしろ、これだけ仕送りしろとかと言って子供を縛りつけるのは、私は余り賛成ではない、自由でいい。それが自由な国家ということだと思うんです。
 ただ、この国が怪しくなったら、駆けつけてきて、おまえ、支えてくれよ、これでいいと思うんです。これがあれば、この息子さんは非常にまた立派な青年になると思うんです。そういう考え方でいくならば、国防の義務を規定する。まだ遵法の義務とかいろいろあるんですけれども、私はいいんじゃなかろうかというふうに思うんです。
 というのは、例えば中華人民共和国の憲法がありまして、ちょっと見ますと、五十二条に、国家の統一と各民族の団結を維持する義務というのがあります。それから第五十三条、憲法、法律、労働規律の遵守、国家機密の保持、保守、公共財産、公序公徳の尊重義務。それから第五十四条、祖国の安全、栄誉及び利益を擁護する義務。それから第五十五条、兵役に服する義務。第五十六条、納税の義務。義務、義務、義務と来るんですね。私は、ちょっとこういう憲法のもとでは生きたくないなというふうに思うんです。
 ですから、そういう書き方はする必要はないと私は思っておりまして、ただ、国防の義務を除くと、その家に万一のことが起こっても息子が帰ってこないというようなことになるわけで、それは家族の崩壊になるわけでありまして、それはまずいんじゃないかなということでございます。
○葉梨小委員 ありがとうございました。
 同僚議員のいろいろな御主張がございますが、憲法に人権についての規定がいろいろ書かれております。ある方は、人権の規定が現実の政治の中で生かされていない、だから、人権についていろいろ改正、改定をする必要はないじゃないか、こういう有力な御意見がございますけれども、その点について、先生、どう考えられますか。
○伊藤参考人 私はあえて人権という言葉を使わないで、権利という言葉で統一させていただいておるんですが、憲法に規定された、保障された権利が生かされていないという議論があることは私も承知しております。確かに、そういえばそういうこともあるのかもしれませんが、ただ、権利が生かされていないと言うときの権利は、国家が自分の生活に踏み込んできて困るということじゃなくて、国家に対する請求権という意味で権利が生かされていない、そういうとらえ方、そういう主張が多いんだと思うんですね。
 要するに、国家によって我々はこれだけの権利を与えられているんだという考え方は、実はこれは、天賦の人権じゃなくて国賦の人権論なんです。国賦というのは国ということです。いつから天賦の人権論が国賦の人権論になっちゃったんだとちょっと言いたい部分もあるんです。余り国にああせい、こうせいと言うと、これは必然的に国が大きくなるわけで、国も口出しをしてくるわけです。
 今でも行政府あるいは政府の権限が多過ぎるんじゃないかという議論があるわけでございまして、そこにまだ我々の請求する権利が残っているんだということでああだ、こうだと言うと、では、その原資である税金はだれが出すんですかという議論と必ずぶつかってくるわけでございます。
 私は、我々の聖域、最低限これだけは守られている聖域にいわゆる政府が踏み込んできて、そして、その権利が侵されているという範囲で、それに対して異議申し立てをするという意味での権利がまだ生かされていないという主張は、時と場合によっては、これは大いに考えるべき問題であろうと思いますが、政府にああせい、こうせい、これもやるべきだ、あれもやるべきだという請求権という形で、国家に対して何でもかんでも押しつけていくというのは、実は、権利論を展開しているようであって、それは天賦の人権論からいつの間にか国賦の人権論になってしまっていて、ある意味で危険なんじゃありませんかということを言いたいわけで、やはり自助自立というのが国家の基本であると私は思っております。
○葉梨小委員 ありがとうございます。
 最後に、ちょっとこれは感想を伺いたいんです。
 さっき家族のことをきっちり書いたらいいだろうというお話を承りました。これは、何回か前のこの委員会でも、私も発言をしたことがございます。それで関係があるかないか、御感想を伺いたいんですが、核家族化とかあるいは家庭崩壊とか、いろいろ大変憂慮すべき状況が出ておりますが、戦後、均分相続、これは民法でございますかが施行されました。あれと今の崩壊と何か関係があるのかないのか、そこら辺についての感想を伺わせていただきたいと思います。
○伊藤参考人 相続問題というのは、これは確かに微妙な問題でございまして、相続制度というのは何かというと、これはやはり最低限家族という観念が入った制度だと思うんです。そうでなかったら、どう財産を処分しようが自由なんですね。相続という形で制度化されたということは、それが父親の財産であるならば、妻、子供、そういうところにきちんと移されるようにという最低限の考え方があるわけであって、これはやはり家というものの存在を前提にした考え方だと思うんです。
 ですから、相続全く自由というのは、私は、これは家観念を否定する考え方だと思います。ですから、私は、相続制度というものは十分慎重に考えた方がいいと思います。
 それから、純粋経済問題として、例えば田んぼを分けてしまう、田分けというんだそうですけれども、こういう問題は確かに農村ではあるらしくて、今では相続放棄とかなんとかで処理しているらしいですけれども、家族の基本的なものは守っていくんだという考え方は、これはやはり最低限守るべきものであるというふうに私は思うんです。
 その中には、例えば祭祀財産という概念が民法の中にありますが、この世において祭祀財産とは何だ、こんな封建的なのは捨てろといわゆる若い民法学者はおっしゃるわけですが、人間とは一体何だ、家族とは一体何だというときに、やはり自分の祖先を弔うという祭祀機能というのはあるんですね。祭祀機能を抜きにして家族というのは成り立たないんです。という意味では、その祭祀に伴う、例えば仏壇とか仏間とか、そういう問題がある。そういう祭祀財産というものを認めた上での相続制度というのができているんですね。
 私は、こういうものをいわゆる合理主義だけで全部洗い流していいのかなと。これは、こういうことを主張するとイデオロギー問題になるんですけれども、ただ、ちょっと皆さん、冷静に胸に手を当てて考えてもらいたい。自分の祖先を大切にするという日本人が成り立たせてきた制度というものを、もう少し愛情を持って、しかし、もちろん弊害が出てはいけないから、その弊害を除去しつつ考える、もっと成熟した考え方があるんじゃないのかなというようなことを思っております。
 ちゃんとした答えになったかどうかわかりませんが。
○葉梨小委員 ありがとうございました。終わります。
○島小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 伊藤参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、本当にありがとうございました。ある委員の言葉をかりますと、非常に刺激的なという御意見もございます。十分間の持ち時間が本当に短く感じた意見をいただきました。小委員会を代表いたしまして、心から御礼を申し上げます。本当にどうもありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
○島小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、基本的人権の保障について、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
○中野会長代理 質問の時間を持たせてもらえませんので、今から一言だけ発言したいと思います。
 先ほど、参考人の方と今野君のやりとりを聞いておって、大変興味深いものを感じました。
 私は、権利という言葉、または人権という言葉、その権の字の意味というのをもう一度ひもといて考え直してみると意味がよくわかるのではないかという気がいたしております。
 例えば、権利に対する言葉は実利だと言われます。また、権力に対する言葉が実力だと言われるわけですね。そうしてみますと、この権利の権の字がつくということは、権威という言葉もありますが、言うならば、実力よりも権力の方がより社会的、よって、自然権というよりもより社会的な意味を持っているものだろうというふうにはそこから感じられます。
 私流の皮肉を込めて言うと、実力のない人が総理大臣になると、権力だけは最大の権力を持つが、リーダーシップが発揮できないで国家的悲劇となる、こういうことではないかと。よって、実力と権力というのは本当は一致した方がいい。しかし、必ずしもそれが一致するとは限らぬというのがこの実際の政治の世界ではないか、こんな感じもいたします。
 そういう意味で、権力と実力を比較対照して考えてみると、この権の字の意味が、社会的な意味がよりわかりやすくなってくるのかなと。よって、憲法にはできるだけこの権利というのは具体的に明記していくということがやはり大切で、社会的な規範もしくは社会的な場所でつくる。そして、その権利とは対照的に、その権利をその人に保障するためには、国家もしくはその人以外の人たちが義務を負うことになるわけですから、この権利と義務というのは手のひらの裏と表みたいなものであります。そういう意味では、権利として表記するか義務として表記するかということが社会的な意味として重要なのではないかと思います。
 また、環境権という言葉が新しい権利として使われますが、これとても、本当は、環境権、新しい権利として考えるよりも、地球崩壊ということの危機感を持って考えれば、環境保持義務がむしろ今は問われているのではないか、こんな感じがいたします。
 そういう意味で、憲法を考えるときに、権利と義務の関係というのは、どちら側から書くにしろ、権の字がつく限りは、私は、やはり憲法などに、憲法に限りませんが、できるだけ明記をしていくことが大変重要な意味を持っているのではないかという感想を持ちました。
○葉梨小委員 きょうは基本的人権の保障に関する調査小委員会でございますので、ちょうどいい機会で、ちょっと申し上げてみたいと思います。
 憲法第三章、国民の権利義務の第二十一条、集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」こういう条項がございます。
 実は、昨年の秋でございますか、教科書の改訂の時期が参りまして、いろいろな新しい教科書が出ましたけれども、ある出版社から刊行される予定の歴史の教科書につきまして、それを採用しようとした地方の教育委員会の教育長さんとかあるいは教育委員長さんとか、あるいは首長さんでございましょうか、そういう方々のところに集中的に抗議の手紙が行き、電話が行った。そして、中には、とうとう教育委員長さんが辞任するとか、そんな騒ぎになりました。
 言論の自由が十九条にございます。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と十九条にございます。そんなこともありまして、憲法に保障されて、日本の国は、自分の責任において何を主張しても何を言っても許されるという自由濶達な国柄に戦後なったと喜んでいるわけでございますけれども、昨年の秋以来の現象を見ておりますと、大変大きな、全体主義的なプレッシャーをかけるグループというか、グループがあるのか個人個人なのかは知りませんけれども、自由に物を言い、自由に考え、自由に出版するということが実質的に侵されている、こう言わざるを得ないと思うんです。
 私は、そういう意味で、二十一世紀の日本がこれから伸び伸びと堅実に発展していくためには、どうしてもこういう風潮を、国民の皆様の御理解を得て、お互いにこういうことをしちゃいかぬよという空気を広めていかなければ、自由社会が崩壊するんじゃないか、こういうおそれを抱いているわけでございます。
 ちょうどきょうは小委員会で、テーマがふさわしいということで、一言委員の皆様に申し上げてみたいと思った次第であります。
○今野小委員 私は、きょう、この小委員会に出席をしまして、権利と国家、神、宗教について考えるとてもいい機会だったと思います。また、私は、それと同時に、言葉というものは大変難しいな、私は国会に来る前に、言葉を使って、それをなりわいとしていた者でありますが、改めて大変難しいものだと思いました。
 例えば、対になっているようでなっていない言葉というのがあります。
 ここは小委員会でありますが、そこに所属している私たち委員は、それでは小委員なのか。小委員会と小委員がいかにも対のようにして使われておりますが、私は、小委員会に所属している委員だと思っていたのですが、何か小市民と似たようなところがあるのでしょうか、これは対になっているようでなっていないものなんじゃないか。今野小委員と書いてあるのは実は間違いなんじゃないかと常々思っておりましたが、対になっているようで実は違うものというのがあるのであります。しかし、小委員の方はお集まりくださいと言われると、ああ、小委員だったと、何度も使われるとそう思い込んでしまう、言葉というのはそういう性質を持っている大変おもしろいものであると思いました。
 また、対になっているかいないかということであると、私は、国によって権利というのは付加されているものであるというのを少し言い直しまして、いただくものだという表現をしましたが、それは絶対に違うのだという、強い、抗議に近いお話をいただきました。いただくというのが否定されるのであるとすれば、それでは、付加に対する、対になっている言葉は何なんだろうなと。国が付加すると、国民はいただくのではないか。それでは、いただくというのが違うとすれば、付加したものはどこに行っちゃうんだろう、受け取るというのはどう表現したらいいんだろうと、戸惑いのようなものを感じました。
 それで、かなり人権については片側通行的思考のお話をきょうはいただいたのではないかと思いますが、宗教と国のかかわりについてもいろいろお話がありました。
 私は、前近代的単一社会というのは、宗教は確かにその社会環境と不可分なほど密接に関係していた時代だと思います。そういう時代では、政治権力、社会関係、慣習、古典的な儀式は、すべて内在的に宗教にくくられておりました。また、帝国主義的時代には、政治、経済、軍事的支配力を維持するための手段として、前時代的な、社会的な宗教的価値観と共存していた人々を支配下に置いていた時代というのがありました。
 近代国家の時代では、必ずしも、他の国家に対抗するために宗教が政治的、経済的、軍事的パワーの求心力となっているわけではないと私は思っているのですが、そこのところがどうも整理がつかないまま、きょうのこの小委員会の中で、小委員である私は戸惑いを持ったまま終わりそうでありまして、もっとここら辺ではっきりした意見の方のお話を、対になるような方のお話も伺いたいなと思いました。
 以上でございます。
○植田小委員 小委員の植田至紀でございます。
 きょう初めてこの基本的人権にかかわる小委員会に参加させていただきまして、質疑をさせていただきました。
 若干感想を述べたいんですが、きょうの話というのは、極めてある種原理論的な話であったかと思います。私自身、そうした学問的な作業の積み重ね、これは非常に大切ですし、この憲法調査会でも積み重ねていかなければならないということは当然思っております。
 ただ、今、基本的人権が保障されているとする日本国憲法下において、現行憲法下において基本的人権について論じなければならないというのは、人権問題というのは、一つ一つは極めて具体的な事象である、人権が保障されていない、差別が存在する、そうした一つ一つの具体的な事象がこの日本社会において存在するから、この問題について議論しなければならないんだということを決して忘れてはならないと思います。
 それは、当然ながら、男女共同参画社会といいながら、女性の社会参加と男性の社会参加がでは平等かといったら、決してそうではない。また、在日外国人に対するさまざまな民族的差別、アイヌ民族への差別、部落差別、障害者やお年寄り、そうした問題等々、この日本社会において差別と人権侵害に係るさまざまな問題が具体的に存在している。また、そうしたマイノリティーだけではなく、私たち一人一人、個人がいろいろな局面で社会的不利益を受ける、そうした局面もたくさんあるわけです。そうしたものは常に具体的な事象である。だからこそ、その一つ一つの問題を解決していくための立法作業であるとか政策の実現というものが我々に課された責務なんだろうと改めて感じさせられているわけです。
 いわば、基本的人権というものは、機会の平等がきちんと保障されている社会あって初めて人権が確立された社会と言えるのではないかと私は思います。機会の平等というのは、少なくとも、みずからの努力と研さんの結果以外に、人と人との間に格差を生まない社会でありましょう。それが現在保障されているかどうか。
 生まれながらにみずからの運命が決まっている方が少なくともいらっしゃいます。そして、それが憲法によって保障されています。これはいわゆる天皇制にかかわる問題であります。憲法論議をするに当たっては、この問題を少なくともきちっと議論していく必要があろうかと思います。
 といいますのは、少なくとも、憲法を論議するということは、その正当性や不当性をいろいろな立場で論じるにとどまらず、今我々が将来においていかなる国、社会を構想するのか、そこから理想となる憲法体系というものをどう導出していくのかということにあるんではないかと思います。
 その意味で、事実上の立憲君主制の今の日本の政体が未来永劫続くことを前提として論じるということであるとするならば、これは憲法論議を実は放棄したに等しいと思います。ですから、例えば将来の日本の政体として、天皇制を廃止して共和制に移行するという議論があったとしても私はいいと思います。また、逆に復古的な考え方が当然この場で論じられてもいいかと思います。
 私ども故郷の出身の、非常に孤高の思想家でありました保田與重郎という人がいらっしゃいますが、祭政一致の暮らしこそ絶対平和の暮らしであるというふうに述べました。これはまさに、帝国憲法とか日本国憲法以前に、伝統を守るというのは、近代憲法そのものを放棄するんだ、日本の国が本当に祭政一致の絶対平和な暮らしを享受するのであれば、延喜式、祝詞式があれば十分だとおっしゃった方もいます。これも一つの日本像でありましょう。
 いずれにしても、こうした議論をしていく前提、そうした歴史的事実にかかわる認識を、日本人にとって、また日本にとって、天皇とは、天皇制とは何であったかということを歴史事実に即して検証していく、その中から、改めて二十一世紀の私たちの人権というものについて考える一つの出発点にすべきではないかというふうに私は考えております。その議論なくして、憲法論議というものは画竜点睛を欠くと言わざるを得ないだろうということを申し添えておきます。
 以上で終わります。
○春名小委員 先ほどの葉梨先生のお話の中で、新しい歴史教科書の問題が出ましたので、一言だけ私の意見を言っておきます。
 私、抗議する自由もしっかり保障されないといけないと思うんですよ。それこそ二十一条が保障されていることですし、表現の自由、言論の自由ですので、そのことを葉梨先生のようなことでいきますと、国会に署名を託すとか、そういうことも、たくさん集まれば圧力になるからだめだみたいな話になってきますので、そこはよく考えていかなければならないと思うんですよ。
 もう一点は、なぜそういうことが起こったかということについて、歴史に偽りがあってはならない、子供たちに教える教科書の中身は真実を伝えなきゃいけないという大きな問題意識が私にはあります。その二点、お伝えしておきます。
 私は、きょうは、基本的人権の論議の中で、今一つの大きな問題になっております、憲法十三条で述べられている、国民の権利は公共の福祉に反しない限りで尊重されるという文言について、一言申し上げておきたいと思います。
 その解釈として、国家が公共の福祉と認めれば、国家による人権制限は当然だとする議論がなされております。その典型が、武力攻撃事態法、有事法制です。第三条の四項で、武力攻撃事態への対処の際には、日本国憲法が保障する自由と権利について、必要最小限、公正かつ適正な手続のもとでなら制限を加えることができると条文で示されています。政府は、この人権制限の憲法上の根拠として憲法十三条を挙げて、その説明の中で、内閣法制局長官は、現行憲法下でも公共の福祉の観点から災害対策基本法、国民生活安定緊急措置法で人権が制限されているではないかと述べております。この誤りについて三点、指摘をしておきたいと思います。
 第一に、公共の福祉の通説的見解なんですけれども、これは、人間の尊厳を最高の指導理念とする日本国憲法においては、個人に優先する全体の利益あるいは価値というものは存在しないということであります。個人の人権に対抗する価値が認められるのは、多数または少数の他人の人権だけでありまして、この人権相互間に生じる矛盾、衝突の調整を図るための実質的な公平の原理が公共の福祉ということであるということが通説であります。
 政府も、現実の立法は別としまして、この立場に立っておりまして、国連人権委員会への市民的及び政治的権利に関する国際規約第四十条一(b)に基づく報告の中でこう言っております。日本国憲法における公共の福祉の概念について、主として、基本的人権相互間の調整を図る内在的な制約理論により一定の制限に服することがある旨を示すものである、こういうふうに述べているわけです。政府自身がそう言っているわけです。
 つまり、国家が都合のよい基準をつくって人権を制限するということはできないというのが見解なわけですね。人権相互の衝突ということとは全く関係ない武力事態への対処を、公共の福祉として人権制限の根拠としていくというところには道理がないというのが第一点。
 第二点は、災害対策基本法とか国民生活安定緊急措置法で言う人権制限の規定は、経済的、社会的弱者の保護という政策的制約のことを示唆していまして、憲法二十九条の経済的自由権に根拠を持つもの、こういうふうに政府自身も説明してきたものです。つまり、憲法十三条を根拠にしたものではありません。
 最後に、ましてや日本国憲法は、武力行使そのものを禁止しております。戦力を保持することを否定しております。平和外交と平和共存によって自国の安全を守るということを宣言しています。ですから、こういう徹底した平和主義を持っている日本国憲法のもとで軍事的公共性というのが成り立つ根拠がないわけです。そういう三点、申し上げておきます。
 憲法調査会としましては、こうした現実に起こっている憲法違反濃厚の実態をきちんと調査するということが我々に課せられている責務であろうということを考えております。
 以上です。
○葉梨小委員 春名先生の御意見にちょっと私、申し上げておきますが、言論の自由があるし表現の自由があるから意見を表明するのはいいんですが、それは責任を持って対応していかなきゃいけない。名前をちゃんと書き、住所を書いて、そして手紙をもらった人が、いや、これはこういうことですよと意見の交換ができるような状況であれば、それはたくさん手紙が来たって構わないんです。それが、名前も住所も書かないで、とにかく一方的な主張を書き連ねた手紙がいっぱい行く、あるいは名前を名乗らない電話が行くということは、これはあなただっていけないと思うでしょう。そこを私は一応言っておきます。
○島小委員長 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十六分散会

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0107/15405230107004.pdf

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0107/15405230107004a.html




「時々の内閣が『必要な自衛の措置とは何か』とことん考えるのは当然のことだ。昭和47年の政府見解では、集団的自衛権は必要最小限度を超えると考えられたが、大きく国際状況が変わっているなかで、国民の安全を守るために突き詰めて考える責任がある。国際情勢にも目をつぶり、(集団的自衛権の行使を認めない)従来の解釈に固執するのは、まさに政治家としての責任の放棄だ。私は政治家として責任ある態度かどうか極めて疑問があると言わざるをえない。」by安倍晋三

2015.06.19.Fri.12:10
2015年6月18日 NHKニュースの記事より引用
『首相 “従来解釈への固執は責任放棄”
6月18日 12時21分

安倍総理大臣は、衆議院予算委員会の集中審議で、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にすることについて、従来の解釈に固執するのは、政治家としての責任の放棄だとしたうえで、国際情勢を踏まえて必要な自衛の措置だという考えを強調しました。
衆議院予算委員会は、18日、年金情報の不正アクセス問題や安全保障などをテーマに集中審議を行っています。
この中で、自民党の小野寺・元防衛大臣は、集団的自衛権の行使について「自分たちを守ろうと思ってやることが国際法上、集団的自衛権に解釈されてしまう。歴代の防衛大臣はいつもこの課題に直面したと思うが、国会で正面から議論すると必ず『戦争に巻き込まれる』といったレッテル貼りが行われる」と指摘しました。
これに対し、安倍総理大臣は「時々の内閣が『必要な自衛の措置とは何か』とことん考えるのは当然のことだ。昭和47年の政府見解では、集団的自衛権は必要最小限度を超えると考えられたが、大きく国際状況が変わっているなかで、国民の安全を守るために突き詰めて考える責任がある」と述べました。そのうえで、安倍総理大臣は「国際情勢にも目をつぶり、従来の解釈に固執するのは、まさに政治家としての責任の放棄だ。私は政治家として責任ある態度かどうか極めて疑問があると言わざるをえない」と述べました。

公明党の樋口衆議院議員は、年金情報の流出問題について「今後ますます増大する可能性の高いサイバー攻撃に備えるために、政府のサイバーセキュリティー体制も大胆に強化すべきだ」と指摘しました。これに対して、安倍総理大臣は「サイバーセキュリティーの確保は、ITの利活用を進め成長戦略を実現するために必要不可欠の基盤で、国民生活の安全確保、国家の安全保障、危機管理にとって極めて重要な課題だ。今回の事案を重く受け止め、二度と起こらないようサイバーセキュリティー対策を強化する必要がある。『内閣サイバーセキュリティセンター』の体制の充実をはじめ、政府全体として、最適な予算や人員を確保するなど、サイバーセキュリティー対策の強化を遅滞なく図っていく」と述べました。

民主党の玉木・選挙対策委員長代理は、安全保障関連法案について「国民の理解は深まっていないと思う。わが国をしっかりと守っていく、その時々に合わせて、法制でも装備でもしっかりやっていくのは当然、必要だ。ただ同時に、わが国の最高法規たる憲法に合致した形で法律や仕組みを作っていくことも政治家の責任だ」と指摘しました。これに対し、安倍総理大臣は「時代が変化する中で、日本を射程に入れているたくさんの弾道ミサイルを持った国がある。しかも大量破壊兵器を載せられるまで技術を上げている状況で、日米の強い絆の下で日本人を守らなければいけないという状況が出てきている」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「日本の迎撃能力やイージス艦の能力も高くなっているなかで、『何が可能か』『攻撃されたアメリカの艦船を守らなくてもいいのか』という問いかけに答えていく必要がある。『そんなことは万一だからいい』ということはあってはならない。『しなければいけない』ということではなく『そういう時にはできる』という解釈であり、そういう法律を作っている」と述べました。』



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/QdcSr



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcitation)
http://www.webcitation.org/6ZON0V09p



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150619023209/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150618/k10010118801000.html



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0619-1132-21/www3.nhk.or.jp/news/html/20150618/k10010118801000.html

「賃上げに伴う消費回復が期待されるなか、今後、労働力不足の克服がアベノミクスの最大の課題になる。 この課題を乗り越えるには生産性の向上しかない。サービス業は飛躍的に生産性を高める潜在力を秘めている。今こそ『サービス生産性革命』を起こすときだ。まさにオールジャパンの国民運動の幕開けで、私も国民運動の先頭に立つ」by安倍晋三

2015.06.19.Fri.11:59

2015年6月18日 NHKニュースの記事より引用
『首相 サービス業の生産性向上へ協力を
6月18日 20時36分

政府は、日本の雇用のおよそ7割を占めるサービス業の生産性向上を目指す協議会の初会合を開き、安倍総理大臣は、出席した業界の関係者らに対し、「サービス業は飛躍的に生産性を高める潜在力を秘めている」と述べ、生産性の向上へ協力を呼びかけました。
小売や飲食などのサービス業は、全産業の雇用のおよそ7割を占めていますが、製造業などと比べて生産性が低いと指摘されており、少子高齢化で人手不足が深刻になるなか、持続的な経済成長のため生産性を上げることが課題になっています。
こうしたなか政府は、小売や飲食、介護など、サービス業を代表する5つの業種の経営者らが製造業の専門家などからノウハウを学ぶ協議会の初会合を総理大臣官邸で開き、業界の関係者や経営者らおよそ300人が出席しました。
この中で、安倍総理大臣は「賃上げに伴う消費回復が期待されるなか、今後、労働力不足の克服がアベノミクスの最大の課題になる。
この課題を乗り越えるには生産性の向上しかない」と述べました。そのうえで、安倍総理大臣は、「サービス業は飛躍的に生産性を高める潜在力を秘めている。今こそ『サービス生産性革命』を起こすときだ。まさにオールジャパンの国民運動の幕開けで、私も国民運動の先頭に立つ」と述べ、生産性の向上へ協力を呼びかけました。
経団連会長「成功事例の横展開を」
初会合のあと、出席した経団連の榊原会長は記者団に対し、「製造業で生産性が向上した事例やイノベーションの事例をサービス業の企業に紹介し、活用してもらうよう横展開していくことになると思う。その母体がきょう発足したということで、経済界としてもこれから頑張っていきたい」と述べました。』



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/o9xwB



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150619025749/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150618/k10010119581000.html



2015年6月18日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0619-1158-00/www3.nhk.or.jp/news/html/20150618/k10010119581000.html

「『必要な自衛の措置とは、どこまでが含まれるのか』ということを常に国際状況を見ながら判断をしなければいけない。国際状況に目をつぶって国民の命を守るという責任を放棄をしてはならない。今回の憲法解釈の変更の正当性、合法性には完全に確信を持っている」by安倍晋三

2015.06.18.Thu.05:20
2015年6月17日 NHKニュースの記事より引用
『首相 憲法解釈変更の正当性と合法性に確信
6月17日 19時23分

今の国会で2回目となる党首討論が行われ、集団的自衛権の行使を可能にすることを盛り込んだ安全保障関連法案について、民主党の岡田代表が憲法違反だと批判したのに対し、安倍総理大臣は「憲法解釈の変更の正当性、合法性は完全に確信を持っている」と述べ、批判は当たらないという考えを強調しました。
この中で、民主党の岡田代表は集団的自衛権の行使について「『わが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容した』と説明しているが、いつも例として挙げる、ホルムズ海峡での武力行使、機雷の掃海を巡り、どのような安全保障環境の根本的な変容があったのか」とただしました。
これに対し、安倍総理大臣は「集団的自衛権の行使の典型例としてホルムズ海峡を挙げているわけではなく、海外に派兵する例外として述べている。『外国の領土、領海、領空での武力行使は何が可能性としてあるか』ということだったから、一般に海外派兵は禁じられているという原則を述べた後、ホルムズ海峡で機雷が敷設され排除する場合は、受動的限定的であるから、武力行使の新3要件に当てはまることもありうると申し上げている」と述べました。

また、岡田氏は「重要影響事態に何が加わったら、存立危機事態になるのか。朝鮮半島有事の例では、どういう時に存立危機事態を認定するのか」とただしました。
これに対し、安倍総理大臣は「朝鮮半島で有事が起こる中で米艦が対応に当たり、重要影響事態にあたれば後方支援を行う。某国が『東京を火の海にする』と発言をエスカレートさせ、日本に対するミサイル攻撃をするかもしれないという状況が発生し、その中で、ミサイル防衛に関わる米艦が初動攻撃された場合に守ることは、武力行使の新3要件に当たる可能性がある」と述べました。そのうえで、安倍総理大臣は「ケースごとに述べていくことは、『日本がどういうことを考え、どういうことでなければ武力行使をしない』という政策的中身をさらすことになる。国際的にも、そんなことをいちいちすべて述べている海外のリーダーはほとんどいない」と述べました。

そして、岡田氏は、安全保障関連法案について「憲法違反だと思う。時の内閣に武力行使をするかしないか、憲法違反になるかならないかの判断を丸投げしているのと一緒であり、白紙委任だ。そんな国はどこにもなく立憲国家にならない」と批判しました。
これに対し、安倍総理大臣は「『必要な自衛の措置とは、どこまでが含まれるのか』ということを常に国際状況を見ながら判断をしなければいけない。国際状況に目をつぶって国民の命を守るという責任を放棄をしてはならない。今回の憲法解釈の変更の正当性、合法性には完全に確信を持っている」と述べました。さらに安倍総理大臣は「民主党の集団的自衛権の行使に対する基本的なスタンスでは、党として憲法違反だと考えているのか。こうした問いかけに全く答えていない」と指摘しました。
これに関連して、岡田氏は「民主党は領域警備法を提案しているし、周辺事態法も中身を充実させることを提案している。周辺事態は、個別的自衛権で十分対応出来るというのが私たちの意見で、集団的自衛権は要らない」と述べました。

維新の党の松野代表は、安全保障関連法案について「海外では、これまで以上に日本が国際貢献をするために新しい法整備をすると言い、国内では、日本人の命を守るためだけに武力行使をするかのようなニュアンスで言う。安全保障法制の議論がかみ合わないのは、これが最大の理由ではないか」と指摘しました。そのうえで、松野氏は「11本の法律を2本にまとめた政府案の修正協議に応じるつもりは全くない。われわれは独自案を提出するが、憲法の枠内、自衛権の範囲ギリギリの中で、できることは一体何なのかを考えて作る」と述べました。
これに対し、安倍総理大臣は「よい指摘を頂いた。集団的自衛権に伴う武力行使を行うための法案と、武力行使を行わずに国際社会の平和と安全を守るために日本が協力をするための法案がある。また、PKO活動でより日本が大きな役割を果たしていくための法案もある。分けて考えていただきたい」と述べました。

また、松野氏は参議院の選挙制度改革について「来年の参議院選挙は、必ず新しい制度のもとで、最高裁の判決も踏まえた状態で実施するのか」とただしました。
これに対し、安倍総理大臣は「自民党総裁として来年の参議院選挙に間に合わせるべく最大限努力していかなければならず、党に対して取りまとめを指示している。維新の党などが4党の合意案を作られたということだが、それぞれの党をまとめる努力に敬意を表したい。傾聴に値する」と述べました。

共産党の志位委員長は、外国軍隊への後方支援を拡大することによる自衛隊員のリスクについて、「後方支援・兵たんは軍事攻撃の格好の標的になるのは軍事の常識だ。自衛隊が兵たんをやっている場所が戦場になる」と指摘しました。
これに対し、安倍総理大臣は「後方支援をどのように実施するかということで、戦闘に巻き込まれる訳ではない。『必ず戦争に巻き込まれる』という議論があったが、そうではなく、大切な物資を届けるからこそ、安全な場所で相手方に渡すのが今や常識だ」と述べました。』



2015年6月17日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/Um61Q


2015年6月17日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZMRYgLkJ


2015年6月17日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150617201613/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150617/k10010118241000.html



2015年6月17日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0618-0513-46/www3.nhk.or.jp/news/html/20150617/k10010118241000.html

「集団的自衛権の一部の行使を認めるのは、憲法違反という憲法学者の意見が出たが、憲法違反ではない。憲法9条のもとで、できるだけのことをやったのが平和安全法制。9条の解釈のもとで国民の命と平和を守るためにできるだけのことをやる。これは政治家として当然の責務だ。憲法解釈の最高権威は最高裁。憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁のみが憲法解釈の最終的な判断ができると憲法に書いている。自分の国が日本が直接攻撃されていなくても、日本の存立を脅かして国民の生命や幸福追求権を根底から覆すような場合には、必要最小限度に限って自衛権の行使ができることを認めたのが、平和安全法制だ。何も憲法に違反することではない。憲法学者が何を言おうとも、きちんと説明していかないといけない。」by稲田朋美

2015.06.18.Thu.04:47

2015年6月5日 朝日新聞の記事より引用
『「憲法解釈の最高権威は最高裁」 自民・稲田氏
2015年6月5日22時59分

■稲田朋美・自民党政調会長

 集団的自衛権の一部の行使を認めるのは、憲法違反という憲法学者の意見が出たが、憲法違反ではない。憲法9条のもとで、できるだけのことをやったのが平和安全法制。9条の解釈のもとで国民の命と平和を守るためにできるだけのことをやる。これは政治家として当然の責務だ。憲法解釈の最高権威は最高裁。憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁のみが憲法解釈の最終的な判断ができると憲法に書いている。

 自分の国が日本が直接攻撃されていなくても、日本の存立を脅かして国民の生命や幸福追求権を根底から覆すような場合には、必要最小限度に限って自衛権の行使ができることを認めたのが、平和安全法制だ。何も憲法に違反することではない。憲法学者が何を言おうとも、きちんと説明していかないといけない。(仙台市内の講演で)』



2015年6月5日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(archive.is)
https://archive.is/e1UOp


2015年6月5日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZMP5X90N


2015年6月5日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150617193058/http://www.asahi.com/articles/ASH657FLZH65UTFK02B.html?iref=reca


2015年6月5日 朝日新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0618-0430-41/www.asahi.com/articles/ASH657FLZH65UTFK02B.html?iref=reca

「私は、憲法の法理そのものについて学者ほど勉強してきた、というつもりはない。だが、最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。枝野さんがあまり考えてこなかったからといって、他の政治家がそういうことを考えてこなかったと速断するのはどうかと思う。」by高村正彦

2015.06.17.Wed.21:22
2015年6月11日 朝日新聞の記事より引用
『自民・高村氏「たいていの憲法学者より私は考えてきた」
2015年6月11日11時35分

■高村正彦・自民党副総裁

 枝野幸男・民主党幹事長が「高村さんは、司法試験に受かる程度の憲法の勉強はしたと思うが、それ以来憲法学者のように憲法をずっと勉強してきたのか」というようなことを言っていた。私は、憲法の法理そのものについて学者ほど勉強してきた、というつもりはない。だが、最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。枝野さんがあまり考えてこなかったからといって、他の政治家がそういうことを考えてこなかったと速断するのはどうかと思う。(朝日新聞などの取材に)』



2015年6月11日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/DH1Zs



2015年6月11日 朝日新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150617121836/http://www.asahi.com/articles/ASH6C3QXTH6CUTFK003.html


2015年6月11日 朝日新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0617-2118-50/www.asahi.com/articles/ASH6C3QXTH6CUTFK003.html

「安倍総理大臣の答弁として、『北朝鮮は全く考えられない』と発言している。それ以外の国は現実には相当、限定されるが、あらかじめ、どの国を排除するということはない。自衛権を行使するのは国で、『国家が該当し、未承認国、あるいは分裂国家も入る』と説明している。そのうえで、わが国は、サンフランシスコ平和条約によって、台湾に対するすべての権利、権限および請求権を放棄しており、台湾の法的地位に関して、独自の認定を行う立場にない」by岸田文雄

2015.06.17.Wed.01:51
2015年6月15日 NHKニュースの記事より引用
『防衛相 派遣隊員の精神的負担に十分留意
6月15日 20時38分

中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会で、海外に派遣される自衛隊員には精神的な負担が想定されるとして、PTSD=心的外傷後ストレス障害への対応も含め、十分に留意していく考えを示しました。
安全保障関連法案を審議している衆議院の特別委員会は与党側の国会運営に反発して、先週12日の委員会を欠席した民主党、共産党も出席して、質疑が行われました。
この中で、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は自衛隊員の安全確保に関連して、「海外派遣は過酷な環境での活動が想定され、派遣隊員の精神的負担は、相当大きなものと考えられる。その結果、PTSD=心的外傷後ストレス障害を含む精神的な問題が生じる可能性はあるが、メンタルヘルスケアには、十分留意して実施させる」と述べました。
また、岸田外務大臣は武力行使の新3要件について、「『わが国と密接な関係にある他国』には、すべての国が該当するのか」という質問に対し、「安倍総理大臣の答弁として、『北朝鮮は全く考えられない』と発言している。それ以外の国は現実には相当、限定されるが、あらかじめ、どの国を排除するということはない」と述べました。
そのうえで、岸田外務大臣は台湾が該当するかどうかについて、「自衛権を行使するのは国で、『国家が該当し、未承認国、あるいは分裂国家も入る』と説明している。そのうえで、わが国は、サンフランシスコ平和条約によって、台湾に対するすべての権利、権限および請求権を放棄しており、台湾の法的地位に関して、独自の認定を行う立場にない」と述べました。』



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/lZxE9


2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150616164445/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010115471000.html


2015年6月15日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0617-0145-01/www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010115471000.html

「砂川判決は、個別的自衛権、または、集団的自衛権の区別をつけずに、わが国が自衛権を有することに言及したうえで、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取りうることを認めたものだ。(砂川事件最高裁判決では)個別的自衛権、集団的自衛権の両方とも言及はしていないが、集団的自衛権を排除しているものではないと認識している。(集団的自衛権の行使が可能となる武力行使の新3要件に関しては、)砂川判決そのものを根拠としたものではなく、あくまでも、これまでの政府見解の基本的論理から導き出したものだ」by中谷元

2015.06.16.Tue.09:20
2015年6月15日 NHKニュースの記事より引用
『防衛相 砂川判決は集団的自衛権排除せず
6月15日 12時16分

安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会で、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、昭和34年の砂川事件の最高裁判所の判決は、「わが国が必要な自衛のための措置を取りうることを認めたものだ」としたうえで、集団的自衛権の行使を排除したものではないという認識を示しました。
安全保障関連法案を審議している衆議院の特別委員会は、与党側の国会運営に反発して、前回・先週12日の委員会を欠席した民主党、共産党も出席して、質疑が行われています。
この中で、民主党の寺田副幹事長は、憲法9条の下でも、自衛権は認められるとした昭和34年の砂川事件の最高裁判所の判決について、「『集団的自衛権は合憲だ』とする言及はあるのか」とただしました。
これに対し、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、「砂川判決は、個別的自衛権、または、集団的自衛権の区別をつけずに、わが国が自衛権を有することに言及したうえで、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取りうることを認めたものだ」と述べました。
そのうえで、中谷大臣は「個別的自衛権、集団的自衛権の両方とも言及はしていないが、集団的自衛権を排除しているものではないと認識している」と述べました。
一方、中谷大臣は、集団的自衛権の行使が可能となる武力行使の新3要件について、「砂川判決そのものを根拠としたものではなく、あくまでも、これまでの政府見解の基本的論理から導き出したものだ」と述べました。
これに関連して、横畠内閣法制局長官は、「厳密な意味での判例としての法的効力を持つものではないことは、当然の前提で、そのうえで、最高裁判所の権威ある重い判断であるものとして、どのように受け止めるかという問題だ」と述べました。そのうえで、横畠長官は、「新3要件のもとで認められる限定された集団的自衛権の行使は、砂川判決において論じている自衛のための措置を超えるものではなく、同判決にいう自衛権に含まれるというふうに解することが可能だ」と述べました。』



【ご参考】いわゆる砂川事件判決 1959年(昭和34年)12月16日 最高裁 刑集13巻13号3225頁
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/gqFGQ



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150616001126/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010114951000.html



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0616-0911-45/www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010114951000.html


寺田学(民主党)議員の国会質問 衆議院 平和安全特別委員会 2015年6月15日 1/2



寺田学(民主党)議員の国会質問 衆議院 平和安全特別委員会 2015年6月15日 2/2



安全保障法案に関する他の閣僚の発言等に関しては、以下のリンク先に示した拙ブログの各エントリーをご参照下さい。
http://politicalarchive.blog.fc2.com/?q=安全保障&charset=utf-8

http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1938.html?q=砂川&charset=utf-8
http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1938.html?q=集団的自衛権&charset=utf-8
http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1938.html?q=自民党憲法&charset=utf-8
http://politicalarchive.blog.fc2.com/?q=憲法&page=1



【ご参考】
2015年6月15日 NHKニュースの記事より引用
『長谷部教授「政府の主張は不当」
6月15日 19時04分

今月4日の衆議院憲法審査会の参考人質疑で安全保障関連法案について「憲法9条に違反している」と述べた早稲田大学の長谷部恭男教授が、15日、日本記者クラブで会見し「砂川事件の最高裁判決から集団的自衛権の行使が合憲だとする政府の主張は不当だ」と述べました。
長谷部教授は「憲法9条のもとでも固有の自衛権は否定されない」などと指摘した昭和34年の砂川事件の最高裁判決について「この裁判で問題となったのは日米安全保障条約の合憲性であって、日本の集団的自衛権は全く争点になっていない。この判決から集団的自衛権の行使が合憲だとする政府の主張は法律学に衝突する考えだ。国民を愚弄していると私は思う」と強く批判しました。そのうえで「今回の法案は数多くの重大な欠陥があるのでただちに撤回すべきだ」と主張しました。
また、同じ参考人質疑に出席した慶應義塾大学の小林節名誉教授も「当時は日本が占領から解放されたばかりで、個別的自衛権があるかないかの議論がなされていた。集団的自衛権などは当時の時代背景として問われていない。この判決を集団的自衛権の根拠としたことに驚いている」と述べました。』



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/x7NRG


2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZJlTUm5C



2015年6月15日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150616015524/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010115321000.html


2015年6月15日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0616-1055-36/www3.nhk.or.jp/news/html/20150615/k10010115321000.html

「衆議院憲法審査会の参考人質疑で、学識経験者が(安全保障関連法案に関して)憲法違反にあたるという認識を示したことは、相当影響があるだろうと受け止めている。危機はいつ起こるか分からない。10年先かもしれないし、3か月先かもしれないので、命と暮らしを守る平和安全法制はできるだけ早く整えたほうがいい。同時に、審議は尽くさなければならず、それを両立させる会期を取る必要がある」by高村正彦

2015.06.16.Tue.08:49
2015年6月14日 NHKニュースの記事より引用
『与野党 安全保障関連法案巡り議論
6月14日 12時02分

NHKの「日曜討論」で、後半国会の焦点となっている安全保障関連法案について、自民党の高村副総裁が、国会の会期を延長したうえで成立させたいという考えを重ねて示したのに対し、民主党の長妻代表代行は、会期を延長せず法案の内容を再検討して提出し直すべきだと主張しました。
この中で、自民党の高村副総裁は、安全保障関連法案について、「衆議院憲法審査会の参考人質疑で、学識経験者が憲法違反にあたるという認識を示したことは、相当影響があるだろうと受け止めている。危機はいつ起こるか分からない。10年先かもしれないし、3か月先かもしれないので、命と暮らしを守る平和安全法制はできるだけ早く整えたほうがいい。同時に、審議は尽くさなければならず、それを両立させる会期を取る必要がある」と述べ、国会の会期を延長したうえで法案を成立させたいという考えを重ねて示しました。

公明党の石井政務調査会長は、「法案が違憲だという指摘は全く当たらない。なかなか国民の理解が進んでいないが、政府にはより丁寧で謙虚な姿勢で説明を尽くしてもらいたい。なるべく多く審議の機会を作り、できるだけ幅広い合意形成に努めながら、今の国会での成立を期したい」と述べました。

民主党の長妻代表代行は、「防衛大臣や外務大臣が答弁を撤回することが相次いでいるが、いいかげんな答弁をそのまま見過ごして、強行的に法案が成立し、将来に禍根を残す形になることは絶対に避けなければならない。明確に答弁できないかぎり、法案を出し直すべきであり、今の国会を1回閉じて冷静に法案を見直していただきたい」と述べ、国会の会期を延長せず、法案の内容を再検討して提出し直すべきだと主張しました。

維新の党の今井政務調査会長は、「審議をいつまでと区切る必要はなく徹底的に審議すべきだ。後方支援活動の内容や場所などがどんどん広がっていて、自衛隊員のリスクが高まると指摘しても、政府ははぐらかす答弁を繰り返しており、真摯(しんし)に答弁しないと国民の理解は深まらない」と述べました。

共産党の小池政策委員長は、「今の憲法は、武力による威嚇や武力行使を放棄するだけでなく、戦力の保持や交戦権も否認しており、こういう憲法のもとで集団的自衛権が行使できるわけがない。この法案は憲法違反であり、廃案にするしかない」と述べました。

次世代の党の和田政策調査会長は、「国民の命や国家を守るためにどうしていくのかという議論が必要で、武力行使の新3要件でも手かせ足かせがかなりある。国民の命を守ることを高めるのであれば賛成したいが、法案の内容がまだ不十分だ」と述べました。

社民党の吉川政策審議会長は、「自衛隊が海外で武力行使をしなかったのは、憲法9条に基づいてアメリカの要請を断ってきたからで、集団的自衛権の行使容認はその部分を抜くことになる。法案を成立させることには断固反対だ」と述べました。』



2015年6月14日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/oaRbx


2015年6月14日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615231533/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150614/k10010114241000.html


2015年6月14日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0616-0815-51/www3.nhk.or.jp/news/html/20150614/k10010114241000.html




【ご参考】

2015年6月15日 東京新聞の記事より引用
『【政治】
砂川根拠「間違った理解」 長谷部氏ら批判
2015年6月15日 夕刊

 安全保障関連法案について、衆院憲法審査会の今月四日の参考人質疑で「憲法違反」と明言した長谷部恭男(やすお)早稲田大教授と小林節慶応大名誉教授は十五日午後、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見した。冒頭発言で長谷部氏は、政府・与党が砂川事件の最高裁判決(一九五九年)を根拠に安保法案は「合憲」と主張していることに対し「砂川事件判決は、集団的自衛権についてなにも議論していない。間違った理解だ」と批判した。
 小林氏は冒頭発言で「改憲せずに安保法案の政策を推進することは法の支配を壊す」と法案に強い懸念を示した。同時に「安保法案は違憲だ」との見解も重ねて表明した。
 長谷部氏は、自民党内から憲法学者に批判が出ていることに対し「今の安保法案は日本の安全をむしろ危うくする。日本の安全を守りたいなら学者の意見を聞くべきだ」と述べた。
 長谷部、小林両氏は憲法学の第一人者。四日の参考人質疑には、笹田栄司早稲田大教授を含めた三人で出席し、全員が安保法案を違憲と明言した。長谷部氏は自民党からの推薦で参考人出席していた。
 これに対し、安倍晋三首相は「憲法の基本的論理は全く変わっていない」などと反論。長谷部氏らに対し、自民党内からは「憲法の番人は最高裁であり、学者ではない」(高村正彦副総裁)といった反発も出ている。』



2015年6月15日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/0o4AE


2015年6月15日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615234028/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015061502000053.html



2015年6月15日 東京新聞の該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZJcY9x3A


2015年6月15日 東京新聞の該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0616-0841-18/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015061502000053.html

「昭和34年に最高裁判所で言い渡された『砂川事件』の判決に明確に書いてあるのは、国の存立を全うするための必要な自衛の措置は取りうるということであり、『個別的自衛権はいいが、集団的自衛権はだめだ』とは書いていない。今の安全保障環境を考えると、必要な自衛の措置の中には、国際法上、集団的自衛権と言わざるをえないものがある。自衛隊が創設されたときも、ほとんどすべての憲法学者は『憲法違反だ』と言っていた。学者の言うとおりにしていたら自衛隊はなく、抑止力もなくて、日本の平和と安全は保たれなかった」by高村正彦

2015.06.15.Mon.17:06

2015年6月13日 NHKニュースの記事より引用
『高村氏「憲法の範囲内で取りまとめたもの」
6月13日 20時27分

自民党の高村副総裁は富山市で講演し、後半国会の焦点となっている安全保障関連法案に関連し、「最高裁判決が認めた自衛の措置の中には、集団的自衛権と言わざるをえないものがある」と述べ、あくまで憲法の範囲内で取りまとめたものだとして理解を求めました。
この中で高村副総裁は、安全保障関連法案に関連し、「昭和34年に最高裁判所で言い渡された『砂川事件』の判決に明確に書いてあるのは、国の存立を全うするための必要な自衛の措置は取りうるということであり、『個別的自衛権はいいが、集団的自衛権はだめだ』とは書いていない」と指摘しました。
そのうえで高村氏は「今の安全保障環境を考えると、必要な自衛の措置の中には、国際法上、集団的自衛権と言わざるをえないものがある」と述べ、あくまで憲法の範囲内で取りまとめられたものだとして理解を求めました。
また、高村氏は、先の衆議院憲法審査会の参考人質疑で、出席した学識経験者3人全員が安全保障関連法案は憲法違反に当たるという認識を示したことについて、「自衛隊が創設されたときも、ほとんどすべての憲法学者は『憲法違反だ』と言っていた。学者の言うとおりにしていたら自衛隊はなく、抑止力もなくて、日本の平和と安全は保たれなかった」と重ねて反論しました。』



2015年6月13日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archiva.today)
https://archive.is/6LUmr


2015年6月13日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615054454/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150613/k10010113771000.html


2015年6月13日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0615-1445-05/www3.nhk.or.jp/news/html/20150613/k10010113771000.html


「国民の生命、平和な暮らしを守るのは政府の責務で、しっかり守り続けたい。わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しいなか、国会の中で粘り強く、できるだけ丁寧に関連法案の意義を説明して理解を求めながら、今度の国会で何としても成立させたい」by菅義偉

2015.06.15.Mon.15:00

2015年6月13日 NHKニュースの記事より引用
『官房長官 安保関連法案は今国会で成立を
6月13日 15時13分

菅官房長官は東京都内で講演し、後半国会の焦点となっている安全保障関連法案について、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しているとして、丁寧に関連法案の意義を説明し、今の国会で確実に成立させたいという考えを重ねて示しました。
この中で菅官房長官は、安全保障関連法案について、「国民の生命、平和な暮らしを守るのは政府の責務で、しっかり守り続けたい」と述べました。
そのうえで菅官房長官は、「わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しいなか、国会の中で粘り強く、できるだけ丁寧に関連法案の意義を説明して理解を求めながら、今度の国会で何としても成立させたい」と述べ、関連法案を今の国会で確実に成立させたいという考えを重ねて示しました。
また菅官房長官は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡り、アメリカ政府に強力な交渉権限を与える法案の議会下院の採決で賛成が反対を上回ったことに関連し、「法案が可決し、成立すれば参加各国の関係閣僚会議が招集され、TPPもいよいよ最終決着の方向に入る。これから下院でどうなるか注目していきたい」と述べました。』



2015年6月13日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/GuDvK


2015年6月13日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615042536/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150613/k10010113511000.html


2015年6月13日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0615-1325-56/www3.nhk.or.jp/news/html/20150613/k10010113511000.html

「国会の使命は、国民に選ばれた議員が国の施策を決定するわけで、幅広く意見を聴く必要がある。その際には見識を持った方々、学者の方もそうだが、それ以外の幅広い方から意見を聴く。(憲法学者が安全保障関連法案を違憲だという見解も)参考の一助であると思っている」by中谷元

2015.06.15.Mon.12:00

2015年6月12日 NHKニュースの記事より引用
『防衛相 憲法学者の意見は「参考の一助」
6月12日 17時47分

安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会は、民主党と共産党が欠席するなか開かれ、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、憲法学者の意見をどのように受け止めるべきかと問われたのに対し、「参考の一助だ」と述べました。
安全保障関連法案を審議している衆議院の特別委員会は、野党のうち維新の党が出席する一方で、民主党と共産党は「厚生労働委員会など、与党側の国会運営は乱暴で認められない」などとして、12日の委員会を欠席しました。
質疑の中で、維新の党の足立政務調査会副会長は「安全保障法制について、違憲だという方が200人以上集まり、違憲ではないという方が10人と報じられているが、私は数ではないと思う。憲法学者の意見をどのように受け止めていくべきか」と質問しました。
これに対し、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は「国会の使命は、国民に選ばれた議員が国の施策を決定するわけで、幅広く意見を聴く必要がある。その際には見識を持った方々、学者の方もそうだが、それ以外の幅広い方から意見を聴く。参考の一助であると思っている」と述べました。
また、岸田外務大臣は、「憲法学者の方々の意見にも耳を傾けることは重要だが、憲法は国民生活の幅広い分野に関わるので、例えば政治学者や国際法学者をはじめ、さまざまな分野の識者の意見にも耳を傾けなければならない」と述べました。
一方、中谷大臣は、「歴代の防衛大臣などの意見も聴くべきだ」という指摘に対し、「防衛庁長官の先輩として、山崎拓氏もしっかりとしたお考えを持っているが、そういう方々にも会って、なぜこの法律が必要か、政府はどのようにして責任を持って防衛に対応するのかを、謙虚に私なりにも説明しており、幅広くいろいろな方々と会って、意見は聴かせていただいている」と述べました。
また、中谷大臣は、自衛隊員の安全性の確保について「法律に伴うリスクが増える可能性はあるが、特に運用で、現場でも、管理の面でも、任務をさせるうえでリスクを極小化させる」と述べました。』



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/AF6wh



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615011446/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112681000.html



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0615-1015-02/www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112681000.html



【関連報道】
2015年6月12日 NHKニュースの記事より引用
『防衛相 安保関連法案は「従来解釈の枠内」
6月12日 12時45分

中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、閣議のあと記者団に対し、安全保障関連法案を巡って11日、民主党の枝野幹事長が「憲法解釈を都合よく変更している」と批判したことに対し、法案は従来の憲法解釈の論理の枠内のもので、的外れな主張だと反論しました。
安全保障関連法案を巡っては、11日の衆議院憲法審査会で自民党の高村副総裁が「最高裁判所は『集団的自衛権の行使は認められない』とは言っておらず、『憲法違反』という批判は全くあたらない」と述べたのに対し、民主党の枝野幹事長は「憲法の解釈を都合よく変更する姿勢は、法の支配とは対極だ」と批判しました。
これについて中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、閣議のあと記者団に対し、「法案は、安全保障環境が大きく変化している現実を踏まえて、従来の憲法解釈との論理的整合性や法的安定性に十分留意し、憲法解釈の基本的な論理の枠内で、合理的な当てはめの帰結を導いたものだ」と述べました。
そのうえで中谷大臣は、「憲法の解釈を都合よく変更したというものではなく、『法の支配とは対極だ』といった指摘は全く的外れな主張だ」と述べ、枝野幹事長の批判に反論しました。』



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/GnTro



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150615020955/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112191000.html


2015年6月12日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0615-1110-04/www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112191000.html

「本年は地方創生元年であり、政府は意欲あふれる地方の創意工夫を全力で応援していく。その取り組みを加速させるため、近々『まち・ひと・しごと創生基本方針』を取りまとめ、仕事が人を呼び、人が仕事を呼ぶ好循環を確立し、地方への人の流れを作っていく。安倍内閣の三本の矢の経済政策は確実に成果を上げている。今年度の地方財政計画の地方税収は、前年度に比べ、およそ2.5兆円、率にして7%増える見込みであり、地方こそ成長の主役だ。地域経済を底上げする力強い経済対策を実施し、地方からの経済再生を強力に推進していく」by安倍晋三

2015.06.14.Sun.10:47

2015年6月10日 NHKニュースの記事より引用
『首相 地域経済底上げを着実に推進
6月10日 12時49分

安倍総理大臣は、東京都内で開かれた全国市長会議であいさつし、地方創生の取り組みを加速し、都市から地方への人の流れを作り出すとともに、地域経済を底上げするための経済対策を着実に進めていく考えを示しました。
このなかで安倍総理大臣は、政府が重要課題の1つに掲げる地方創生に関連して、「本年は地方創生元年であり、政府は意欲あふれる地方の創意工夫を全力で応援していく。その取り組みを加速させるため、近々『まち・ひと・しごと創生基本方針』を取りまとめ、仕事が人を呼び、人が仕事を呼ぶ好循環を確立し、地方への人の流れを作っていく」と述べました。
そのうえで安倍総理大臣は、「安倍内閣の三本の矢の経済政策は確実に成果を上げている。今年度の地方財政計画の地方税収は、前年度に比べ、およそ2.5兆円、率にして7%増える見込みであり、地方こそ成長の主役だ。地域経済を底上げする力強い経済対策を実施し、地方からの経済再生を強力に推進していく」と述べました。』



2015年6月10日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/nYl61


2015年6月10日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150614012631/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108541000.html



2015年6月10日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0614-1026-46/www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108541000.html



【管理人コメント】
安倍晋三政権が地方に移動させたがっている「ヒト」は、以下の報道でも明らかなように、医療費負担が採算に合わない「高齢者」です。国民健康保険の運営主体を国から地方公共団体に移し、医療費関係を丸投げした上で、赤字の元になっている高齢者を地方に移動させて、本来国が負うべき責任を回避して地方自治体に責任転嫁しようとしているのです。






2015年6月5日 NHKニュースの記事より引用
『厚労相 高齢者地方移住支援の提言に一定の理解
6月5日 11時24分

塩崎厚生労働大臣は閣議のあとの記者会見で、民間の有識者らが、東京を中心とした地域で今後、医療・介護施設の不足が深刻化するとして、高齢者の地方への移住を支援すべきだなどとする提言をまとめたことに、一定の理解を示し、必要な施策を推進していく考えを示しました。
民間の有識者などで作る「日本創成会議」は、4日、東京を中心とした地域では今後10年で急激に高齢化が進み、医療・介護施設の不足が深刻化するとして、高齢者の地方への移住を支援するなど、速やかな対応が必要だとする提言をまとめました。
これについて、塩崎大臣は記者会見で、「東京が高齢者にとって医療面などで暮らしにくくなるという指摘があり、政府内でも高齢者が暮らしやすい地方を作るという発想はあった」と述べ、一定の理解を示しました。
そのうえで、塩崎大臣は「『地域包括ケアシステム』をしっかりと整え、高齢者に『移住しても大丈夫だ』という安心感を持ってもらうことが大事だ」と述べ、地方でも医療や介護などのサービスを在宅で受けられる体制を整備するなど、必要な施策を推進していく考えを示しました。』



2015年6月5日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/0JZj7



2015年6月5日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150606012446/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150605/k10010104081000.html



2015年6月5日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0606-1024-58/www3.nhk.or.jp/news/html/20150605/k10010104081000.html


政府が推進する社会保険改革の一例に関しては、例えば拙ブログの以下のエントリーをご参照下さい。
http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1884.html


安倍晋三政権が実行しようとしている医療費削減策に関しては、以下のリンク先に示す拙ブログの各エントリーをご参照下さい。
http://politicalarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1884.html

「少子高齢化や経済のグローバル化が進むなか、時代の変化に合わせて、働く人が希望に応じ社会で活躍する場を見いだせる雇用制度の実現が求められている。そのために柔軟で多様な働き方を進めていくことが重要だ。今回の改正案は、こうした観点から、非正規労働者のキャリアアップを支援し、処遇の改善や正社員への転換を進めるものだ。意欲に応じて労働者の可能性が発揮され、企業活動にも生かされるような環境を整備していく」by安倍晋三

2015.06.14.Sun.09:12

2015年6月12日 NHKニュースの記事より引用
『労働者派遣法改正案 首相が理解求める
6月12日 16時21分

安倍総理大臣は衆議院厚生労働委員会で、派遣労働の期間制限を一部撤廃する労働者派遣法の改正案について、派遣労働者のキャリアアップにつながるだけでなく、労働生産性を高め企業活動にも資するものだとして、理解を求めました。
このなかで安倍総理大臣は、「少子高齢化や経済のグローバル化が進むなか、時代の変化に合わせて、働く人が希望に応じ社会で活躍する場を見いだせる雇用制度の実現が求められている。そのために柔軟で多様な働き方を進めていくことが重要だ」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「今回の改正案は、こうした観点から、非正規労働者のキャリアアップを支援し、処遇の改善や正社員への転換を進めるものだ。意欲に応じて労働者の可能性が発揮され、企業活動にも生かされるような環境を整備していく」と述べ、改正案が、派遣労働者のキャリアアップにつながるだけでなく、労働生産性を高め企業活動にも資するものだとして、理解を求めました。』



2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/Xm65w


2015年6月12日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150614000905/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112551000.html


2015年6月12日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0614-0909-20/www3.nhk.or.jp/news/html/20150612/k10010112551000.html





2015年6月9日 NHKニュースの記事より引用
『衆院厚労委 職権で派遣法質疑再開へ
6月9日 19時10分

衆議院厚生労働委員会は理事懇談会を開き、与党側が10日に労働者派遣法の改正案の質疑を再開したいと提案したのに対し、民主党などは、年金情報の流出問題でさらに集中審議を行うよう求めましたが、渡辺委員長は職権で10日に委員会を開いて改正案の質疑を行うことを決めました。
衆議院厚生労働委員会は理事懇談会を開き、先週、日本年金機構のシステムから大量の個人情報が流出した問題についての集中審議を2回行ったことを踏まえ、10日の委員会の審議について協議しました。
このなかで、与党側は「年金情報の流出問題については今後も議論を続けるが、まずは労働者派遣法の改正案の質疑に戻りたい」として、10日の委員会では、派遣労働の期間制限を一部撤廃する労働者派遣法の改正案の質疑を再開したいと提案しました。
これに対して、維新の党は改正案の質疑に応じる考えを示しましたが、民主党と共産党は、「今回の問題では、厚生労働省の初動対応など新たな論点が浮き彫りになってきており、さらなる審議が必要だ」として、10日は3回目の集中審議を行うよう求め、質疑には応じない姿勢を示しました。
このため、自民党の渡辺委員長は職権で、10日午前9時から委員会を開いて、改正案の質疑を行うことを決めました。
維新 主張受け入れれば採決も検討
派遣労働の期間制限を一部撤廃する労働者派遣法の改正案を巡って、維新の党の柿沢幹事長は記者会見で、与党側が、維新の党などが提出した対案を、党の主張を受け入れる形で修正する場合は、政府が提出した改正案の採決に応じることも含めて検討する考えを示しました。
労働者派遣法の改正案を巡って、与党側は早ければ今週にも衆議院厚生労働委員会で採決したいとしており、その環境を整えるため、維新の党が民主党などと共同で提出した、同じ仕事であれば同じ賃金を受け取ることができる「同一労働・同一賃金」を推進する対案を修正したうえで、共同で再提出して可決させることを、維新の党側に提案しています。
これについて、維新の党の柿沢幹事長は記者会見で、「与党側から、わが党が提出した対案の趣旨に賛同できるとして、アプローチがあるのは事実だ。どの程度であれば折り合えるのかというキャッチボールを現場で進めている」と述べました。
そのうえで柿沢氏は、「『同一労働・同一賃金』が、日本の雇用の一般原則として確立できるのであれば、派遣労働者であれ正社員であれ同じ仕事をすれば同じ賃金を得られるので、積極的な一歩になる」と述べ、与党側が維新の党の主張を受け入れる形で修正する場合は、労働者派遣法の改正案の採決に応じることも含めて、検討する考えを示しました。』



2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/qBqTZ



2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150614012631/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108541000.html



2015年6月9日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0614-1026-46/www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108541000.html

厚生労働省の有識者懇談会が政府に対して行った提言には、医療費抑制の観点から、人口構成に基づいて医療費の総額を地域ごとに算定し、実際の医療費が算定された総額を上回った場合には、地域全体の医療機関に支払う診療報酬を引き下げる仕組みの導入と、現在は課税対象となっていない砂糖への課税の強化と、患者の自己負担割合の引き上げとが含まれている。

2015.06.13.Sat.23:11
2015年6月9日 NHKニュースの記事より引用
『20年先に向け医療費抑制を目指す提言
6月9日 18時52分

厚生労働省の有識者懇談会は、増え続ける医療費の抑制に向けて、2035年までに診療報酬の仕組みを改めることなどを求める提言をまとめ、塩崎厚生労働大臣は、制度の改革に取り組む考えを示しました。
厚生労働省の有識者懇談会は、増え続ける医療費の抑制に向けて、いわゆる団塊ジュニアが65歳に達し始める2035年までに実現すべき対策を提言としてまとめ、9日、塩崎厚生労働大臣に提出しました。
提言では、都道府県単位で見ると、1人当たりの医療費におよそ1.6倍のばらつきがあることなどから、人口構成などを基に医療費の総額を地域ごとに算定し、総額を上回った場合は、地域全体の医療機関に支払う診療報酬を引き下げる仕組みを導入すべきだとしています。
また、かぜなどの軽い症状では患者の自己負担の割合を高くすることや、たばこやアルコールに対する課税の強化を検討すべきだとしています。
塩崎厚生労働大臣は、「20年先に向けた医療政策のビジョンはこれまでなかったものだ。『高齢大国』である日本が難問をどう乗り越えるか世界が注目しており、提言を真摯(しんし)に受け止め、着実に進めていきたい」と述べました。』



2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
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2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150613134216/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108491000.html



2015年6月9日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0613-2242-29/www3.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010108491000.html




2015年6月9日 NHKニュースの記事より引用
『厚生労働省有識者懇談会 医療抑制へ総額制検討を
6月9日 6時34分

厚生労働省の有識者懇談会は、医療費の抑制に向けて、人口構成などをもとに医療費の総額を地域ごとに算定し、総額を上回った場合は、地域全体の医療機関に支払う診療報酬を引き下げる仕組みの導入を検討するなどとした対策を取りまとめました。
国民が医療機関で病気やケガの治療を受けるのにかかった費用の総額を示す「国民医療費」は、毎年6000億円以上のペースで増え続けており、平成24年度には39兆2000億円余りでした。
こうしたなか、厚生労働省の有識者懇談会は医療費の抑制に向けて、いわゆる団塊ジュニアが65歳に達し始める2035年までに実現すべき対策を取りまとめました。
それによりますと、都道府県単位で見ると、1人当たりの医療費におよそ1.6倍のばらつきがあることなどから、人口構成などをもとに、医療費の総額を地域ごとに算定し、総額を上回った場合は、地域全体の医療機関に支払う診療報酬を引き下げる仕組みの導入を検討するとしています。
また、かぜなどの軽い症状では患者の自己負担の割合を高くするほか、たばこやアルコールに加え、マーガリンなどに比較的多く含まれ、取りすぎると心筋梗塞などのリスクを高めるとされる「トランス脂肪酸」を含む食品などへの課税強化を検討すべきだとしています。
これを受けて厚生労働省は今後、関係団体から幅広く意見を聞くなどして、政策の具体化を進めたいとしています。』


2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/Pphjj


2015年6月9日 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150613134803/https://www.nhk.or.jp/news/html/20150609/k10010107641000.html


2015年6月9日 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0613-2248-13/https://www.nhk.or.jp:443/news/html/20150609/k10010107641000.html





2015年6月9日 FNN News Networkの記事より引用
『国民の健康対策として、砂糖などへの課税強化求める提言書まとめ
フジテレビ系(FNN) 6月9日(火)19時5分配信
国民の健康対策として、たばこ、アルコール、砂糖などへの課税強化を求めることなどを盛り込んだ提言書を、厚生労働省の有識者会議がまとめた。
いわゆる「団塊ジュニア」の世代が65歳を迎える、2035年までに実現すべき保険医療システムを示した提言書には、国民の健康対策として、たばこ、アルコール、砂糖などへの課税を強化することを求めている。
また、医療費抑制策として、風邪などの軽い病気の患者の自己負担は高くして、自分で治療することを促すなど、病気に応じて、負担割合を変えることなどが盛り込まれた。
また、たばこについては、2020年の東京オリンピックまでに、受動喫煙のない「たばこフリー」社会を実現し、2035年までには、喫煙者自体をゼロに近づけるためのあらゆる手段を講じるという。
また、厚労省内に推進本部を設置し、実行可能な施策から実施すべきだとしている。
現在、嗜好(しこう)品であるたばこ、そしてお酒には、税金がかけられている。
たばこ税は、1本およそ12円。
酒税は、酒の種類によって異なるが、ビールなら1缶350mlで、77円の税金が課せられている。
さらに、購入する際には、消費税も支払っている。
今回、まとめられた提言書の中には、たばこ、アルコール、砂糖など、健康リスクに対する課税という文言があり、嗜好品のお酒や、たばこに加えて、普段よく使う調味料の砂糖などにも課税を検討していくべきと書かれている。
こうした必需品が課税されるかもしれない事態に、疑問の声が上がっている。
街の人は、「生活必需品だから、(課税は)やめてほしいですね」、「(生活に)必要なものに税金かければ、みんな買うんだろうと思うけれど。そこから糖尿病などのリスクがっていうつながりは、難しいなと」、「食べ物は、絶対生きていくうえでいると思うので、違う税つけられても」などと話した。
最終更新:6月9日(火)19時5分Fuji News Network』



2015年6月9日 FNN News Networkの該当記事のアーカイブ(archive.is)
https://archive.is/gwENZ


2015年6月9日 FNN News Networkの該当記事のアーカイブ(Webcite)
http://www.webcitation.org/6ZFyLYzQV

「最高裁判所が違憲判決を出せば、その内容にもよるが、その法律は変えないといけないというのが憲法上のルールだ」by礒崎陽輔

2015.06.13.Sat.13:15
2015年6月11日付 NHKニュースの記事より引用
『「最高裁違憲判断なら法改正必要」首相補佐官
6月11日 16時48分

国家安全保障担当の礒崎総理大臣補佐官は東京都内で記者団に対し、安全保障関連法案について、憲法解釈の基本的な論理の枠内にあり、憲法違反にはあたらないとしたうえで、法案成立後に、仮に最高裁判所が違憲と判断すれば、法改正が必要になるという認識を示しました。
この中で、国家安全保障担当の礒崎総理大臣補佐官は、先週の衆議院憲法審査会で3人の学識経験者全員が、安全保障関連法案は「憲法違反にあたる」という認識を示したことについて、法案は憲法解釈の基本的な論理の枠内にあり、憲法違反にはあたらないという考えを示しました。
そのうえで礒崎氏は、記者団が「今回の法案が成立したあと違憲判決が出たらどうするのか」と質問したのに対し、「最高裁判所が違憲判決を出せば、その内容にもよるが、その法律は変えないといけないというのが憲法上のルールだ」と述べ、仮に最高裁判所が違憲と判断すれば法改正が必要になるという認識を示しました。』




2015年6月11日付 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(archive.today)
https://archive.is/p03ww



2015年6月11日付 NHKニュースの該当記事のアーカイブ(Wayback machine)
http://web.archive.org/web/20150613041232/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150611/k10010111021000.html



2015年6月11日付 NHKニュースの該当記事の魚拓
http://megalodon.jp/2015-0613-1312-44/www3.nhk.or.jp/news/html/20150611/k10010111021000.html
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